11 王都マグナキャッスル(2)
一行は王都の街中を歩く。王城までの道のりは、ベルのほうが詳しい。一方で、すれ違う市民の誰もがエルストを振り返らない。王城では部屋に閉じこもっていたのだから、市民がエルストの顔を知らなくとも無理はないし、エルストもまたそれを咎めるつもりは毛頭ない。きっと今は、魔法使いに付いて回る十代の少年として映っていることだろう。そう思うと、すこしワクワクした。王都の街中を練り歩くなど、生まれて初めてなのだ。
「色んなお店があるんだね」
エルストは軒並みに主張するショップシェードの数を数え切れない。色とりどりの店先はグランド・テレーマのようだが、開放的な空気のあるあちらに比べて、王都の街中はしっとりとした雰囲気だ。川はあるが、海はない。レンガづくりの建造物は土色に濁っているし、何しろ街中では空が狭く感じるのだ。そして王城のほうを向けば、岩トカゲが天に伸びている。岩トカゲはだんだんと近付いてくる。
「城にはすぐ入れるんやろな?」
アギは以前、入城許可証が発行されたことを思い返していた。
「エルスト様がいるし、入れるんじゃない?」
「て、てきとうやな〜。てきとうすぎるで。王子は許可証とか要らんのか?」
「許可証……って?」
なんのことだろう。エルストは首を傾げる。
「入城許可証や。ワシとベルは、前、入城許可証が発行されたで。謁見の間に行くときな」
「そんなものがあるんだね。僕は一度も持ったことないよ」
「……うーん……イマイチ不安が拭えんで……」
アギはその理由までは言わなかった。なぜなら宮廷魔法使い任命試験時、エルストの私室に行くには入城許可証は必要なかったのである。それがどんな意味を持つのか、おおかた察しのついたアギは言うことを憚った。
「許可証はどこで発行されるの?」
エルストが言った。
「学園が発行してましたよ。念のため、学園を通って王城に行きましょうか」
エルストなら学園にも入れるはずだとベルが提案した。ひとまず、目的は王城でアドルーの情報開示を要請することである。
王立魔法学園はどのクラスも午後の授業の真っ最中のようだ。生徒は見かけない。石柱で支えられた門をくぐり、エルストは初めて王立魔法学園へと足を踏み入れた。王城とは違って門番はいない。広い玄関ホールにはオフルマズドの石像がある。石像を中心に、左右、正面へと廊下が分岐していて、斜め前には大きな階段もある。つるつるの灰色の石が敷き詰められたホールの床全域には白い紋章のようなものがうっすらと描かれている。レイピアを抱え、翼をもったトカゲのような文様は、エルストが悩むまでもなく王家の紋章である。天井には大きなシャンデリアがこちらを見下ろしており、窓がないため、ホールを照らすのはあのシャンデリアだけだ。
「ベル・テンとパートナードラゴンのアギ、それから王子エルスト・エレクトラ・エンの入園を確認しました」
「う、うわあっ!」
とつぜん聞こえた声にエルストは驚き、きょろきょろとあたりを見回す。
「誰?」
しかし玄関ホールには一行の他に誰もいない。顔があるとすればオフルマズドの石像だが、硬そうな石の口が動いたとはとても思えない。それに聞こえたのは女の声だった。オフルマズドは男だ。
いま声が聞こえたよね、とベルに言うと、あれは門番の声ですよとベルは答えた。
「姿は見えないけど、いるんです、門番。おばあちゃんみたいな声だから、みんな、バーバって呼んでます」
門番はいないものだと思っていたが、きちんと存在しているらしい。
「バーバは先生たちの合同魔法なんですよ。生徒たち全員を認証するようプログラムされてるんです。エルスト様を認証出来たのは、王子だからかな」
「す……すごいね……」
「せやけど生徒の保護者までは認証せーへんから、親とかが呼び出されると大ごとなんやで」
わははと笑うアギとは対照的にベルは苦い顔をした。親が呼び出されたことがあるのだろう。
「ここから王城に行くなら正面の通路です。途中、職員室もありますから、そこで許可証をもらいますね」
「うん」
ベルは慣れた足取りで先導していく。
廊下は窓から漏れる陽射しで明るい。中庭が見える。きれいに整っているな、とエルストは思った。少し進んで、ベルはある教室の前で立ち止まる。重たそうな扉を開けた。
「先生〜、こんにちは〜」
ベルの後ろにいるエルストからは扉の中はよく見えない。
「なんだ」
見知らぬ男教師が現れた。
「私、ベル・テンと言います。王城への入城許可証をもらいに来ました」
「王城? ……」
すると男教師はエルストを見る。
「エルスト様の宮廷魔法使いになったベル・テンか」
「はい」
「わかった。少し待ちなさい」
この男教師はエルストに挨拶もしなかった。しばらく待つと、男教師は一枚の紙切れをベルに手渡す。
「これで入れる」
「ありがとうございます」
「なんや、スグ手に入ったな」
もっと手間がかかると思い込んでいたアギは拍子抜けしたようだ。なんにせよ、これでベルも王城に入ることができる。ひとつの課題はクリアした。
一行は職員室を後にして廊下をまっすぐ突き進む。十段ほどの階段を登ると、やがて門番が待ち構える門へとたどり着いた。これから先が王城なのだろう。陽射しを受ける門にはドラゴンの彫刻が施されているが、加工済みドラゴンというわけではなさそうだ。ただの装飾のようである。
以前は――宮廷魔法使い任命試験の時はここで許可証を見せはしなかったのだが、ベルはエルストの手前、ここで見せるのがよいだろうと判断し門番に入城許可証を見せた。入城許可証を確認した門番はエルストにいちおうの敬礼をし、一行の通行を譲るように身を動かした。
情報開示要請の手続きは書面でおこなうらしく、エルストの部屋で要請書をしたためることにした。一行は四十日ぶりにエルストの部屋を訪れる。王城の最下層にあり、人知れずひっそりと構えられたエルストの部屋に入ろうとすると執事が現れた。
「エルスト様、おかえりなさいませ。ベル様とアギ様も」
「じい。ただいま」
この執事とはベルとアギも二回会ったことがある。宮廷魔法使い任命試験に同席した執事だ。
「じい、僕の部屋の鍵……開いてる?」
エルストが執事に尋ねた。そういえば鍵を持たないまま部屋に来てしまった。
「今お持ちしたところです。お開けいたしますね」
執事は懐から銀の鍵を取り出し、素早くエルストの部屋を解錠する。やがて執事に促されるままエルストらは部屋に足を踏み入れた。ベルとアギは初めて中に入る。少し湿気がこもっているようだが、清掃は毎日施されているらしく、ほこりは溜まっていない。それにしても質素な部屋だ。ベッドとソファー、デスク、クローゼット、小さな本棚。必要最低限のものだけを備えた部屋だった。ソファーとベッドカバーの緑がエルストらしく思える。小さな窓からは陽射しが舞い込んでいる。
執事はエルストからローブと荷物を預かり、ハンガーに掛けながら、お茶をお持ちいたしますねと告げた。この執事も必要最低限のことしか述べないのだろうか。雑談をする気配はない。
「ねえ、じい。父上に、騎士団の情報開示を要請したいんだけど……そのための書類はこのデスクにあったかな?」
「用紙はデスクの二段目の引き出しに用意してございます。求める情報の内容とその目的と、最後にエルスト様のサインまで記されましたら、要請書はわたくしがお預かりし、国王陛下にお渡しいたします」
「ありがとう。でも、要請書は僕が直接、父上にお渡しするよ」
申し出を断られたことに、執事は意外そうに驚いた。やがて、左様ですか、とにっこりと笑う。お茶を用意したあと国王陛下への謁見手続きをしてまいりますと言うと執事は部屋の外へ出ていった。
「親子やのに会うための手続きが要るってのも、なんかイヤな感じやなあ」
アギは眉毛のない眉を歪めた。ベルも同感のようだ。エルストは困った顔をしながら、父は国王だからね、と言うのだった。
要請書を書き終えると、執事から、国王とは午後六時からの謁見が許されたと告げられた。今は午後三時。あと三時間のうちに王立魔法学園の図書室へ行くか否か一行が話していると、執事がベルを呼ぶ。
「バンク・キーパーがベル様をお呼びですよ。すぐに学園に来るように、とのことです」
その言葉を聞いた瞬間、ソファーにかけていたベルの顔色がみるみる青ざめていく。
「バンク・キーパー?」
エルストは意味がわからず首をかしげた。口すら動かせないほど硬直したベルの代わりに執事が答える。
「魔力のバンクの番人ですよ」
王立魔法学園にこんなところがあったのか。エルストはベルとアギの後ろに隠れながら思う。学園の最上階にある部屋にはエルストの体よりもうんと太い筒状のものが五本、六本と並んでいる。十はあるだろうか。部屋の床から天井にかけて縦にそびえ立つ筒は空気の漏れるような音を連続して鳴らしており、ごうごうと地鳴りのような音も重ねている。筒のほかにあるものといえば、それぞれの筒の横に必ずある、変な突起物だ。土を掘るスコップの取っ手だけ付けたようなものだ。前後に動かせるらしい。目盛りが刻まれている。
「ここが魔力のバンク?」
窓がなく、なんとなく息苦しい雰囲気が漂っている。おまけに薄暗い。部屋は広いはずなのだが筒のせいで窮屈に感じる。エルストはベルに尋ねた。
「そうですわよン」
答えたのはベルではなかった。手前の筒の影から、女性がぬっと姿を現した。
「……マジョルダ先生……」
ベルの頬は引きつっている。
黒いとんがり帽子に黒いローブ姿のショートヘアの女性は一行を見て微笑んだ。その胸元は強調されている。やたら腰をくねらせた女性だなとエルストは思った。
「ハァイ、ベルちゃん、久しぶりね。待ってたのよ〜。ウフフフフフ」
エルスト様もごきげんよう、と女は楽しそうに言った。
「あなたが、ええと……魔力のバンクの番人なのですか?」
「そのとおり。マジョルダと申します。バンク・キーパーのほかに、生徒に保健の授業もおこなっていますわ」
「教師なんですね」
「ええ。エルスト様のお兄様、カーシー様とは同僚ですのよ。あと、ゴリともね」
マジョルダは意味ありげに言う。ベルは眉をぴくりとさせた。
「こないだ、ゴリから通知が届いたのよぉ、ベルちゃ〜ん。あなた、境界村でオフルマズド様の石像をブッ壊したんですって?」
「うぐっ……」
そばにほくろがある口でマジョルダは笑う。年齢が掴めない女性だ。
「魔法による公共施設の破壊行為は、りーっぱなペナルティ対象よん」
なるほど。エルストはベルがここに呼ばれた理由に思い当たった。境界村でベルから聞いた〝ペナルティ〟だ。王立魔法学園に在籍している、あるいは在籍していた魔法使いは、反則行為をしてしまうとペナルティとして自分の魔力を提出しなければならないルールである。
「ペナルティは初代国王オフルマズド様がお決めになった魔法使いのルール……そして今回のベルちゃんの反則行為のレベルを見極めた結果、国王陛下は一ヶ月ぶんの魔力を抽出するよう申されましたわ。これが命令書よ」
マジョルダは一枚の紙をひらひらと見せた。エルストが確認したが、たしかに父・国王の直筆のサインがある。用紙も王族限定のものだ。
「一ヶ月か〜。ぐはーっ、過去最高レベルやで!」
「……何度か経験あるんだね……」
エルストは落胆した。
「わかったら、さっさとアギを取り外してちょうだいな」
マジョルダは椅子を二脚用意した。片方にエルストを座らせ、もう片方にベルを座らせる。使い古された木製の椅子だ。ベルはマントやホウキ、杖、そしてアギの顔のあるとんがり帽子を取り外す。
「エルスト様、アギをお預かりしていただけますかしら?」
ベルの身から剥がされたアギ一式をマジョルダはエルストに押し付けた。アギは問答無用でエルストの頭に被せられる。あらなかなかお似合いですわよとマジョルダは微笑んだ。
「どうしてアギを外すの?」
「んふふ、それはですね、エルスト様。今から私がベルちゃんから魔力を抽出するのですけれど……魔力を抽出される魔法使いが加工済みドラゴンの魔力を〝身代わり〟にしないためですわ」
「えっと、つまり……キチンと魔法使い本人の魔力を抽出するためです。加工済みドラゴンの魔力を抽出させたら、魔法使いのペナルティの意味がないですもん」
ドラゴンの魔力は無限。そのドラゴンの魔力を抽出されても、魔法使いにはなんの罰にもならない。マジョルダとベルの説明に、たしかに、とエルストは頷いた。
「じゃ、ベルちゃん、チクッとするわよン」
マジョルダはとんがり帽子から長い管を取り出した。管の先端は細い針のようになっている。いや、はじめ、針だとエルストは思ったが、よく見るとドラゴンのようらしい。目がふたつ付いている。やけに細い口のドラゴンだ。あれも加工済みドラゴンなのか。
ベルは着席したまま左腕を差し出す。マジョルダの加工済みドラゴンはベルの二の腕に突き刺された。
「現在のベル・テンの魔力は三一四一五九です」
「……いま、誰が喋ったの?」
エルストはマジョルダに言う。
「私の加工済みドラゴンですわ。双子なんですの」
マジョルダのとんがり帽子からは別のドラゴンがひょっこりと顔を出していた。ベルの二の腕に刺さったドラゴンと瓜二つだが、針のようには尖っていない。
「にしても、相変わらず高い数値だこと」
「ベルは体力オバケやからな」
オバケって、とエルストは苦笑する。
「抽出する魔力は一ヶ月ぶんだから……三百ね」
「その数値も王国が決めてるの? えっと……抽出する一ヶ月ぶんの魔力の数値とか」
「ええ、そうですわよ。一日ぶんの魔力を抽出するなら十、というふうに」
その数値もオフルマズド王が決めたことらしい。
「三百、魔力を抽出しました」
刺さっていないほうのドラゴンが言った。
「はい、ベルちゃん、お疲れ様。バンソーコーよ」
マジョルダは加工済みドラゴンを抜き、小さな傷口にぺたっと絆創膏を貼ってやった。綿にじわりと血が滲んでいく。
「壊したのがオフルマズド様の石像じゃなかったら十日ぶんで済んだかもねぇ。あれひとつ作るの、大変らしいのよン」
「わざとやったんじゃないんですってばあ!」
ベルは絆創膏の上から腕をさする。
「聞いてるわ。サード・エンダーズとかいう奴らに襲われたんでしょう? よくエルスト様をお守りしたわね。エライわよ」
「そりゃなんてったって、宮廷魔法使いですからね!」
むっふん、とベルは得意げに大きく鼻を膨らませる。
「宮廷魔法使いならこんなとこに来ちゃダメでしょーが!」
「あははっ」
マジョルダのもっともな指摘に、聞いていたエルストは思わず吹き出した。
「ウフフ。エルスト様とも仲良くやれてるようで、何よりだわ」
マジョルダはそう言いながら針のドラゴンを筒の横に差し込む。変な取っ手のそばに穴があるらしい。
「それは何をしてるの?」
エルストが尋ねると、マジョルダは、抽出した魔力はこうしてバンクに注入するんですのよと答えた。
「私はバンク・キーパーという肩書きをいただいていますけれど、バンクに貯蔵されている魔力の使用経路を決めるのは、実際のところ国王陛下だけなのです。私の役目はペナルティが課せられた魔法使いから魔力を抽出し、バンクに注入すること。もしエルスト様が王位を継承なさったら、ここの魔力はエルスト様の自由に使えますわよ」
マジョルダはいたずらっぽく笑った。
「ひとの魔力を使うって……あんまり想像出来ないや」
自分の魔力さえ無いというのに。エルストはベルの魔力が注入された筒を見上げる。
「みんな、そうですわ。加工済みドラゴンは……言っちゃあ悪いですけれど、魔法使いにとっては、道具を扱うような感覚ですもの」
エルストの脳裏にはブラウンの姿が浮かぶ。そしてブラウンの「人間向けに作られた、人間のためのドラゴン」という言葉が鮮明に聴こえる。
「でも私、アギのことは友だちみたいに思ってますよ」
ベルはエルストの頭の上のアギを見て言った。
「アギの体の色んなところを使わせてもらってるけど……アギとおしゃべり出来なかったら、すっごく寂しいし」
ベルはグランド・テレーマの牢屋でエルストに知られず泣いていたことを思い出す。あの時、アギがいなくてとても寂しかった。あんな思いはしたくない。
「もしアギじゃなくて、違う加工済みドラゴンがパートナーだったとしたら……なんて考えても、なんか、いまいちピンとこないし」
「ベルの面倒見れるのはワシくらいのもんやで。感謝しーや」
マジョルダは笑う。
「私もよ」
このコたちがいなかったら寂しいわと言いながらマジョルダは双子の加工済みドラゴンをとんがり帽子に仕舞った。魔法使いとそのパートナーの加工済みドラゴンのあいだには、エルストにはわからない、友情のようなものがあるらしい。ベルやマジョルダに対し、エルストは羨望を抱いた。なぜならその友情のようなものは、エルストが一生を通しても絶対に得ることの出来ない感情だからだ。
「さて、私の用事は済んだわ。わざわざ来てくれてありがと、ベルちゃん。エルスト様とアギも」
「ついでやし、このまま図書室に行こーや」
「あら、なあに、ベルちゃんのお勉強?」
「ざんねん。調べ物です、マジョルダ先生!」
ベルはマジョルダにあっかんべをし、エルストからアギ一式を返してもらった。やはりアギはベルの頭の上にいるのが自然だ。アギの満足そうな顔を見て、エルストはちょっぴり悲しく思ってしまう。
「それも珍しいわねェ。明日はきっと雨だわ。エルスト様、ベルちゃんとアギのこと、よろしくお願いしますわねン」
マジョルダはひらひらと手を振った。よろしくお願いされるのはベルのほうだけどな、なんて思いながら、エルストはベルとアギとともにバンクの部屋を出た。