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恋の病は草津の湯でも癒せない

 少年たちは電柱のかげから出ると、道を渡り向かいのカフェの白い扉を開けた。ドアの動きに合わせドアベルが揺れて鳴る。

 その音に、店員の伊織と昨日まで店員だった茉莉、それから店長の篠田が顔を向けた。

 のり子伯母と伊織の彼女である勝倉茜はいないようだ。

 ランチタイムを過ぎた店内は、ゆったりした時間が流れていた。

 智と理と佳祐の鼻先にふわりと香ばしく芳しい珈琲の香りが掠める。

 アイスココアを飲み干し、そろそろ帰ろうとしていた茉莉は、見知った顔の集団の入店に目を瞬かせた。


「さとちゃん、珍しいね。ここには牛丼も焼き肉定食も大盛ポテトも置いてないよ」


 ランチタイムにはプレートランチが提供されるが、メインに肉や魚、小さなグラタンがつくとはいえ、野菜と豆腐やおから中心の献立を食べにきたとは思えない。客層はもっぱら女性と、カロリーや健康を気遣い始めた年齢の男性客だ。

 それ以外の時間帯には、珈琲とデザートが目的の来客があるが、デートで彼女に連れられてくる以外、単独もしくは集団の高校生男子が利用するような店ではない。もちろん利用してはいけないわけではないが、求めるものが違うのだろう。滅多に入ってこない。


「知ってるよ。それより茉莉はどうして寄り道してたんだ」


 異界に迷いこんだような場違い感に、恐れ戦き、理の背後で借りてきた子猫状態になっていた智と佳祐は、電柱のかげを飛び出してから店内にいる今まで勢いを失わない理を尊敬していた。ここまでに理は、この店が親戚のやっている店だとは二人に告げていない。


「うん、ちょっとね」


 茉莉は言葉を濁した。

 なんのことはない。三日間働いたアルバイト代を渡すから放課後寄るようにと言われていただけだったのだが、自宅謹慎中に学校に内緒で自宅以外のところにいたのが、少しだけ後ろめたく、周囲に……とくに理の背後の二人に知られるわけには行かなかったというだけの理由である。


「いらっしゃいませ。理くん、久しぶりだね。焼き肉定食はないけど、ゆっくりしていって。お友達も」


 伊織がテーブルに水の入ったグラスを3つ追加で置いた。柔和な笑顔と丁寧かつ親しみを感じる伊織の接客に、棒立ちになっていた男子高校生たちは、茉莉のいたテーブルに席についた。

 伊織はそれを見て満足そうに微笑むと、一礼して離れていった。


 智と佳祐は頬を付けてひそひそ話をする。


「こっわ~、さっきの店員さん、にこにこしているのに迫力なかった?」


「怒鳴り散らす主将よりよっぽど怖いよな。俺、さっさと座れって聞こえた」


「俺も」


 二人の会話を耳に挟んだ玉野姉弟は、顔を見合わせて忍び笑いをする。イトコの伊織は、遼伯父さんに似て冷たさを感じる美形である。それに加えて、店では猫を被っているが、大層毒舌なのだ。性格も結構容赦ない。分かりやすく甘いのは彼女と身内にだけである。


「せっかく座ったんだから、なにか飲んでいく?」


 茉莉が三人の前にメニューを置いた。珈琲、紅茶、ソフトドリンク。ケーキの写真も小さなアルバムのようなメニュー表に載っている。

 智と佳祐は値段を確認して、珈琲一杯の価格に目を剥いた。珈琲一杯500円前後。ケーキも付ければ千円近くなる。

 大盛ポテトにハンバーガー2つ、シェイクMサイズにチキンナゲットを付けるなら千円を超えても惜しくない。けれど、小さなケーキひとつと珈琲で千円は、彼らの中で衝撃的だった。


「俺、水が好きなんだ」


「俺も」


 佳祐と智はひきつった笑顔で、水のグラスを抱え込む。

 茉莉と理はそんな二人の気持ちも分かる。だが、みんなして水だけでいるわけにもいかずカフェオレを注文した。


 二人の会話にクスクスと笑う伊織が、再びテーブルにカップを置いた。珈琲の香りの中に牛乳の甘い香りが溶け込んでいる。


「茉莉と理の友達みたいだから今回は特別に学割半額にしといてあげるよ。ごゆっくり」


 そういうと、伊織は湯気のたつカフェオレを四人に配った。茉莉と理が店長を窺うと、にっこり頷いてくれたのでほっと安心する。

 ありがとうございます、茉莉のお礼の言葉は、


「「「あざーす!」」」


 野太く暑苦しい体育会系の挨拶がお洒落なカフェの店内に響いた声で掻き消され、リトルリーグ出身の篠田はまんざらでもなさそうな表情をしたが、伊織はおもいっきり渋面になって、二人を再びビビらせた。






 カフェのテーブルの上に参考書だの、ノートだの、問題集だのシャープペンシルだのが広がっている。

 静かに流れるBGMにカリカリとペンがノートを走る音が混じって聞こえていた。

 テスト勉強ならここでしてもいいとお許しをもらった四人の高校生は、そのまま【soja】で勉強を始めた。ただし、店が忙しくなってきたら退席することという約束付きで。

 半時間ほど集中してノートを整理していた茉莉は、ふと集中力が切れて顔をあげた。

 すると智と視線が合った。


「……分からないところでもあった?」


 茉莉が小首を傾げる。智ははっと夢から覚めたように震え、頬を赤く染めた。


「え、あ、うん。ここ……」


 智が適当に手元の問題を指差す。


「私で分かるかなぁ~」


 智の正面に座っていた茉莉は立ち上がり、智の手元を覗きこむように身体を伸ばす。白いうなじを間近に見て、智はおそるおそるその匂いを吸い込もうとしたとき、隣の席の佳祐が無情にも智の指差した問題の答えを口にした。パッと茉莉が身を起こし、向かいの席に戻る。

 智はテーブルの下で佳祐の脚を蹴った。


「痛っ!」


 佳祐が呻く。茉莉は心配そうな顔になった。


「近藤君、どうしたの?」


「いや、智に」


「さとる……?」


 茉莉が自分の隣の理を見ると、理は手を顔の前で振った。


「いやいや、俺じゃないって」


「大丈夫、何でもないって。こいつ時々持病の癪が脚に出るんだよ」


「持病の癪ってなんだよ。時代劇かよ、脚に出るなんて聞いたことないよ」


「大丈夫ならいいけど」


 三人の息の合った仲のよさに茉莉は微笑む。

 そろそろ集中力を持続させるのに、脳に栄養を追加させなければ。つまり、お菓子でも摘まみながら勉強したい。

 それに篠田さんや伊織はいいと言ってくれているが、いつまでもテーブルを占領するのも申し訳なかった。


「さとちゃん、私はそろそろ帰るけど」


 茉莉が理に声をかけると、蛍光ペンでラインだらけになって、どこが重要なのかかえって分からなくなった教科書を閉じて理も言った。


「あ、じゃ、そろそろ」


「そうだな」


 他の二人もいそいそと勉強道具を鞄に片付けはじめた。


 学割半額にしてもらったおかげで、カフェオレ二杯分の料金をまとめて智が支払う。理と佳祐にはお金を徴収した智は、茉莉からは割り勘分のお金を受けとることを拒否した。

 

「なんで? 碓氷君におごってもらうなんて悪いよ」


 好きな女の子の前でかっこつけたい男心が伝わらない。反対に友人二人は悪乗りを始める。


「大丈夫、大丈夫。こいつ、今までの浮いた弁当代で懐暖かいはずだから。こんなことならケーキも食っとけば良かった」


「え~、茉莉だけずるーい。さとちゃんにもおごってよぅ」


 理は茉莉と似た男子としては可愛いめの顔を上目遣いにし、口の前で握りこぶしを並べて身体をくねらせた。


「浮いた弁当代?」


 茉莉が佳祐の言葉を拾って聞き返す。


「そうそう、こいつ、ファンクラブの女子から毎日弁当差し入れてもらって、親からは弁当代もらってたんだって」


「ファンクラブって、ああ……」


 茉莉にいちゃもんを付けた上に弁当をひっくり返し、乱闘の末、共に謹慎処分になった連中か、と茉莉は納得する。


「でももらう弁当だけじゃ足りないから菓子パンとか買うし、嘘はついてないし、もうファンクラブは解散だって言われたから弁当はもらえなくなったし」


 茉莉には遊んでいる男だと思われたくない。その一心で智は必死になって言い訳するが、残念な現状を公開しているにすぎないことに本人は気付いていない。

 佳祐と理は友人の気持ちを知っているだけにハラハラとして見守っていた。

 茉莉はというと、半笑いで呆れているだけの表情にしか見えない。


「そうなんだ」


 ファンクラブを壊滅に追い込んだ一端は茉莉にあるのだが、茉莉はそんなこと思ってもいない。


「そう! だけど、うちの母親(おや)、料理が苦手で弁当なんて適当な冷凍食品しか入れないから」


「朝の忙しい時間にお弁当を作るって結構大変なんだよ? 作ってもらえるだけ有り難いと思えないかな。嫌なら自分で作るという手もあるよ」


 茉莉の繰り出す正論に、智は押し黙った。茉莉はふっと表情を緩める。


「なんて偉そうにいうけど、私も実はそんなに上手じゃないんだけどね」


「そんなことない! 茉莉の料理めちゃくちゃ美味しい!! 俺にも毎日作って欲しい!!」


 渾身の智の告白じみた叫びは、茉莉の困惑した苦笑いを引き出した。


「えっと、ありがとう」


 いつの間にか握っていたらしい茉莉の手が、智の手のひらから抜けていく。

 茉莉は自分の手料理を食べさせたことがあっただろうかと首をひねった。三日間のバイト中にカフェを訪れていたとか? それとも料理倶楽部で作った料理が誰かの手でサッカー部に流出したのかもしれない。


「でも、毎日は無理かな。また、いつか。えっと、好きなものがあったら教えてね。練習しとくから」


「お、おれ。鶏の照り焼き大好物。あと、ポテサラとか」


「ポテサラね、美味しいよね。私はしっかり潰したのが好きなんだけど、理はじゃがいもがゴロゴロ残ってるのが好きなんだって」


「俺はゴロゴロも滑らかなのもどっちも好き」


「そっか。玉ねぎとか、缶詰みかんが入ってるの嫌な人もいるよね」


「俺はどっちも好き。っていうか、茉莉が作ってくれるのはなんでもきっと好きだと思う」


「ああ……まあ、機会があったらね。まずはテスト! 頑張らなきゃね。そうだ、八百屋さん寄って帰らなきゃ。家庭科、キャベツの千切りの実技テストだし……ね」


「そうだな、キャベツの千切り。茉莉のキャベツの千切り……」


 茉莉が徐々に智から距離をとり、理の腕にくっつくようにして反対側に逃げるが、智はまた距離を縮める。そんないたちごっこをしながら、駅まで四人は歩いて来た。

 佳祐はおかしくて、おかしくて、腹筋を震わせている。


「んじゃ、また明日」


 駅前で佳祐に引っ張られるようにして駅に向かう智を見送った理は、茉莉の手を繋いで商店街に向かって歩き出した。


「どうしたの、さとちゃん」


「べっつにー。どじっこ茉莉が迷子にならないように、かな」


「さすがに私でもここからは迷子にならないって。それより伊織兄ちゃんがね、今度の日曜、私とさとちゃんで有紗ちゃんを水族館に連れていって欲しいんだって」


「テスト期間じゃん」


「そうなんだけど、勉強見てくれるって、おやつ付きで」


「それで乗っかっちゃったんだ」


「うん、さとちゃん忙しかった?」


「別に。部活ないしいいけど」


 これを聞いたら智がついて行きたがるだろうな、と理は想像した。


「俺も勉強見てくれるの」


「うん、仕事終わったら寄るって言ってたよ。それまでに復習して分からないところまとめておくように、って」


「んじゃ、夕飯、ねこまんまで食べてさっさと帰るか」


「うん」


 同じ長さの影が並んでミツバ商店街のアーケードの入り口に伸びていた。


 




 

キャベツの千切りテストは、茉莉と理の両親、咲と美晴の馴れ初めエピソードです(*´ω`*)

詳しくはシリーズの『おいしい料理のつくりかた』をご覧ください。


【soja】の伊織は『珈琲ブレイクハート』にメインで登場してます。伊織の両親、遼とのり子も『おいしい料理のつくりかた』に重要キャラで登場してます。

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