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Enders war  作者: 急行2号
14/49

11 王都マグナキャッスル(1)

 あの岩トカゲが懐かしく思う日が来ようとは、部屋に閉じこもっていた頃のエルストからは想像がつかなかっただろう。だがこうして青空を背景に、あの土色のごつごつした岩肌を目にした時、エルストの胸には愛郷のような気持ちが芽吹いたことは事実だ。

「何日ぶり?」

 ベルの頭の上でアギが言う。

「ええっと……四十日くらい、かな」

 エルストはこれまでに過ごした夜を数えた。

「もうそんなに経ったんですね」

「はやいもんやなァ」

 街道に沿って王都へと向かう。街道と言えども、すでにあたりは農園風景が漂っている。黄金色の稲穂が風に泳いでいる。土のにおいがベルの鼻をかすめた。

「収穫前の稲穂でも、こうして見ると……美味しそうだなあ」

 食欲に正直なベルに、エルストは思わず吹き出した。そのあとに、いいや、正直なのは僕も同じだったなと気付く。

「たしかに」

 一行は立ち止まって稲穂を眺めてみる。粒が大きい上物だった。エルストとベルは同時に腹を鳴らした。けさ口にしたのは質素な干し魚一匹だけであったのだ。はやいところ王都に行こう、そして何か食べようと決めた一行はふたたび歩き出す。まるで王都へ戻ってきた目的は食事であるかのような足取りだ。いいところがある、とのベルの誘いにエルストはまたしても正直にうなずくのである。ベルに案内されるままに農園の道を進んでいった。

「あれ、ここ……」

 黄金色の稲穂とは一変して緑が茂る草原へと一行はやって来た。広々とした草原には牛らしき動物がむしゃむしゃと食事をしている。野生の牛ではなさそうだ。首輪をしている。

「牧場?」

「そうです。私の実家!」

「え……じ、実家!?」

 よく見れば奥に母屋と思われる平屋がある。年季の入った木造の家だ。そしてエルストが草原だと決め込んでいたのは牧草だったようで、その面積を示すようにぐるりと木の柵で囲まれていた。その柵には、テン牧場と、たしかにプレートがぶら下がっている。

「ひっさびさ〜! ただいま〜!」

 ベルは浮かれた調子で駆け出すと、その帰りを迎えるようにして白と黒のまだら模様の牛が鳴いた。


「パパ、ママー!」

 ベルは母屋に向かって叫んだ。すると中から恰幅のよい茶髪の女性が姿を見せた。薄ピンクのエプロンが可愛らしい。

「あら、まあ、ベルにアギじゃないの!」

 腕を広げて抱きついてくるベルを女性も力いっぱいに迎えてやる。その拍子に飛び跳ねてしまったアギを、女性がすぐに捕まえた。

「おまえ、旅に出たんじゃなかったの」

「寄り道!」

 おそらく女性がベルの母親なのだろうが、エルストは置いてきぼりを食らっている。

「エルスト様〜! こっち!」

「エルスト様? ……」

 女性の目線はエルストに向いた。エルストはおそるおそるベルのもとへ歩く。直入に言えば緊張している。ふだんから――王城で部屋にこもりきりだった頃から――執事以外と会うことはめったになく、まして王都の人間とは関わりが薄いのだ。アドルーなんかはエルストにとって特例だ。さらに言うと、あのような壮年の女性と会うことなど、片手で数えるほどしかない。

「……エルスト殿下でいらっしゃいますか」

 近付いてみれば女性は驚いた顔をしていることがわかった。エルストはうなずく。

「まあ〜ッ、ベル!」

 女性は腕の中のベルに怒鳴る。

「殿下をお呼びするなら事前に言っておきなさい! アギ、あなたもよ。ああもう、おもてなしの準備なんか出来てないわっ」

「あ、いや、僕はおもてなしなんか、結構ですよ……」

 エルストは初対面の相手からもてなされることにもまたあまり慣れてはいない。そういうのは、上のふたりの兄が得意だ。

「私たち、お腹が空いてて、だからうちでごはんを食べようと思ったの」

「この子はもう、本当に勝手なんだから……」

 女性は頬に手を当てた。それなりに重ねているであろう年齢相応のシワが女性にはあるものの、ふっくらした頬によってそれらは目立たない。

「待ってて。エルスト殿下は牛はお好き? ホルスタインかしら。それとも黒毛?」

「え……えっ?」

「やっぱり黒毛かしらね。乳牛はちょっとカタイものね。パパに言ってお肉をもらってくるわ」

 女性こそ勝手に話を進めているが、どうやら食事を用意してくれるのだろうことはなんとなくわかった。女性はベルから離れ、母屋の外れにある牛小屋へと消えていってしまった。

「中で待ちましょ、エルスト様!」

「どうせしばらくかかるで」

 ベルはにこにことエルストの腕を引いて母屋の中に入った。ここがベルの生まれ育った家なのか。エルストはとまどいつつも、心なしか興味を湧かせていた。


「ベルって、牧場の子だったんだね」

 母屋に入ってすぐに目につくダイニングテーブルにエルストとベルは着席している。アギはテーブルの上に置かれている。色あせたテーブルだ。

「知らんかったんかいな」

 宮廷魔法使い任命試験の時のニワトリはこの牧場のニワトリやったんやで、とアギは言った。言われてみれば、グランド・テレーマにてミズリンの宮廷魔法使いパトリシアが「家からブタを持ち込んできた」などと言っていた。この広い王都の端っこから学園までブタを運んだのか、とエルストは苦笑する。王都を行き交う人々はきっと奇怪なものを見たことだろう。

「魔法使いになったのは、どうして?」

 ベルからミルクを差し出されたエルストはマグカップを握りしめながら言った。

「魔法使いに憧れてたからです」

 ベルは両肘をテーブルに乗せている。

「誰かのために魔法を使いなさい、そのための魔力だって、パパとママから教えられてましたから」

「オフルマズド教の教えかな」

「うーん……私、国教には疎くって」

 てへへ、とベルは舌を出す。ベルの両親はオフルマズド教の教えを娘に伝えたのだろうか。貴族も市民も農民も、国教に信仰深いものである。もっとも魔力のないエルストにとっては、オフルマズド教の教えは関係がない。誰かのために使う魔力なんか、持っていないのだから。するとベルは知ってか知らずかエルストの心に反してこんなことを言う。

「魔法だけじゃなくって……たとえば家畜も、誰かのために差し出しなさい。自然の恵みに感謝しなさい。すべてが自分のためだけにあるものではないんだって、小さい頃からずっとパパとママに言われてきたんですよ」

「すべてが自分のためだけにあるものではない?」

「はい」

「簡単に言うなら、なんでもかんでも自分ひとりで独占すんなってことや」

「魔力も?」

「せや」


「でも、そうしたら……」

 エルストの手は動かない。

「自分には、何も残らないんじゃないの?」

 エルストの疑問を耳にすると、ベルは一瞬目を丸めた。

「私は、それでもいいですよ」

 そしてにっこりと満面の笑みを浮かべた。

「エルスト様だって、たとえ魔法が使えなくても、魔力がなくても、旅を続けられてるでしょ?」

「そ、それは……」

 エルストは言い淀む。ベルが言うように、たしかにエルストには何もない。でも、それは、と、エルストは言葉を続ける。

「ベルとアギがいてくれなかったら、僕ひとりだったら、旅なんて出来ていないよ」

 思い返せばこの四十日、ベルとアギには助けられてばかりだった。湧水洞だって、境界村だって、もしもふたりがいなかったら、黒い服の男――アドルーや神父に襲われた時、エルストはすでに死んでいたことだろう。彼らが本気でエルストを殺そうとしていたらの話ではあるが。ああ、そう考え始めると気落ちしてしまう。暗い心を晴らすように、エルストは真っ白なミルクをひとくち飲んだ。

「さあ、お待たせ!」

 やけに響く声で現れたのはベルの母親である女性だった。

「パパに解体してもらってきたわ」

 女性は小脇に肉の塊を抱えている。肉は丸見えというわけではなく、布巾に覆われている。しかし鮮やかな血が染み込んでいるのは目に見えてわかる。

「ステーキにしようと思うのよ。アギ、一緒にする? あなたがいないから、最近、私は火打ち石を使ってるのよ!」

 女性はずかずかと大股で歩いてくる。女性が目指すキッチンはすぐそこだ。

「待てっ、待たんかいっ! ママ! ワシが焼く!」

「あら、そう?」

 女性はアギを掴んでかまどに向かった。ふたつの口があるかまどには鉄板と鍋が設置されている。いずれも大きい。エルストとベルはダイニングテーブルでおとなしく見守っている。


 女性はまず肉塊を鉄板に広げ、包丁でスライスした。分厚い肉が平べったく仕上がっていく。アギは鍋の蓋の上に居座っている。肉は数えると四枚におろされた。

「パパも私もお昼ごはんはまだ済ませてなかったのよ」

 女性がスライス肉を一枚、トングで持ち上げた。そしてスライス肉をアギの前にぶらぶらさせると、獲物を目の前にしたアギがそれに向かって嬉しそうに火を吹いた。やがて肉はすてきな音を立てながら焼かれ始める。席から立ち上がったベルは戸棚を漁り、皿を用意する。エルストはひとりぽつんとテーブルに残された。そのあいだにも肉はアギの炎の餌食となっていく。エルストはこっそりお腹を鳴らした。

「やあ、いらっしゃいませ」

「うわっ!」

 突如背後から声をかけられた。エルストは肩を跳ねさせる。急いで振り向くと、そこには丸眼鏡をかけた、白髪まじりの男性が立っていた。いつの間に。エルストは唖然としている。

「エルスト殿下だそうですね。いつも娘のベルと、それからアギがお世話になっております」

「あ……い、いや、こちらこそ」

 猫背がちの男性はエルストににっこり微笑んだ。ぼさぼさの髪が土で汚れている。

「私はベニー・テン。ベルの父です」

「あ、ぼ、僕は、エルスト・エレクトラ・エンです……よろしくお願いします」

 エルストはぎこちなく会釈した。ベニーは丸眼鏡ごしに笑い、柔らかな雰囲気でエルストを迎えた。お腹空きましたでしょう、とベニーに言われると、エルストはなんだか気恥ずかしくなった。井戸で顔を洗ってきますね、とベニーは母屋の奥へと歩いていった。奥にも出入り口があるようだ。次にベニーが現れた時には、彼のぼさぼさの頭がすんなり落ち着き、土汚れも落とされていた。首にタオルをかけている。

「あ、パパや!」

 ステーキを焼き終わったらしい。アギが言った。

「やあ、アギ。ベルも、おかえり」

「ただいまー!」

 ベルとアギは口を揃えて言った。仲が良い家族なのだな、とエルストはテン一家を眺めながら思う。僕の家族とは大違いだ、なんて考えが過ぎったのは言うまでもない。王城に戻ったところでにこやかにエルストを迎えてくれる者などいないだろう。エルストはミルクを飲み干した。


「ああ、ごちそうさまでした」

 エルストは満杯になったお腹をさする。エルストとベル、ベニー、それからサーシャと名乗ったベルの母親とともに囲んだ昼食は非常に美味しいものだった。近所で採れた野菜だという付け合わせのサラダもまた新鮮だった。自ずと笑顔になってしまう。

「満足いただけたならいいのですけど」

 サーシャは皿を下げながら言った。皿は井戸で洗うのが習慣らしく、サーシャは先ほどベニーが顔を洗ってきたほうへ姿を消してしまった。ベルとアギはエルストとベニーとともにダイニングテーブルに残っている。

「ところで、エルスト殿下は旅の途中なのですよね。寄り道だということだそうですが……」

 ベニーが丸眼鏡の位置を整えながら言う。

「旅はまだ続きそうですか」

「そう……ですね。あと、およそ十ヶ月は猶予をもらっています」

「猶予?」

「一年間のうちに旅を終えるのが王族の役目なのだそうです。父や兄や、学園のファーガス理事長から聞きました」

「それは大変なようですね。ベルやアギがちからになっているんなら嬉しいのですが」

「それはもう、たくさん。僕はいつもふたりに助けてもらってばかりです」

 エルストがそう答えると、ベニーはすっかり気を良くしたようだった。エルストの隣に座るベルとアギも照れ笑いをしている。

「それはよかった。それこそが、私たちが望んだかたちです」

「望んだかたち? ……」

「はは。深い意味はありませんよ。自分の魔法が誰かの役に立つ。それがオフルマズド教の教えのひとつでもありましょう」

 ベニーはエルストに魔力がないことを知らないようである。

「ねえ、パパ。パパは加工されていないドラゴンがどこにいるか、知ってる?」

 ベルは足をぶらつかせている。木材で出来たチェアがぎしぎしと音を鳴らす。

「パパは私よりドラゴンに詳しいでしょ。パパも王立魔法学園にいたんだから!」

「そうなんですか?」

 エルストが尋ねた。ベニーは、うーん、と唸る。

「卒業生だというだけですよ。もう何十年も前になりますけれどね。ちなみに妻とは同級生です」

 学園で知り合ったのだそうだ。


「パパは知らないなあ……探してるのかい?」

「それがエルスト様の旅の目的なの」

「ああ、そうだったのか」

 誓約の旅についても知らないようだ。

「残念ながら、風のドラゴンについては知らないな。まあ、十ヶ月あるのだから、ゆっくり探すといい」

「ハァイ」

 ベルはぶらつかせていた足をぴたりと止めた。

「エルスト様、そろそろ行きましょうか」

「あ、うん。ベニーさん、お世話になりました」

「ほんまにメシ食いに来ただけやったな」

 アギが言った。

「お、お礼は必ず。これから王城に戻るので、そのあとにでも……」

「お気になさらないでください、エルスト殿下」

 ベニーはにこにこしている。

「王族のかたからお礼なんていただいてしまったら、なんだか罰が当たってしまいそうです。先ほどのステーキは、私どもからの献上品ということで、ひとつ」

「いや……それはあまりにも僕の不躾な気が……」

 エルストがそう言うのをベニーは遮る。

「ベル。王城までご案内してさしあげなさい」

「ハーイ! さ、行きましょ」

「わっ、ちょっと、引っ張らないでくれよ!」

 エルストはベルに腕を引っ張られるままに慌しくテン牧場母屋を出て行った。ざくざくと芝生の上を歩く音が母屋にも聞こえる。

「あら、行ってしまわれたの」

 井戸から洗いたての皿を抱えてサーシャが現れた。

「王城へ行くとかおっしゃっていたよ」

「王族のかたがたのところで、ベルが騒動しないといいんですけれどね」

 サーシャは苦笑しながら皿を棚にしまっている。

「最近の王城のほうが……というよりも……王国のほうが騒がしい気がするよ……」

 ベニーは困ったように、ふたたび丸眼鏡の位置を整えた。

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