恋する乙女たちは喧嘩する
とある日のお昼休み。
茉莉は外のベンチでお弁当を広げていた。茉莉はひとり。いつも一緒に昼食をとる仲のよいクラスメイトは流行先取りの風邪で学校を休んでいた。
いつもなら茉莉の弁当のおかずを狙った智が、どこからともなく現れて玉子焼きや唐揚げを奪っていく。最初は素手でそれを摘まんでいく彼に呆気にとられて、おかずを奪われていたのだが、この頃はそれを死守出来るようになってきた。智の気配に気付いたら弁当の蓋を乗せればいいのだ。智にしてみれば、自分の存在をアピールしつつ、茉莉のお手製(だと思い込んでいる)の味を堪能しているのだが、いかんせん食べることの好きな茉莉には当初、おかずを奪われる以上の感情は持てなかった。
茉莉がそんな智との攻防にも少しずつ慣れてきて、智が現れるのを少しだけ楽しみに思うようになってきた頃、智の非公認ファンクラブ(智はそんな団体が結成されていることは知らない)が行動に移した。
茉莉が一人でいることを察知してのことだった。
「玉野茉莉さんね。ちょっとお話しがあるの。顔を貸してもらえるかしら」
「はあ……いいですけど。ちょっと待って貰えます? これ食べてから……」
女たちは茉莉ののんびりとした返事に目尻を吊り上げた。
「お弁当を暢気に食べてないで来なさいって言ってるのよ!」
腕を引かれた拍子にお弁当箱が茉莉の手から落ちる。乗せただけだった蓋は容易に外れ、ミートボールが芝生に転がった。
三分の一ほど残った弁当をひっくり返したのを見て、さすがに女たちは怯んだが、直ぐに威勢を取り戻した。
「直ぐに来ないあんたが悪いのよ!」
茉莉は悲しそうな表情でミートボールを拾うと、膝にこぼれたごはんや玉子焼きと一緒に弁当箱に戻した。そして、弁当袋に戻すとゆっくりとした動作で立ち上がった。その瞳は鋭く目の前の女たちを睨み付けている。
「話があるならここでもいいでしょう? 他人の楽しみを奪っておいてそれっぽっちの謝罪しかできないんですか、あなたたちは」
「はあ? 何を言ってるのよ」
「……お弁当のことですよ! 米には七人の神様がいるって知らないんですか! 卵は鶏が生んだんですよ! 人は他の命を奪って食べるしかないんです。それなら無駄なくおいしく食べてあげることこそが大事なんです! それを、それを……こんな風に……」
茉莉は女たちを睨み付けたまま、涙を流した。だが、彼女自身、その涙には気付いていないのだろう。拭うこともせず頬を濡らし、鼻水を啜り上げた。
「ちょっともう、信じられない。なんなのこの女」
「仲間に入れてあげようと思ったのに」
「キモい。シロブタがサトル様に近づかないでよね。似合わないんだから」
茉莉にしてみれば言いがかりとしかいいようがなく、どうしてここで理の名前が出てくるのか分からなかった。
「仲間とか意味分からないんだけど、近づくなって何よ。理はうちの弟なんだけど」
「ばーか、そっちじゃないわよ」
「あんた分かってて言ってるんじゃないの? サトル様といったら碓氷智様に決まってるでしょ」
ああ、そっちかと茉莉は腑に落ちた。だがそれでどうして因縁を付けられなければならないのか。こっちから近づいたことなどないのに。
「とにかく碓氷智様は私たちのアイドルなの。目障りだから近づかないで」
「私には関係ない。いちいち気にしてないで告白したら? 一人でする勇気がないなら集団で」
まるで図星をさされた少女たちは頭に血が昇った。先頭の少女が茉莉に平手打ちをかまそうと振り降ろした手を、茉莉はその容姿からは想像もできないほど俊敏にかわした。空振りをした反動で少女がよろける。
そして、校内で乱闘騒ぎにまで発展したそれは、誰かが知らせた教師が駆けつけるまで続いた。
◇◇◇
その頃、少年たちは体育館の脇の段差に腰かけて食後のひとときをまったりと過ごしていた……はずだった。智が爆弾を落とすまでは。
智がいきなり「今日の放課後、茉莉ちゃんに俺、告白するわ」と言い出した。
佳祐は「部活どうすんだよ」とツッコミを入れ、理は頭を抱えた。
「なんとなく、イケる気がする」
「どこから来たんだよ、その自信。やだねー、モテ男くんは」
「ちょっと待って、いつの間に茉莉とそういう雰囲気になったの?」
待ったをかけた理に智は気色ばんだ。自分でも少々いきなり過ぎるかな、という自覚があるのだろう。
緻密に作戦を展開するかと思いきや、特攻をかけるのも好きなバランス感覚の優れた智らしい思考だと理も佳祐も思った。だが、サッカーと恋愛は同じ延長線で考えてもいいのだろうか。
「べつに。いきなり告白から始まってもいいだろ。何、理に許可いるわけ?」
「俺、ちょっとトイレ……」
「「行ってこい!」」
「ちょっと待って。……俺いま娘を嫁にやる父親の心境だから、一応許可取ってくれる?」
「え、一発殴らせてくれるの」
「なんでだよ、殴るのは俺だよ」
「それより練習させてくれよ」
「何の?」
「告白」
「やだ」
「理、茉莉ちゃんに似てるんだよ、こうしてるとますます……」
「ちょ……顔近づけんな、バカ」
「なあ~」
「なんだ佳祐、もうトイレ行ってきたのか?」
危うく体育館外側のコンクリート廊下に押し倒されそうになっていた理は、戻ってきた佳祐に助けられた。
身体を起こした智の頭をパチンとはたく理を見ながら、佳祐はトイレに行こうと校舎に入ったところで聞いた情報を話した。
「取り込み中悪いんだけど、理の姉ちゃん北校舎の前庭で多勢に無勢で乱闘してるって。理の姉ちゃん優勢だって。俺ちょっと見直した」
「ああ……うん。姉ちゃん走るの苦手だけど喧嘩は強いから。俺と親父の喧嘩を物理的に止められるの茉莉だけなんだ……」
お互いに拳を交わらせて友情が芽生えるのはほぼ男子だけである。
校長室の隣の面談室に並んで座らされた少女たちは、一様に不貞腐れた表情を隠さなかった。
教師が喧嘩の理由を聞こうとしても誰も話そうとはしなかった。
結局保護者が呼ばれ、自宅謹慎三日間と反省文の提出を申し渡された。
「茉莉、どうして喧嘩になったんだ?」
父は母似で負けず嫌いの茉莉に内心苦笑しながら、表ではしかめ面を作って聞いた。
「叩かれそうになったから避けたら、なんだかあんな風になった」
「原因は?」
「百合姉ちゃんの作ってくれたお弁当をひっくり返されたから……だったかな」
「茉莉……」
父はそれだけじゃないだろと内心思いつつ、元々のしかめ面をさらにしかめて呟いた。姉弟喧嘩の酷い双子にしつけ目的に格闘技を習わせた幼少期、理が少年サッカーに入るまで茉莉も一緒に習わせたのがこうなるとは。相手の女の子たちは服装も髪も乱れ放題だったが、茉莉は……。
「先には手を出してないもん」
「そうか……でも、今度からは肉弾戦にならない戦い方を選べ?」
「うん……三日間も謹慎なんてつまらない。お店手伝わせて?」
「だめだ……店の皿が減るとお父さん困る」
「じゃあ、のりこおばさんところで手伝ってくる」
「遼伯父さんが……いいと言ったらな」
通常通りに帰宅した理は茉莉の部屋を訪ねた。理は女子マネージャーからしっかりと情報を仕入れてきており、茉莉が智ファンクラブの人たちと智を巡って喧嘩したのだと聞いてきていた。
「茉莉、敵を増やしてどうすんだよ」
「だって、あっちから因縁をつけてきたんだもん」
「智と付き合うなって釘刺された?」
「それは……碓氷くんの方からしてありえないとおもうけど」
こくんと茉莉は頷いた。理はフゥと息を吐いて単刀直入に切り出した。
「茉莉はさ、智のことが好きなのか?」
姉弟だからこその直球を理は投げた。双子とは言っても言葉にしなくては伝わらないものもたくさんある。というか、そればかりだ。言わなくても通じるというスピリチュアルなケースはあまりない。人より虫の知らせのパイプが太いくらいだ。
「好き、とか考えたことなかった」
どきっとした理は、「好き」に続く言葉にずるりとずっこけた。
そして心のなかで、智に「残念!」と呟いた。