9 ウォーベックマン
グランド・テレーマを発ち、王都マグナキャッスルに行くには境界村をとおらねばならない。一行はおよそ二十日ぶりに境界村を訪れていた。湖のほとりの花は今も咲き続けており、グランド・テレーマのひまわりよりも素朴な小さな顔を風に揺らしながら足の疲れた一行を出迎えてくれた。一行はグランド・テレーマから五日間を歩いた。今日の日は落ちかけ、山あいの湖畔を夕焼け色に染めている。
魔法使いの加工済みドラゴンを狙う組織サード・エンダーズの一員だとして王立魔法騎士団に捕縛されたドルミート侯爵とアドルーの親子はとうに王都に着いた頃だろうか。マックス率いる王立魔法騎士団の一隊はグランド・テレーマから馬車を使って親子両名を王都へ連行していったのだろうから、ちょうど今日、王都に着いたくらいだろうとエルストは考える。
「久しぶりやなあ」
境界村に入るなりアギは鼻の穴を膨らませている。さっそく魚でも見つけたのだろうか。その視線も忙しい。
「ゴリ先生、いるかな」
ベルもまた辺りを見渡した。
「そらおるやろ」
ゴリが王立魔法研究所の建設現場の総監督らしいということをアギもおぼえている。十八年ほど前に王都における火災で倒壊した王立魔法研究所を、半年前から、この境界村に再建しているという話だ。
「どこやったっけ、研究所っちゅーのは?」
「あそこじゃないかな」
エルストは村を進んだところに男たちの群がる広い敷地を見つけた。湖から百メートルほど離れているだろうか。細かく分けられた間取りに合わせて角材を骨組みし、今は床となる面にモルタルを流し込んでいるようだ。一輪車やバケツを抱える男たちが夕日に照らされている。
「挨拶してくか?」
「でも、忙しそうだね」
あれほど働き回る男たちを、エルストは見たことがなかった。
「今日はまっすぐ宿屋に行きましょっか。ゴリ先生には明日、挨拶がてら、ドラゴンのことも訊きましょう」
「ああ、それがいいかも」
エルストはベルの提案に賛成した。一行が忘れてはならないのが、〝次に挨拶をするドラゴンの居場所を見つける〟ことだ。王都へ戻りアドルーからアドルー自身の話を聞いたあと、一行が目指すべきなのはふたたび誓約の旅の行き先なのである。一行が王都へ戻るのは、何もアドルーを罰するためではない。
一行は先日宿泊した宿屋へ足を運ぶ。辺鄙にあるというのに、相変わらず人が行き交っている村だ。もっとも、グランド・テレーマよりは人数が少ないのは当然である。あれは交易が盛んな一大港だ。
汗くさい村やなぁ、なんてアギが言うのを、エルストがたしなめる。失礼だと思ったからであった。
境界村の唯一の宿屋はやはり空いていて、グランド・テレーマで消費した宿賃とそう変わらない値段でエルストとベルにそれぞれの部屋を確保できた。相変わらず窮屈そうな、食堂兼受付ロビーである。客室に移動しながら、この前はここでチキンステーキを食べたっけ、ああ、だからグランド・テレーマでの罰金を払えなかったんだとエルストは思い出を次々と掘り起こしていた。そして宛てがわれた客室に到着すると同時に行き着いた思い出が、牢屋に入れられた自分たちを助けてくれたのがアドルーであったことだった。エルストは口角をぴくりとさせ、思い切るようにドアノブを回した。ベルとアギは隣の部屋である。
一行がおのおのの部屋に入るのと入れ違いに、奥の客室からひとりの男が出てきた。タトゥーが刻まれた肌をシャツから覗かせながら、薄い色の瞳で一行の部屋をじっと見つめる。そしてややしばらくして立ち去るのだった。
「どや、ウマイやろ」
エルストはアギの得意げな顔など無視し、いや、正確にはアギの顔を見上げる余裕などないままに大口を開け、そのなかに油のついた〝肉〟を押し込んだ。歯を噛み合わせると同時に溢れ出す肉汁はそれまでの〝からいもの〟と抱いていたエルストの固定観念を打ち崩す勢いだ。からい、そうだ。この鼻の奥をツンと突いたあとに眉間にまで及ぶ刺激はそれまでの味の記憶とまったく同じなのだが、その刺激をなめらかに錯覚させる喉奥に広がる甘味は初めての感じだ。見た目は黒かった芳ばしいソースと非常にマッチしている。歯の裏にへばりつく帯状のものからはほのかに日干しした魚介のかおりが発せられているだろうか。
「アギさん特製のタマネギのステーキは!」
翌日の朝食の席ではアギが魔法をふるっていた。
エルストはしゃりしゃりと残る〝肉〟をすべて飲み込んだ。
「初めて食べたよ。こんなに美味しかったんだね、タマネギって」
エルストの手もとの平皿には輪切りにされたタマネギが焦げ目を飾って盛られている。エルストは焦げついたタマネギを初めて見た。向かいの席に座るベルは、フォークでタマネギを刺したはよいものの、芯のほうと外側がべろんと分離してしまって食べるのに苦戦しているようだった。ナイフで細かく分けたほうが食べやすいよ、とエルストが教える。
「城のコックは家畜や魚しか焼かへんやろ」
「そうだね。野菜はサラダか煮込んで食べることが多かったかな」
もしくは茹でたままだったか。城での食事のメニューなど、食に興味のなかったエルストは気に留めたことはなかったので、その記憶はおぼろげであるが。
エルストは輪切りのタマネギの表面をちょいと掬う。
「このひらひらしたのは何?」
エルストが左手で持つフォークの先端には、半透明の、人間の肌に近い色の紙のようなものが付着している。
「カツオブシっていうんですって」
これはベルが宿屋のカウンターで見つけたものだった。
「ふうん。聞いたことがないね」
「もとは魚だったらしいですよ」
「へえ……」
もしや魚に魔法をかけたからこんなに薄く、小さく、半透明なのだろうか。ふうっと息を吹けば舞い散るどころか、エルストやベルの無意識の呼吸にすら反応してカツオブシというのはテーブルの上に散らばった。おかげで恥ずかしい散らかりようである。
以前はチキンステーキを食べ、もちろんそれも絶品だったのだが、タマネギはタマネギでしっかりとした美味しさがある。素材ひとつひとつが味を確立していてとても価値があるものだと思った。エルストは残りのタマネギに手をつけた。
「ええっと、今日はゴリ先生に挨拶したあと、すぐに村を出るということで、いいんですよね」
宿屋をチェックアウトした一行は村の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。山の空気というものは心なしか気持ちよく感じる。ブラウン火山やグランド・テレーマとはうって変わってひんやりと冷たいそよ風が一行の全身を撫でる。ここではエルストも緑のケープを着ている。
「うん」
風に吹かれて額が冷たい。
王国領とドルミート領を隔てる山脈の、ほんのすきまを埋めるように築かれた村は本当にのどかだ。緑豊かな山々を背景に、いろんなかたちの葉を彩った畑や田園が広がっている。丸太や廃材が転がっているが、これらは研究所の再建に使った屑なのだろうか。廃材にキノコが自生しているのをベルが見つけはしゃいでいたが、見たこともないキノコの種類を言い当てられるほどエルストもベルもキノコには詳しくはない。おまけに虫も見つけた。ベルはこの虫は知っているらしく、これはカマキリって言うんですよとエルストに教えていた。腕が痛そうな虫だなとエルストは思った。
〝新王立魔法研究所〟は、村のなかでもとくに平地の場所を選んで建てられているようだ。宿屋の斜め向かいに歩いたところに建設現場はある。
「もすこしゆっくりしていきたいなあ」
アギはすでに名残惜しそうだ。この風景と食材が気に入っているのだろう。
「また来れるかもしれないよ」
カマキリを逃がしたエルストが言う。
「次のドラゴンに会うために、またここをとおるかもしれないんだから」
その時はまた、アギにタマネギでも焼いてもらおう。
荷物を背負った一行は建設現場へと向かった。工事は早朝から始まっているらしかった。男たちの太い声が宿屋にまで聴こえていたからだ。現場に到着すると、なんと魔法使いたちまでもが作業に徹していた。ゴリの部下なのか。パートナーであろう加工済みドラゴンたちは自らの出番がないことを不満に思うように、じつに退屈そうに魔法使いの頭の上にいる。一行は彼らの総監督の姿を探す。
「あ、いた、いた」
その姿を見つけるのは簡単だった。ゴリは背が高く、体格がよい。身の丈ほどもあるローブをまとい、作業員たちに指示を出すゴリは現場の中央付近にいた。かすかに舞う砂埃のなかにもくっきりと上半身が見えている。研究所は石垣と床まで作業が進行しているようで、壁の設置まではいまだ着手出来ていない。
「おーい! ゴリ先生ー!」
ベルが高い声でゴリを呼ぶと、作業員たちはなんだなんだと次々に視線を寄越した。エルストは胃が掴まれる思いであった。ベルの声に気付いたゴリは、一行のほうを見るや否や、そこにエルストの存在があると知り、すぐに指示を中断し巨体を動かして足早に駆け寄ってきてくれた。
「エルスト様。いらしておいででしたか」
「昨日の夕方に到着したんだ。もうすぐにここを発つけれど……その前に、ゴリに挨拶しようとベルとアギと話してて」
「それは知りませんでした……申し訳ありません」
ゴリは巨体を折り曲げて罰が悪そうにした。いいんだよ、とエルストは手を振る。
「工事は進んでるの?」
「はい。とはいえ、完成はまだまだ先になりそうですがね」
魔法を使いながら作業を進めているのだが、建設に魔法を使うのは皆が初めてだから戸惑っているのだとゴリは言った。モルタルの表面を整えるのも、石を削るのも魔法頼りなのだそうだ。しかし作業員の大半が村の農家の男たちなので、王国による指示の細かな研究所を建てるにはひと苦労らしい。専門の建設作業員の派遣を要請しても、王都はなかなか寄越してくれないのだそうだ。
「……こういう時、チ・ビたちがいてくれると助かりそうなのにね」
エルストはベルに言った。ベルもうなずいている。
「それはよしときな」
その時、まるでエルストの言葉に返事をしたかのような声が聴こえた。エルストはあたりを見回す。するとそこへ、いつの間にか、浅黒い肌の長身の男が現れていた。オリーブ色のマントを羽織った男だった。背には、へんな楽器を背負っている。
男はたしかにエルストに向かって言ったようだった。エルストをまっすぐ見つめている。頭にはカーキ色のバンダナを巻いており、波がかった黒の前髪がそよ風に揺れている。
「またおまえか」
異邦の風を吹かせた男に、ゴリは溜め息まじりに言った。
「なんや、ゴリの知り合いか?」
アギが尋ねたが、ゴリは首を振る。
「ちがう。こいつは、数日前からこの村に滞在している……名前は知らんが……歌うたいなんだ」
「〝歌うたい〟?」
ベルやエルストは首をかしげている。
「……あっ」
すると、ふとエルストが思い出したように言う。
「僕、この人、会ったことがある……」
「ええっ?」
それを聞いたゴリはとたんに慌てふためく。
「エルスト様のお知り合いでしたか」
「いや、知り合いというか……グランド・テレーマの大通りでぶつかってしまったんだ。僕がよそ見していて」
「グランド・テレーマ? ……」
男はぽりぽりと首筋を掻いた。
「……ああ……そういや、誰かにぶつかられた気がする……」
そして曖昧そうに言うのだった。一方でベルとアギにはまったく身に覚えがないようで、誰ですかとエルストに尋ねていた。ベルたちが焼きトウモロコシを買いに行っているあいだの出来事だよ、と告げると、ふうん、とまじまじと男を見ていた。エルストがベルの表情を見るに、ベルは男に対してやや警戒しているようだ。男の雰囲気が独特であるからか。
「あの時は、ごめんなさい」
「いや、べつに、さして気にしてない。それより……」
男は首筋に手をかけている。
「あんたら、チ・ビたちを知ってるのか?」
その態度に不快感をあらわにしたのはゴリだった。
「貴様、こちらにおわすのは王国の王子であらせられるエルスト様だ。態度をつつしみたまえ」
「王国の……王子? ……」
エルストを眺めながら眉をひそめている。いまいちピンときていないようだ。
「……ああ、なるほど」
そして合点がいったらしい。
「誓約の旅だからか……」
男はぼそぼそと言っている。何言ってるんだ、聞き取れない、とベルは表情で不服を訴えている。
「おまえこそチ・ビたちを知っとるんか?」
訊いたのはアギだった。
「ブラウン火山に住むドラゴン加工職人のチ・ビだろ。ちょっとした知り合いでね。もいっかい言うが……チ・ビたちを巻き込むのはよしときなよ、もう」
男があまりにもしつこく食い下がるので、ベルはいよいよ不審に思った。チ・ビとは誰ですか、とゴリはエルストに訊いている。ドラゴンの加工職人の一族なんだ、とエルストが答えると、ゴリはああと納得した様子だった。加工職人の存在のことを知っていたそぶりだった。王立魔法学園の教員ともなれば、加工職人の存在の噂も聞き及んでいるのかもしれない。
「あなた、誰なんですか。いきなり現れて……歌うたいっていうのも、イマイチよくわかんないし」
ベルは腕を組む。
「ああ……そうか」
男は顔色ひとつ変えない。しかし何かには気付いたらしい。
「そうだな。名乗りもしないのはたしかに失礼だった。おれはウォーベックマン。さすらいの吟遊詩人さ」
おまえが求めていたのは名前だったのだろう、どうだと言わんばかりに男は堂々と自己紹介した。歌うたいとは、吟遊詩人のことだったらしい。
「吟遊詩人て……名乗られたところでますます怪しくなってきたがな」
アギの口角は引きつっている。ベルやアギにとって、吟遊詩人は馴染み深いものではなかった。エルストも、詩人のうたはあまり聞いたことがない。国王はそういった芸者には無関心で、わざわざ客人として王城に招き入れることもないのである。芸者自ら拝謁を願い出ても、国王自身は耳を貸さず、代わりに部下に聞きに行かせていたことをエルストは人づてに知っている。
「……私はベルです。こっちは私のパートナードラゴンのアギ」
自己紹介されたならこちらも名乗るべきであるとわきまえているベルも、渋々ながら名前を名乗った。不本意そうだ。
「私は王立魔法学園で教師をしているゴリだ」
「教師? 魔法学園の教師がこんなところにいるのか」
ウォーベックマンは改めてゴリを見た。背丈はゴリのほうが高い。
「事情でな」
ゴリもまたウォーベックマンを警戒している様子だ。
「ふうん。村人から聞いたが、ここに建てているのは王立魔法研究所なんだろう」
ああ、とゴリがうなずいた。
「以前の王立魔法研究所は十八年前に火災で焼け落ちたというのは本当か?」
「吟遊詩人のわりにずいぶん古い情報を持ち出してくるようだが、間違いない」
古いだとよ、とアギはベルとともに自虐した。今ウォーベックマンやゴリが述べた〝ずいぶん古い情報〟を知らなかったのは紛れもなくこのベルとアギも同じであったからだ。
「エルスト王子。村の男たちには建設が難しいからといって、それをチ・ビたちに押し付けようとはムシがよすぎやしないかい」
ウォーベックマンはそんなことを言った。
「あ、いや、僕は……押し付けるだなんてことは……」
名指しされたエルストはわたわたと両手を振って誤魔化そうとした。
「エルスト様は我々にご配慮くださったのだ。物言いには気をつけたまえよ、ウォーベックマン」
「……そうか……」
ゴリに言われると、ウォーベックマンはその顎に細い指を当てた。
「それはすまなかったな。てっきり、おれは、あんたが王国の差し金だと思ったんだ。なんせここは王立魔法研究所の建設地で、あんたは王国の王子ということだからさ」
「ちょっと。エルスト様を〝あんた〟呼ばわりされる筋合いはありませんよ、あ・ん・た・に!」
ベルは鼻の穴を膨らませてムキになっている。そのさまはじつに子どもらしい。
「ああ〜……」
そこで初めてウォーベックマンは顔色を変えてみせた。しまった、とふたたび首を掻く。
「いや、本当に悪気はないんだ。くせだよ、くせ。なんていうか……昔からの」
「ずいぶん育ちが悪いやっちゃなァ」
「そういうあんたも訛りがひどいな。……って、ああ、また……いや、すまないね」
どうやら本当にくせのようだ。困ったな、なんて言いながらウォーベックマンは居住まいを正そうとしている。そんなウォーベックマンに怒ってしまうのはなんだか不憫に思え、エルストは、その呼び方でいいですよと助け船を出した。
「ありがとな」
ウォーベックマンは白い歯を覗かせながら苦笑した。
「ま……チ・ビたちに押し付けようってんじゃないんなら、それでいい。邪魔したな。じゃ」
ウォーベックマンはそれっきり、手を振ってこちらを見ようとはせず、颯爽と去っていった。一行は呆気にとられる。
「なんか、すっごくへんな人……」
ベルの感想に、エルストは思わずうなずいた。
「あの男、いつも村で歌をうたってるんだ」
ゴリがベルに言った。
「ほー。吟遊詩人っちゅうのはホンマらしいな」
「ああ。だが、あの間の抜けた声が現場まで聴こえてくるもんだから、必死こいて働いてる作業員たちにはいい迷惑になってる。困ったもんだ」
「ま、間の抜けた声……」
どこかのんびりした人物であるということは話してみて理解出来たが、間の抜けた声で歌うとはいささか微妙な印象である。聴いてみたいが、いや、やはりやめておこう。エルストはウォーベックマンの去っていったほうを見つめながら思った。
「ところで、エルスト様たちは誓約の旅の途中のはずでは? 寄り道ですか」
それともこれが正しいルートの途中なのか。ゴリは尋ねた。
「寄り道、ということになるのかな。じつはこれから王都に戻ろうと思ってて」
「……王都に?」
難しい顔をしたゴリはエルストとベルを交互に見比べた。その表情の変化の意味を、一行は察することが出来た。なぜならここは境界村だ。グランド・テレーマから馬車に乗って王都に行くならば、必ずとおらねばならない場所である。
「先日、マックス様がこちらにお見えになられましたが……」
やはりだった。
「まさかその件のことで?」
エルストがうなずくと、ゴリはいちど歯を食いしばった。
「オフルマズド教の神父を捕らえたのは私ですから、マックス様は私にお話しくださいました。サード・エンダーズなる悪党一派であるドルミート侯爵とそのご子息を、王都へ連行するのだと……そして、ご子息が、エルスト様を襲った真犯人だともね。例の、黒い服の男でしたか」
「謝礼金とか出たんとちゃうか?」
「アギ。今はそんな話じゃない」
ゴリはアギのからかいを一蹴した。
「お尋ねしますが、いったい何のために?」
サングラスの奥から鋭い眼光が飛んでくる。
「アドルーに話を聞きたいんだ。どうして僕を襲ったのか」
「それは王立魔法騎士団の役目ですよ」
ゴリは言外にエルストの出番ではないと告げた。エルストは言い淀む。まったくもってそのとおりだからだ。ゴリの胸下に視線を落としたエルストを見かねてベルが口を開く。
「騎士団がアドルー様から話を聞いたら、騎士団はそれをエルスト様に教えてくるんですか?」
ベルは何食わぬ顔である。
「エルスト様はそれが知りたいんです!」
「侯爵親子から得た情報によっては騎士団の機密事項に触れます。おわかりでしょうが、王立魔法騎士団は国王陛下の直轄の軍団ですので、軍令の許す範囲内での情報でしたらエルスト様にもご伝達くださるかと。それも、まずはエルスト様が王立魔法騎士団に情報開示を要求なさってからの話です」
「ま、まどろっこしいな〜」
アギは形式ばったことは苦手らしい。
「ルールあっての秩序。秩序あっての国家だ」
「あ! ワシ、ええこと思いついたで。アドルーのこと、国王に直接聞こうや!」
「アギに耳はないのか?」
なんて困ったドラゴンなんだ。ゴリは溜め息をついた。
「王立魔法騎士団というのは現在、国王陛下が元帥、つまり最高責任者だ。アギ、この意味がわかるか?」
「騎士団は国王のモノっちゅうことやろ」
「広く言えば、まあ、そうだな。騎士団の意志は国王陛下の御意。騎士団内部の機密事項を漏洩することは国王陛下おん自ら粗相をなさるということだ。とりわけ今回はエルスト様を巻き込んだ事件。国王陛下も慎重になられているだろう」
「情報はめったに口外しない、と?」
ベルが言う。
「そのとおり」
ゴリは大きくうなずいた。ベルはエルストを見る。ゴリに言われたら、エルストの心も揺れ動いてしまうだろう。宮廷魔法使いであるベルにとって最優先すべきはエルストの意志だ。もしここでエルストが折れるのなら――
「いや、行きます!」
腕を振り切り、ベルはゴリに向かって叫んだ。
「ベ、ベル?」
とつぜんの大声にエルストは戸惑っている。
「エルスト様だけじゃなくて、私だって納得出来ていません。それに、私は、エルスト様の宮廷魔法使い! サード・エンダーズがなぜエルスト様を狙ったのか、私だって知りたい」
そうだ。ベルが優先すべきはエルストの意志。そしてもうひとつ、エルストの身の安全だ。
「もしもエルスト様がまたサード・エンダーズに狙われるなら……いえ、〝まだ狙われている〟のなら……アドルー様からの話を聞けば、これから起こり得るサード・エンダーズからの急襲だって防げるかもしれない。そうじゃないですか、ゴリ先生?」
「……むう」
ゴリは額を掻く。
「わかった」
やがて、しかたなしにうなずいた。
「そういうことなら、エルスト様、私は反対はしません。何よりあなたの宮廷魔法使いはベルなのですからね。ふたりとアギで行く道を決めて、誓約の旅を終えてください」
「ありがとう、ゴリ」
「旅の成功を祈っています」
「旅といえば、先生。お訊きしたいことがあるんですけど……」
「ん? なんだ」
改めて向き直った愛生徒に、ゴリは腰に手を当てて応じる。
「ゴリ先生って、ドラゴンがどこにいるか、ご存じではないですか?」
「加工されていないドラゴンという意味か?」
「そうです、そうです。生身のドラゴン!」
「そうだな……俺が知っているのは、湧水洞のドラゴンと、ブラウン火山のドラゴンだけだな。おそらく火山が一番有名なんじゃないか。見たことはないが」
それはエルストやベルが期待していた返答ではなかった。ベルはあからさまに落胆している。そんなベルにエルストは苦笑しつつ、ありがとう、とゴリに礼を述べた。
「おまえは知らへんのかいな」
アギが、ゴリの首にかかるドラゴンをちらりと見た。このストールはゴリのパートナーである加工済みドラゴンだ。今までおとなしくしていたが、そこでようやく声を聴かせる。
「長い間、ほかのドラゴンとは交流しておらぬ」
つまり知らないらしい。
「ケッ。頼りにならへんな〜」
コラ、とベルがアギの鼻を小突いて制止した。
「王都に行くのなら、魔法学園の図書室で調べてみればいい。あそこの蔵書は王国一の数だ。種類も豊富だぞ」
「そこって、僕でも入れるの?」
生徒ではないエルストは、もちろん図書室を利用したことがない。
「職員にお尋ねください。エルスト様なら、きっと許可証を配布されますよ」
「王子やったら、兄貴に聞けばええやん。カーシーに」
カーシーならばすぐに取り合ってくれそうだ。弟の頼みなら、応えてくれるだろう。
「……っちゅうか、兄貴にドラゴンの居場所聞くほうがはやいで! あの兄貴も誓約の旅は済ませとるんやろ?」
「おまえはまた……本当に抜け目がないな」
「頭がキレる言うてくれや」
アギはワハハハと高らかに笑う。ゴリの知る限り、このドラゴンは本当にお調子者だ。
「じゃ、エルスト様、そろそろ出発しましょ」
「そうだね。それじゃあ、ゴリ、またいつか」
旅をしていればまた境界村にも立ち寄るだろう。再会するのは、さほど遠くはない未来である気がする。一行はゴリに見送られ、王都マグナキャッスルに向けて境界村を出る。
「お気をつけて。オフルマズドのご加護がありますように」
ゴリはにこやかに手を振っていた。