かなしい杖
妖精の杖を手に入れることに成功したタクトたち。しかし、シアンは突然妖精の森へ行きたいと言い出す。何故かと問うタクトに、シアンはその杖に隠された物語を伝えようとする――。
「クソッ! 何であいつばかり!」
重厚な机を殴る音が鈍く響く。
自身の執務室で、クロードは荒れていた。
それもこれも全て、憎き女のせいだった。
「今度こそは陛下に認めて頂けると思ったのに……」
年に一度開かれる、勲章授与の式典。
偉大なる魔術士に与えられる、月の勲章。
それを今年賜るのはクロードに違いないと、誰もが信じ切っていた。――あの女が、どこからともなく表れる前は。
「何が妖精だ。何が精霊魔法だ。そんなの、本物の魔法ではない……。皆騙されているのだ!」
貴族として生を受けてから三十余年。
幼き頃より魔術の才を見出されたクロードは、ひたむきに魔導の道を探究してきた。
誰よりも努力して来た自負がある。
だがしかし、そんな才能も、努力も、種族差の前ではあっという間に覆ってしまった。
「クソッ!」
獣人はもともと、魔術に適した種族ではない。
虎の獣人は、その辺の人間より圧倒的に強い腕力を持つ。
しかし魔術に関して言えば、その適性は絶望的だった。
にも関わらず、自身に与えられた才をしっかりと伸ばし、立派な魔術士となったクロード。
誰もがその努力を認めたし、そのひたむきさは尊敬をも集めた。
しかしそれは、“ハンデを背負いつつも何かを成し遂げた者”に対する尊敬でしか無かった。
クロードの魔術は、頭打ちを迎えていた。
それはクロード自身にも、薄々と分かっていた。ただ、気がつかないフリをしていただけだ。
そこに彗星のごとく表れた、妖精だと名乗る少女。
その魔法はあらゆる自然を操る――。
普通の魔法が、魔力で擬似的に何かを形作っているだけなのに対し、彼女の魔法は、あらゆる現象を具現化させた。
雨を降らせと言えば雨が降る。
時間とともに消えてしまう、偽りの雨ではない。
生命を育むことのできる、恵みの雨だ。
少女は干ばつに陥っていた地域を救うと、一躍時の英雄になった。
そしてわずか一ヶ月で、クロードの築いてきた何もかもを奪い去り、月の勲章をまでも賜ることとなった。
許されていい話では無かった。
クロードは嫉妬に身を焦がす。
そしてその炎は、少女に牙を剥いた。
「あら、クロードさん。どうしたんですか?」
その日フィオナが本を買いに出かけると、家の門にクロードが立っているのを見つけた。
魔術士の大先輩である彼のことを、フィオナは少なからず尊敬していた。
彼の種族のことを思えば、どんなに努力したんだろうと、胸に込み上げるものまである。
そんなクロードが自身の目の前に表れて、フィオナは喜んだ。なんだか避けられているような気がしたけれど、良かった、気のせいだったんだ。でも、いったいどうしたんだろう。
「月の勲章のお祝いをしていなかったと思ってな」
「お祝いなんて……そんな。本来はクロードさんが受け取られるはずでしたのに」
月の勲章と聞いて、フィオナは顔を歪める。
クロードが受け取ると、誰もが信じていた。そしてフィオナもまた、その一人であった。
陛下に認められたのは、素直に嬉しい。
けれど、尊敬する先輩の活躍の場を奪ってしまったようで、式典の最中は穏やかではいられなかった。
申し訳なさそうにするフィオナを見て、クロードは心の中で毒づく。
魔女め。思ってもいないことを。
だがそれも今日で終わりだ。
これからは、俺が英雄になるのだ。
そう思って、ニヤリと笑う。
「いや、祝わせてくれ。お前の成功と――俺の覇道の始まりをな!」
その言葉と共に、隠し持っていたナイフを取り出すクロード。
それは無防備だったフィオナの胸に、容赦なく突き立てられる。
「クロード、さん……?」
「ふはははははは! そうだ! 最初からこうすれば良かったのだ! 偽りの魔術で民を欺く魔女など、存在してはならん!」
クロードは高笑いした。
これでもう俺の邪魔者はいない。
それどころか、こいつはこれから俺のためによく仕えてくれることだろう。
――そう、そうすればクロードにも精霊魔法が使えるようになると、“女神様”が教えてくれた。
クロードは一人執務室に戻ると、己の極めた魔術の一つである〈空間魔法〉を使って、中に仕舞い込んでいたフィオナの亡骸を取り出す。
全てお告げの通りだ。
証拠を跡形もなく魔法で片付けてしまえば、クロードの凶行に気づく者はいない。
もともと根無し草の妖精だ。気まぐれを起こして消えたのだと誰もが信じるだろう。そして――。
クロードは長い年月を共にした愛用の杖を捨て去ると、フィオナだった物からその心臓を取り出す。
それを安物の杖に擦り付け、血を染み込ませていった。
こうすることで妖精の匂いが染み付き、周りの精霊たちを“騙す”ことができるという。
時間が経てばやがて匂いは薄くなっていくだろうが、少なくともクロードの生きている間は問題ないだろう――そう“言われた”。
「ふはははは! これで私も歴史に名を残すほどの、偉大な魔術士になるだろう! なにせ、獣人にして精霊魔法を操る、唯一の存在だ! ああ女神様! ご覧になっておられますか! 貴方様のお告げのおかげで、私は――」
◆
「なん……だ、今の」
境界の町シュライの路上で、俺は吐き気を堪えていた。
言うまでもなく、今流れ込んで来たばかりの映像が原因だ。
「これがこの杖の、物語」
シアンは悲しそうに瞼を伏せる。
ああ、クソッタレ。女神って奴は、想像以上のクソッタレみたいだ。クロードを狂わせ、フィオナを殺し、時を経た今も、こうしてシアンを悲しませている。
「……それで、妖精女王に会いたいって?」
「ん……。きっと、お母さまのことだから。フィオナがどうしたのか、ずっと心配してたと思う」
「はは……まあ、な。こんな話を見ちまった後じゃ、ノーとは言えねえな。」
「いいの?」
「もともとあいつには借りがあったからな。シアンの頼みだし、構わないさ。ゴブリンたちに一言断ってから、出発しよう」
ゴブリンたちはすぐに見つかった。串焼き肉の屋台でたむろしていたからだ。
「お前ら本当にコレ好きだな……確かに旨いけどさ」
「あ、まおーさまだーっ!」
「チビリンまでいるのか。珍しいな。また服でも見に行ったのかと思った」
「行きたかったんだけど、おじーちゃんがひとりじゃダメって……」
そう言って頬を膨らますチビリン。だが、すぐに破顔すると、目をキラキラとさせて聞いてきた。
「まおーさま、いっしょに来てくれる?」
「う……。悪いな。ちょっと用ができたんだ。ここに寄ったのも、出かけてくるって伝えておこうと思って」
「ええーっ」
悲しそうな顔をするチビリン。
罪悪感に心が揺れる。
……もしかして〈おねだり〉のスキルでも使っているのだろうか。
すると、チビリンと一緒にいた別のゴブリン、ラストが話しかけてきた。
「お出掛け、ですか。いったいどちらへ?」
「ちょっと妖精の森にな」
ラストは俺の言葉に驚いて、付いて行くと言う。話を聞いていた他のゴブリンたちも同様だ。しかし――。
「いや、お前たちは待っててくれ。シアンと二人で行ってくる。俺も多少は強くなったし、問題ない」
俺はまだ、彼らとの付き合い方を計りかねていた。
◆
俺たちは町を出て、妖精の森へと向かう。
……あー。何時間歩かなきゃならないんだ。考えると気が滅入るな。
だがしかし、シアンを見ると、何やらご機嫌な様子で口角を僅かに上げていた。
最初は無表情な奴だと思ったが、だんだん感情を出すようになってきた気がする。
それとも、俺が感情を読み取れるようになったのか?
「シアン、機嫌良さそうだな。やっぱ故郷に帰るのは嬉しいのか?」
俺はそこまで日本に帰りたいと思わないんだが、きっと普通は恋しくなるもんなんだろう。
シアンが喜ぶなら、ちょくちょく連れて行ってやるのも良いかもしれないな。
しかしシアンは、俺の言葉に首を横に振る。
「ちがう。タクトと二人だから」
「……ええーっ!?」
いや、ちょ、待て。落ち着け、俺。シアンのことだ。何の他意もなく同じ部屋で寝たいとか言う奴だぞ。きっとこれも、変な意味は無いんだろう。ドキッとするな。ときめくな、俺。
「あ、え、あ、その、ええーっ!?」
駄目だ、不意打ちすぎた。頑張って落ち着こうと思ったんだが、無理だった。
シアンはそんな俺を見て、何を思ったのだろうか、くすりと笑う。
そう、笑ったのだ。シアンが、笑ったのだ!
車椅子の少女が立ち上がったかのような感動を覚える。俺の胸は一気に温かくなった。
「……そういや、ポイズントードの時や、宿では二人だったけど、いつもはゴブリンたちがいるもんな。こうして二人で外を歩くのは初めてか」
「ん。うれしい」
「嬉しいって、お前――」
風が吹いた。
シアンの髪がさらさらと舞う。
「ん。二人だけでも大丈夫なくらい、強くなった」
「……はぁぁ。ま、そうだよな」
そんな話だろうとは思った。俺は余計な想像をしてしまったのが気恥ずかしくて、頬をぽりぽりと掻いてごまかす。
「――と、言ってるそばから魔物か。シアン、戦うぞ」
「ん。がんばる」
充電切れが怖くて、マップは道を確かめる時にしか利用していない。おかげで敵の接近を許してしまったようだ。
二人でも大丈夫。そう言ったものの、手のひらがじっとりと汗ばんだ。
ここは、きちんと確認しておくべきだろう。
俺は素早くスマホを取り出すと、目の前の魔物のステータスを覗き込む。
パーリーモンキー Lv.8
HP 110/110
MP 0/0
STR 8
DEF 7
MAG 0
SPD 18
DEX 22
【スキル】引っかきLv.2、歌うLv.4、踊るLv.5、一発芸Lv.3、手品Lv.1、大道芸Lv.1
【称号】遊び人
「……」
その猿は、まさに“パーリー野郎”だった。
サングラスをかけているかのように、黒く縁取られた目。
カラフルな体毛。
アフロのように膨らんだ頭髪。
そしてこのスキル。
うん、間違いなく“パーリーモンキー”だ。
「いやいやいや、おかしいだろ!! その見た目はともかくとして、手品とか大道芸とか、戦う気ゼロだろお前! ってか踊るのレベルたけぇな!?」
思わずそうツッコむと、猿は誇らしげに胸を張る。……いや、褒めてないからね!?
「キキッ!」
「! 来るか?」
猿が突然素早く動き出したので、俺は警戒を強める。
いくら妙ちくりんなスキルの持ち主でも、こいつは魔物だ。
それはそのド派手な見た目で分かる。
この世界の動物は、基本的に俺の世界にいたものと同じような姿をしているのだ。
魔物相手に油断は禁物だろう。
猿は一瞬で俺たちの前まで移動したかと思うと――その場で逆立ちし、巧みなブレイクダンスを披露してみせた。
「……」
「すごい」
シアンはキラキラとした目で猿を見つめている。
だが、俺は何とも言えない気持ちになった。
「……あー、先に進むか」
「キッ!?」
俺が猿を無視して歩き出すと、猿はしばらくの間硬直していた。しかし、すぐに俺に肉薄し――涙を浮かべながら、長い爪を振り下ろす。
「うおっ!? っぶねーな!!」
突然の猿の攻撃に驚きつつも、なんとかそれを避ける。すぐにテンペストを振るって応戦した。
「ギィッ」
「あっ」
……まさか一撃で当たると思わなかった。
『チャラリラリーン』
レベルアップの音がスマホから鳴り響く。
「タクト、あの猿、可哀想」
「言うな。何も、言うな。せめて骨は拾ってやろう」
俺は猿を写真に撮って素材にすると、微妙な気持ちで森への道を急いだ。
女神ってのは、どうやら本当にクソ野郎のようだ。そして猿、なんか、ごめん。
次話、「妖精の住処」
妖精の杖を受け取ったアリアは、タクトたちを自分の住処へと招待する。