足手まといの魔王さま
召喚される時に思わず掴んでいたスマホには、驚くべき力が宿されていた。【?】というアプリは、この世界に関する説明書であると気づき、拓人は喜びの雄叫びをあげる。
【?】には、いくつかの見出しが表示されており、見出しをタッチすると、それについての詳しい説明が載っていた。以下、その見出し一覧である。
・このスマートフォンについて
・このアプリについて
・アプリDCについて
・狭間の草原について
・ゴブリンについて
・魔族について
ま、これだけなんだけどね。しかしどうやら、見出しの数は適宜増えていくようである。現時点で俺が狭間の草原――このエリアはそんな名前らしい――にしか行ったことがなく、魔族であるゴブリンにしか会ったことが無いからこの数しか無いだけで、他のエリアに行けばそのエリアの概要が、他の種族に会えばその種族の情報が追加されるそうだ。
収集欲がそそられるじゃないか。ここまでやってくれるなら、質疑応答みたいなこともやってくれればいいのにな〜。なんて思うけど、これは望みすぎだな。うん、そんなの無くてもハテナちゃんは最強。異論は認めない。
ニヤニヤとスキップしてはしゃいでいると、ゴブ爺に話しかけられた。
「魔王さま、いかがなされましたかな?」
え? ルンルンしてただけだよ? しかしそんな事を言うのは恥ずかしいので、誤魔化すことにする。
「これは訓練だ。このように戦闘のリズムを身に刻みつつ跳躍し進むことで、移動と訓練を同時に行うことができる、非常に効率の良い訓練方法だ」
さすがに苦しかっただろうか。しかしそこはチョロリン。皆一様に「なるほど!」という顔をしたかと思うと、一斉にスキップし始めた。(おそらく)この世界初の、スキップゴブリン誕生である。ああごめん、調子乗りすぎた……。
「ほっほっほっ! これはなかなか面白い訓練ですのぉ! 愉快な気持ちになってきたですじゃ!」
「お、おお。そうだろ。ゴホン、えーっと、このようにして弛まぬ訓練を続けることで、お前たちゴブリンの血は一層高潔なものとなっていくだろう」
俺がそう言うと、スキップゴブリンどもはピタリと止まり、瞳を潤ませたかと思うと一斉に俺に向かってひれ伏した。
「「「魔王さま! 我ら狭間の地のゴブリン一同、貴方さまに忠誠を誓わせていただきます!」」」
「ええーっ!?」
しまった、思わず素の声が出てしまった。いやだって予想以上の剣幕だったからさ……。
ハテナちゃんによると、ゴブリンという種族は「義」と「高潔さ」を重んじる傾向にあるらしい。俺のゴブリンのイメージが崩壊したよ。何その騎士道精神。カッコよすぎないか。
まあとにかく、ちょうどそんな文章を読んだもんで、実験的に煽るようなことを言ってみたんだが、正直ここまで効果覿面とは思わなかった。我ながら色々と無理があると思ったのだが……。
少なくともハテナちゃんの情報の正しさは証明されたようだ。何の問題もない。
すっごくキラキラした目で見られて妙に居心地が悪いが、何の問題もないったらない。
そんな感じで、ハテナちゃんを読んだり、周りの写真を撮ったり、ゴブリンの忠誠心を上げたりしながらスキップで――修行とか言ってしまった手前やめられなかった――楽しげに移動していると、不意に空気が変わる。
先頭の二人が手のひらをこちらに向けて進行を止めたかと思うと、指を三本握り、一本だけ立てた。ちなみにゴブリンの指の数は四本だ。
俺は、どうしたんだという疑問を込めて、右隣のゴブ爺に視線をやる。ゴブ爺はゆっくりと頷いた。いや、そうじゃなくて。
すると、ゴブ爺が手をこう……なんか妙な感じに動かした。それを見ていた先頭の二人以外のゴブリンが頷く。彼らは通じあっているようで何よりだが、すごいアウェー感である。
陣形が動いた。俺を中心に円を描くような形から、前方を囲むようにした、半円になる。どうやら、そちらの方向を警戒しているようだ。
そして――来た。
「グルゥウウウ……」
痩せた灰色の狼のようなものが一匹、正面に現れる。どっから来た!? 何かが来るんだろうとは予想してたが、本当に何の前触れも無く突然現れたように見えたので、俺は焦る。
対して、ゴブリンたちは落ち着いていた。
狼の一番近くにいたゴブリンは、しっかりと力を乗せた棍棒を狼に向かって叩きつける。
しかし、狼は機敏であった。危なげなく回避し、死に体となったゴブリンに爪を向ける。
間一髪、他のゴブリンが棍棒を突き出し牽制し、攻撃の機会を奪われた狼は苛立たしげに唸った。
その攻防の間に、他のゴブリンたちはジリジリと移動して狼を囲もうとしている。
それに気が付いたのか、狼はグッと前傾姿勢になって力を込めると、跳躍でもってゴブリンたちの包囲を突破――って、ちょ、こっちに来る!?
突然目の前に跳んで来た狼に驚いて足がもつれ、俺は無様にその場に転がった。
狼は悠然とこちらを見下ろしている。
近くのゴブリンが慌てて牽制のために棍棒を振るうが、狼は「構うものか!」とでも言うように、その一撃を受けながらも俺に向かってきて、その牙、を――!
思わず腕を前にして身を庇うが、覚悟していた衝撃は訪れない。
恐る恐る目を開くと、目前で一人のゴブリンが食らいつかれていた。
狼の太い牙は、ゴブリンの左肩に深々と突き立てられ、そこから真っ赤な血が流れ出ている。
――なにが。
衝撃的な光景に頭が真っ白になる。
すると別のゴブリンが、今がチャンスとばかりに、狼の頭を横殴りに重い一撃を食らわせた。
衝撃が傷を更に抉ったのだろう。牙の刺さったゴブリンはうめき声を上げるが、身を引こうとする狼の頭を反対側の手で抑える。
直ぐに二撃目が叩き込まれ、狼はようやくその場に倒れた。
その瞳から力が失われているのを見て、俺は深い息とともに脱力した。
……正直、戦うということを舐めていたのかもしれない。
武器は無くとも、仮にも「魔王」なんだ、ゴブリン程度の足手まといになることはないだろう、と。
物語の中では、異世界に召喚された勇者は強力な力を与えられていた。
俺の場合は勇者では無いけれど、それでもきっと。戦うための力があるはずだって。信じてた。何の根拠もなく。
しかし実際は、ゴブリンたちの活躍を呆けて見ていることしかできなかったばかりか、俺を庇って怪我をさせてしまった。
完全なお荷物だ。
自己嫌悪でいっぱいになる。
……ここは、平和な日本ではない。早く戦う術を身につけないと、命が危ない。せめて自分の身くらいは、自分で守れるようにならないと。
小説の中のような出来事の連続で無意識にのぼせ上がっていた頭がスッと冷えていく。
視線を上げると、先程狼に噛まれたゴブリンを心配するように、ゴブリンたちが集まっていた。
俺のせいで怪我をさせたのに、自分のことで精一杯で気が回らなかったことに、うんざりとする。
幸い命に別状は無さそうだが、かなり酷い傷のようだ。回復魔法――あるかは知らんが――の使い手はいないのだろう。みな暗い顔をしている。
「おい、その……さっきはありがとな。……大丈夫か?」
何て言ったら良いのか分からなくて、どう見ても大丈夫では無いだろうに、そんなことを聞いてしまう。
「! は、はい! すいません、魔王さまに心配かけてしまって……」
「心配するのは当然だろう。俺のせいで怪我させちまったんだ。本当に助かった」
「へへへ、魔王さまの為なら、左腕一本、惜しくはないです。お守りできて良かった」
そう言って、本当に嬉しそうに笑うゴブリンを見ていると、自分に対する嫌悪感が再びむくむくと沸き起こってくる。
「……お前、名は?」
「えっ、あ、エンツォです」
「そうか。安心しろエンツォ。お前の高潔なる左腕は損なわれることはない! 何故なら! 俺がお前を救うからだ!」
正直一か八かだ。うまくいく保障はない。だからと言って、試さない理由なんてどこにもない。
俺は【DC】を起動し、手早く操作を終えると、決定ボタンを押す。
――次の瞬間、目の前に石造りの小屋が現れた。
「よし。エンツォ、中に入れ! この小屋がお前を癒やすはずだ!」
「こ、これは一体………」
俺はスマホをポケットに閉まって、ニヤリと笑う。
「これが俺の力……迷宮創造主だ!」
エンツォ! くそっ。俺は魔王だと言うのに、足を引っ張る事しかできなかった。だが俺はこの力でお前を救う! その腕を失わせはしない!
次回、「迷宮創造主の力」
拓人の持つ、【DC】の力が明らかに。