友情以上の恋未満
定期テストが終わり、あとは夏休みを待つばかりのとあるとある日曜日の早朝、日課のランニングから帰ってきた理は、自宅マンションのキッチンに立つ茉莉に気付いた。
深さのある鍋は何かがグツグツ煮えている。フライパンはジュウジュウと油の細かく跳ねる音をたてている。シンクには洗ったレタス、小さなボウルにはしんなりしたキュウリの輪切り、トースターは電熱線を赤く光らせている。
キッチンの至るところに色んなものが置かれていて、洗い物も溜まっており非常に作業がしにくそうになっている。
理は水切りしてあるレタスをひとまず作業台の空いているとこりに置き、無言で洗い物を始めた。水切りかごは昨夜、姉か母が片付けたのだろう。昨夜の食器はすでになく、すぐに洗い物を始められる状態だ。
スポンジに洗剤を付け、もくもくと泡立てる。
目の端に映る茉莉は、ちょこまかと動き回っている。作業行程が頭に入っていないせいで段取りが悪くなっているのは、めったに料理のしない理でも分かってしまうほど。そんなだから凡ミスを犯すんだよ、と理は呆れながらも、それでもまあ、ちょこまかと小刻みに動いているさまはハムスターのようで可愛い。
「なにしてんの」
使って放置されていた菜箸やざるに泡をつけながら、茉莉が必死に玉子焼きを返そうとしているのを横目で見る。吹きこぼれそうな鍋の火加減を慌てて小さくし、竹串を手にした。なんだか見ているだけで慌ただしい。
「えっ、あ、さとちゃんおかえり」
「うん、ただいま」
「洗い物ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして。で、なにしてるって?」
そこで茉莉の頬が赤く染まる。さとられたくない何かを暴かれそうになってごまかそうとしているみたいに。双子なんだから、親より一緒にいた時間が長いんだから、ごまかそうとしたってダメだからね、と理は茉莉を見つめる。
「う……いやぁ~」
目が泳いでる、泳いでる。
薄焼き玉子に、ロースハム、レタスにきゅうり、千切りキャベツ。しっかり潰したポテトサラダ。照り焼きチキンにヒレカツ。薄切り食パンが一斤分、どっかりとダイニングテーブルに乗っかっている。その横にはバターの瓶にマスタード、マヨネーズ。クリームチーズ、とブルーベリージャムの瓶か。うん、どうみてもサンドイッチを作ろうとしているよね。しかも大量に。
「こんなに一人で食べる気? また太っちゃうよ」
「違うわよ、一人で食べるわけないっ」
「ふうん、じゃあ、誰と食べる気?」
まるで刑事が犯人を追い詰めるように追い詰める。だって、面白くない。智の好きなものばかりじゃないか。茉莉の答えはだいたい想像がついているけれど、あえて茉莉の口から言わせたい。
その時、のんびりした声が入ってきた。
「おはよう、茉莉ちゃん、さとちゃん」
長女の百合姉だ。真っすぐの黒髪を後ろで一つくくっているだけ、化粧っ気もあまりないのに立っている姿は百合の花だと周囲からもてはやされる我らが自慢の姉君。茉莉に比べてスレンダーな体型で、髪色以外は親父に一番そっくりだと弟妹は思っている。
百合はキッチンに入ってくるなり、その散らかりようを見て目を見開いた。
「茉莉ちゃん、これ、朝ごはん?」
茉莉は無言で首を横に振る。百合はその仕草だけで言いたいことが分かったようだ。
「さとちゃんのお弁当作ってくれてたのね、ありがとう」
百合はどこかずれた方向に納得したようで、にっこり微笑んで「手伝うわ」とエプロンに手をかけた。
たしかに、今日は試合はあるのだけれど。茉莉はいままで百合に代わって弁当など作ったことがないのだ、料理部に所属しておきながら。
どういった風の吹きまわしなんだか。
百合が助っ人に入ったので、ちょうどシンクにたまっていた洗い物を片付けた理は、「シャワーを浴びてくる」とキッチンから離れた。
百合は、妹と料理をするのが嬉しいらしく、サンドイッチの綺麗な切り方のレクチャーを始めたようだ。
共働き家庭だそうな智は、ファンクラブが解散になってからというもの、母親の手作り弁当を持参するようになった。それでも週に三日はパンを買ったり、学食で食べているし、ファンクラブが無くなったからといって人気がなくなったわけではなく、むしろ無秩序な状態になっている。今も主将が集合だと言っているのに応援にきた女子に囲まれて、なにやら差し入れを手渡されている。主将の額に青筋が立っているので、理と佳祐はしかたなく智を呼びに行くことにする。
「智~、集合ー!」
「おー」
にこにこ笑顔の智が、腕にお菓子の入った紙袋だのタオルだのを抱えて、人の輪から脱出してくる。途中、後ろを振り返って「応援よろしく」と愛想をふりまくのも忘れない。
「人気者は大変だな、いい加減にしないとレギュラー外されるぞ」
佳祐がからかう。
「で、試験休みの間に玉野姉とデートしたんだって? どうだった?」
「デートじゃないって。理と理のいとこの小学生も一緒だったんだよ」
「で、告白できた?」
「まだ。なんでみんな揃って聞くんだよ」
「だって、智がそこまで手こずるのって初めてみるからさぁ。いつもは女子の方から寄って来てたじゃん。今日は玉野姉は応援来てないの? 今日勝ったら告白するとかしないの?」
「佳祐、おまえ完全に面白がってるだろう」
「うん」
二人がじゃれ合いながら駆ける後ろを、理はどこか冷めた様子でついていく。
茉莉が好きなら、他の女子の差し入れなんか受け取るなよ。なんて、二人が付き合っているわけでもないし、だから智が茉莉を裏切っているわけでもない。なのに、そんなモヤモヤしたものが澱みたいにたまっていく。どうして自分がそんなことでイライラしなくてはならないのか。朝早く起きて、アイツのために馴れない料理をしている姿を見たから? 出掛ける前に恥ずかしそうに手弁当を託されたから?
そんなとき、佳祐のいつものからかう言葉が理の耳に入った。いつもなら軽口で返して流せることなのに。
「────かわいい子いたじゃん、玉野姉なんかより可愛かったって。俺、智にはあっちの方がお似合いだと思うんだけど」
「あの柔らかそうなのがいいんだって」
「智の趣味、分かんねぇ」
理は駆けて、二人の間を無理やり通る。二人は後ろから突撃された衝撃に前のめりにたたらをふんだ。とっさに佳祐が気色ばんだ声をあげた。
「うわき者」
通り過ぎざまに理は智にそう言い捨てた。智はぽかんと先に走っていく理の背中を見送り、佳祐はまた別の勘違いをしたらしく、理と智を見比べて頭を抱えていた。




