妖精の住処
妖精の杖が誕生した恐ろしい経緯を知ったタクトとシアンは、二人で妖精の森を目指す。
「あれぇ? 魔王さまとシアンじゃないのさ。どうしたんだい突然」
夜になってようやく森にたどり着いた俺たちの前に、妖精女王アリアが表れる。
「ちょっとな……。って、知ってたのか。俺が魔王だってこと」
そう聞くと、アリアは朗らかに笑った。
「あっはっは! 当然さね。あの時スライムを倒したのは、迷宮創造主の力だろう? これでも伊達に長いこと生きてないのさ」
「長いことって――」
「おっと、ストップ。それを聞くのは野暮ってもんだろ。それより何か用があって来たんじゃ無いのかい?」
その言葉に、俺たちは頷く。
シアンはゆっくりとアリアの元に歩いて行き、例の杖を差し出した。
「ん? ――これは!」
訝しげだったアリアの顔が、みるみる内に驚愕に彩られていく。
……もう気づいたのか。
「……ちょっと、貸してもらってもいいかい?」
「ん」
アリアは震える手を伸ばす。
その滑らかな指先が杖をやさしく包み込んだかと思うと、アリアの頬には涙が伝っていた。
「これは、そうか……フィオナ……」
しばらく呆然としていたアリアだったが、ふと我に返ったのだろうか。
娘に情けない姿を見せるわけにはいかない、とでも言うように、俺たちに背を向ける。
「……どうやら、借りを返しに来てもらったようだねぇ。悪いけど、こいつは今夜一晩預からせてもらってもいいかい?」
「ああ、もちろんだ」
「その代わりと言っちゃなんだけど、今夜はうちに泊まっておいき」
「ん? ああ、元よりそのつもりだ。ちょっとその辺の開けた土地借りるぞ」
「あっはっは、そういう意味じゃないさ」
アリアはそう言って、まだ涙で濡れた顔をちらりとこちらへ向け、気丈に笑って見せた。
「妖精の住処に、招待しようってのさ」
白い魔法陣が表れ、俺たち全員を包み込んだ。
その光はどことなく、俺が召喚された時のことを思い出させる。
転移魔法陣、ってやつなんだろうか。
あの時のやつよりよっぽど複雑で、何やらよく分からん図形が精密に書き込まれているが。――あの時のは、ただの丸だったもんな。それで異世界召喚、なんて芸当ができるのも謎だけど。
魔法陣は光を増していき、俺の視界が白く染まる。
そこは、とても幻想的な場所だった。
月の光を柔らかく反射する、大きな泉。
辺りを飛び交う、ほわほわとした光の玉。
地面には淡い青色の花々が咲き誇っていて、風で揺れるたびにカラリンと鈴のような音をたてる。
妖精の住処。その言葉に相応しい場所だと思った。俺は素直に感嘆の声をあげる。
「これは……なかなかだな」
「ふふ、お気に召してもらえたみたいだねぇ。それじゃ、付いておいで」
む、もっと見ていたかったのだが。
アリアがどんどんと歩きだしてしまうので、後ろ髪を惹かれながらもその後を追う。
やがて、木々に隠れるようにして建てられた、一軒のあばら屋にたどり着く。
おっと、ちょっと意外だ。もう少しきちんとした家に案内されると思った。
別に不満は無い。ただ、彼女がこんなボロ屋に住んでいるのが、純粋に予想外だった。
「さ、お入り」
「ああ」
遠慮せずに上がり込ませてもらう。
中に入って驚いた。
何せ、外からはただの粗末な木造家屋に見えたのに、内側は大理石でできていたのだ。
……って言うか、広すぎる。明らかにこんなに広くなかったよな。おかしいだろ。これも魔法さんの力だったりするの?
俺は呆然と立ち尽くしてしまう。
妖精女王って何者だよ。何か色々とぱねーわ。
俺の様子を見て、アリアは悪戯に成功した子供のように、嬉しそうな声をあげる。
「あっはっは、驚いたかい? さ、部屋はこっちだよ」
そう言って俺たちを案内するアリア。
俺はその道すがら、ずっと気になっていたことを尋ねることにした。
「妖精って何なんだ?」
「んー? 妖精は妖精さ」
「……」
返ってきたのはシアンと同じ要領を得ない答えで、俺はムッとして黙り込んでしまう。
「不満足かい? そうさねぇ。妖精とは、あたいの子供……かな?」
「じゃあ妖精女王って?」
「妖精の母親さ」
「答えになってないぞ」
俺がそう言うと、アリアは顔を顰める。
「それじゃアンタは、魔王が何か知ってるのかい? 人間って何か答えられる?」
「む、そう言われてしまうと……」
「それと同じさ。ま、なんとなく分かってることはある」
「分かってることって?」
「あたいたちが、精霊の親戚みたいなもんだってこと。人の目に映る、魔力を持った精霊――かねぇ? はっきりとは分からないけどさ」
精霊の親戚。その言葉に俺は、シアンをちらりと見る。可愛らしい羽を揺らし、銀色の髪をたなびかせてぴょこぴょこと歩くシアン。その姿は、確かにどことなく神聖で、精霊と言われても納得できる雰囲気を身にまとっている。
「そういえば、生まれたてって言っていたわりに、シアンは色々と物知りな感じだったが」
「ああ、それは妖精の知識を持って生まれるからさ」
「妖精の知識?」
「あたいの知識だよ。全部って訳にはいかないけど、役に立ちそうなことはなるべく教えてあげてるのさ」
「ふーん。便利なものだな」
「さ、着いたよ」
そう言って案内されたのは、品の良い調度で彩られた、清潔で過ごしやすそうな部屋だった。だが、部屋の中央にデンと置かれたキングサイズベッドが、すべての感想を吹き飛ばす。
「……これって俺の部屋、だよな?」
恐る恐る聞く。
「もちろん、あんたとシアンの部屋さ」
俺は項垂れる。いつも宿で一緒とは言え、アリアにそう勧められると……なんかこう、恋人の母親に「子供はまだかしら」とか聞かれるような気恥ずかしさを覚えるのだ。
もちろんそんな経験は無いし、シアンとはそんな関係じゃないが。
「さすがお母さま……よく分かってる」
そんな声が聞こえた気がするが、サクッと無視をしてベッドにダイブする。
うおお……これはあかん……ふっかふかやで……。
そのまま眠りに落ちてしまいそうな意識をなんとか繋ぎ止め、俺はスマホを開く。
あの猿を倒してレベルが上った時は何とも微妙な気持ちで、ステ振りをする気分になれなかったからな。
忘れないうちにやっておこうと思ったのだ。
「――って、レベル十六!!?」
表示されるレベルに、一気に眠気がふっとんだ。そしてすぐに合点する。
……そうか、ポイズントードの分か。
邪神からの電話でうやむやになってたけど、あんな強敵を倒したんだ。そりゃレベルも上がるよな。
「しかし、一気に倍とはな……」
蛙と戦った時は、直前にレベルが上がって八だったはずだ。
さっきの猿の分もあるけど、蛙だけでかなり稼いだことになる。
嬉しいが、ちょっと疑問にも思う。
「ゲームなんかだと、格上の相手に対して経験値の補正が付くこともあるが……」
「タクト、ゲームって?」
「ん? おお」
同じベッドで寝転んでいる俺に、シアンが身を乗り出して近づいてくる。
寝間着に使っている白いネグリジェが動いたことで乱れ、俺は居心地が悪くなって目を逸らした。
「え、ええと、そうだな。俺のいた世界で流行ってた、娯楽の一つだよ」
「ふーん」
シアンはその答えに満足したのか、それとも理解できないだろうと諦めたのか。興味を失ったように離れて行った。
……ふう。心臓に悪いな。未だに慣れない。
「しかし、ゲーム、か……」
何気なく出た独り言だったのだけど、この世界はあまりにゲーム的だ。
俺に馴染み深い概念だし、分かりやすいし、そういうものなのかなーなんて思って、深く考えることは無かったけれど。
よくよく考えるとどこかおかしい。
……普通、ちょっと魔物を倒しただけでいきなり強くなったり、スキルを手に入れたら突然何かができるようになったり、ステータスポイントを振り込んだだけで腕力が上がったり、するのか?
何だかモヤモヤした。
あの男なら何か知っているだろうか。
そう思うも、電波は圏外。
ったく、後でかけて来いとか言っておいて、これじゃできねえじゃねえか。
俺は気持ちを切り替えて、溜まったポイントを振り分けることにした。
今溜まっているのは、四十ポイント。
ニヤニヤが止まらない。
八神拓人 Lv.16
HP 30/60(3UP)
MP 50/50
STR 30(15UP)
DEF 13(5UP)
MAG 10(6UP)
SPD 10(5UP)
DEX 10(6UP)
いい感じに強くなった。
これで本当にもう、ゴブリンたちの足を引っ張ることもないだろう。
そう喜んでから、あいつらといることを当然のように考えている自分に気づいた。
知らずに意思を曲げさせちまうんじゃないかって、あれだけ悩んだのにな。
……だが、それでもやっぱり。
あいつらは俺にとって、初めてできた仲間なんだ。
翌朝、アリアから杖を受け取る。
「いいのか?」
「あんたたちの物だろ。……充分、お別れはしたさ」
そう言って悲しそうに笑うアリア。
「それに、ちょっとだけど浄化して、あたいの加護を与えておいた。あんたたちの役に立つはずだよ」
そう言われては否やは無い。ありがたく受け取って、シアンに渡す。
「ああそうそう、加護についての知識をあげとかないとね」
アリアはそう言うと、シアンにゆっくりと近づき、愛しそうに抱きしめた。
瓜二つの彼女たちの身体が、淡く発光する。
その姿はとても神秘的で、清らかで。俺は思わずため息をこぼして見惚れてしまう。
「……何だか、借りを返してもらうどころか、借りを作ってしまった気がするねぇ。まさかフィオナの行方がこんなとこで知れるとは、思ってもいなかったよ」
「いや、そうでもないぞ。あの素材や布はかなり役立った。この間もこの服に救われたばかりだ」
「そうかい? それは幻光虫の糸で編んであるからねぇ。耐久力は指折りだろうさ。……どうせなら、また何か持って行くかい?」
お言葉に甘えて、迷宮に使う素材を少し分けてもらう。布は手で持って行くのが大変なので遠慮した。空間系の〈精霊魔法〉はかなり難しいらしく、加護を得たシアンでも使えないようだ。
欲しければいつでも取りに来ればいいさ、とアリアに言われ、俺は心の底から礼を言う。
それから朝食――森の野菜のサラダや、木の実のパイなど、ヘルシーで素材の美味しさが伝わるような極上の料理だった――をいただき、妖精の森を後にした。
「もう少しで町だな……さすがに二日続けてこれだけ歩くのはキツすぎるぞ」
「ん……私もちょっと、つかれた」
「帰ったらソッコーで宿行くぞ」
だが、ようやく帰ってきた俺たちの目に映ったのは、燃え上がる町だった。
次話、「壊された平和」
様変わりした町。ゴブリンたちは無事なのか。タクトたちは町中を駆け回る。




