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この次、恋をするときは  作者: うえのきくの
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8

 


 翌週に入りクリスマスは目の前、サロンも毎日賑わっている。 昨日今日、玲二は昼も抜いている。


「仕方ないよ、みんなチーフにやってもらいたくて前から予約してるんだからね」

「……そうなんですけど。繁盛してるのはいいことだってわかってるんですけど、ランチくらい摂らないと……」


 フキエは自分の休み時間に玲二やその他、昼をとりっぱぐれたスタッフのために、ゼリー飲料や栄養補助ビスケットなども買ってきた。 フキエにしてもゆっくりできるはずもなく、慌ただしく食事を済ませフロアに出る。 午後もひっきりなしに客が来るのだ。


「フキエさん、ここ見てるから少し休憩してきてください」

「……ありがとうございます」


 手の空いたアシスタントが交代してくれたので、バックヤードに入ったフキエは、立ったままさっきフキエが買ってきたゼリー飲料を飲む玲二を見た。 ぼんやりと一点を見つめ、ただ、チューブの中身を腹に納めている。


「玲二さん、少し座ったらどうですか?足、パンパンになりませんか?」

「んー、座ったら立ち上がれなくなりそーで、さ」

「そんな……私が絶対、引っ張りあげますから安心して座ってくださいよ、ほら……」


 フキエは折り畳みの椅子を広げ、玲二の背中に手を掛けた。


「……え、」


 シャツ一枚の背中は、燃えるように熱かった。 あわてて、腰かけた玲二の首に手を当てると背中などというものではない。 一点を見つめているのではなく焦点があっていなかったんじゃないか。


「玲二さん、熱がありますよ!寒くないですか?気持ち悪いとか……」

「んー、だいじょぶ。みんなには黙ってて。このくらいならすぐ良くなるから」

「ダメです!倒れちゃいますよ。それに、インフルエンザだったらどうするんですか!こんな暖房がきいた密室ですもん、全滅ですよ?!お客様に移ったら、これからの楽しい予定が台無しですっ!」

「うわーーー……そっか、そうだよな……」


 立ち上がろうとした玲二が不意によろけた。これは、不味いかもしれない。

 座っていた椅子に玲二を戻し壁にもたれ掛からせる。 フロアに戻り予約を確認して、ちょうど手の空いていた結城に声を掛けた。


「結城さん、すいません。チーフが具合悪そうで、熱が出ているみたいなんです。病院にいった方がいいと思うんですけど、どうしたらいいですか?」

「……チーフ、予約は?」

「このあとは5時にカラーとカットのお客様が」

「……あと、2時間……。とりあえず、病院、行ってくる……んと、結果わかったら連絡するから。

 ただの風邪なら、点滴打ってもらうと、大分楽だから、夕方の仕事くらいは、たぶん平気」

「はい!」

「おれ、少し時間あるから、着いてく。フキエちゃん。戻れなかったら、お客様に連絡、おねがい」

「はい」


 思い出したかのように息を荒くする玲二を結城が担いで裏口から出ていく。 それをフキエは見送るしかなかった。


 30分ほどで結城から連絡が入った。


『結城です。チーフ、インフルエンザじゃなかった』

「わ、……よかった」

『うん。で、今、点滴。一時間くらいかかるって。5時のお客さんは間に合うと思うから』

「はい。お疲れさまです」


 電話をきると、ほっとする反面むしろ、インフルエンザだったほうがよかったのではないかと思ってしまう。それだったら、休まないわけにはいかない。きっと明日も無理をする。


「明日出たら、休みかも知れないけど……さ」


 出ていったときよりは少し調子のいい様子で、玲二が戻ってきてからも夜まで仕事はびっしりとつまっていた。 フキエはハラハラと見守っていたが、具合の悪い素振りなど見せずに、玲二は最後まで乗りきった。



「なんにも食いたくねえ……」

「わかりますけど、少し食べないとお薬飲めないでしょう?」

「んー……食ったら吐きそうなんだよな……」


 帰るなりソファにぐったりと沈み込み、動けなくなった玲二からコートを引き剥がしフキエは声を掛けた。 少しは下がったとはいえ点滴が効いている間だけだったのであろう。 今は少し辛そうだ。


「今、玉子粥作りますから、一口でもお腹にいれましょう?」

「んー、わかったー……」


 あわててキッチンに立ち、ネギをたっぷり入れた玉子粥を作る。 あとであかりの分も何か作らなくてはいけないが、こっちが先だ。

 時間がないので炊いたご飯から作ったお粥はそれでも、元気で空腹なフキエには食欲をそそる香りがする。


「あー、いいにおーい。フキエさん今日はお粥さん?」

「いえ、玲二さん、風邪気味で食欲ないって言うので」

「あたしもこれでいいよー。すごい美味しそう!」

「あ、じゃあ少し待っててくださいね?先にお薬飲んでもらっちゃいますから」


 茶碗にほんの少しよそった粥を玲二のそばに運ぶ。部屋の照明さえも辛いような彼に声をかける。


「玲二さん、出来ましたよ。少し食べて薬飲んで寝ちゃいましょう?」

「うん……わりい、腰痛くって、起きるのに手、借りていい?」

「あ、はい」


 フキエは玲二の背中に手を回し、ゆっくり彼を起こした。 トレイの粥をその膝にのせると、薬のための水をとりにその場を離れた。

 フキエが戻っても、レンゲは玲二の手にきれいなままあり、そのまま背もたれに寄りかかっていた。


「食べられませんか?」

「ごめん、手、動かすのも億劫で」

「……はい」


 フキエは玲二からレンゲを取ると、少量の粥をすくい口許に運んだ。 一瞬、驚いた顔をした玲二だったが、促されるまま口を開けた。


「……味がしねえ」

「当たり前ですよ。何度熱があったと思ってるんですか?さあ、もう一口どうぞ」


 そうして何口か粥をのみ込み、もういい、と玲二が言った。 フキエは薬を飲ませ、玲二を階下のベッドルームまで連れていった。


「珍しい、玲二くんがあんなに甘えるの」

「あれは、甘えているんですか?」

「うん、だって普段なら熱があろうと腰がいたかろうと、一人で何とかするもん。あんな、起こしてー、何て絶対ぜったい言わないよ?」


 あかりは玉子粥の残りをかき込みながらニヤニヤとしていた。

 甘えられていたのか。 それは、少し嬉しい。 でも、玲二の具合が悪いのは、心配だ。


「明日も仕事なんですよ……。どうしても休めないし……困りました」

「大丈夫。玲二くん今までそんなこと何回もあったんだから。その度に、頑張ってきたんだもん」

「責任があるっていうのはわかります。玲二さんを頼ってくるお客様も大勢いらっしゃるし、スタッフもみんな玲二さんを見尊敬してます。でも……正直、美容師ってそんなに頑張りすぎなきゃいけないお仕事なんですか?自分の健康のこと蔑ろにしてまで、打ち込まなきゃいけない仕事ですか?」

「……玲二くんのこと心配してくれるのはわかるけど……玲二くんにはその仕事がなかったらたぶん、生きていけなかったと思うよ?」

「……大げさですよ……」


 あかりは首をかしげて少し悲しそうに笑った。


「玲二くんの前の彼女のこと話したでしょ?あのとき玲二くん、友達も遊びも全部なげうって、勉強に逃げたんだー。美容師になる、一番になるって、必死で。でも、別に美容師じゃなくても良かったんだと思う。打ち込めて、辛いことから逃げられれば」

「……」

「少しの間逃げることができたから、いろんなことを冷静に考えられるようになったのかもしれない。その時のことが、それでもやっぱり忘れられないから、今でも仕事に全部かけちゃうんだねー、きっと」


 フキエには、本当にわからない。 自分は仕事に対してそんな風に感じたことはない。

 フキエにとってそれは、当然のように目の前にあって与えられてこなしていくものだった。 誰がやってもおんなじで、代わりならいくらでもいる。それ以上でも以下でもない。

 もっと言えば、仕事などしなくても生きていけた。 家にいて家事手伝いやお稽古ごとでもしながら、父が見つけてくる、申し分ない相手と結婚する日まで暮らすことだって、選択の中にはあったのだから。


「……あかりさんにも、仕事ってそんなもの?」

「玲二くんほど重くはないデスよ?あたしは、玲二くんと違って、暗くて友達とかいなかったから、マンガを描くことで外の世界と交信していたみたいな感じ。描いたら、誰かが読んでくれて、感想をくれる。面白かったとか、ここがこういう風に好きだとか。そしたら、あたしは、世界と繋がることができる。あたしにとってはそういうツールなんだ、マンガって」


 それがないと生きてさえいけない。

 世界と繋がる、ためのもの。

 そうなのかな、仕事は自分と誰かを繋ぐものなのかな。

 自分にもそういう仕事が出来るのだろうか。


「でも、玲二くんはもう少し力を抜いてもいいと思いますよ?もう、10年前のことだもん。本当にやりたいことを考えてすればいいと思う。自分のことをもう少し考えて、大切にしてあげて欲しいんだけどな。恋をしたり、結婚したり、さ」

「結婚」

「うん、結婚までいかなくてもさ、そのくらい好きになれる人ができるといいのにってみんな思ってるヨー」

「……彼女を、忘れられないんじゃないですか?」

「そうなんだろうね。一生忘れられない恋ができたなんて、本当は羨ましいのかもしれまセンネ、あたしたち」


 羨ましい、羨ましいんだ、私も。

 フキエは思う。 一生に一人の人に出会った玲二が羨ましいんじゃない。 そんなに愛されて、ずっと忘れないで思われているその彼女が羨ましい。

(そっか。本当に私、玲二さんのこと好きなんだ)


 悲しくて、泣きたくて、悔しくて。 でも、なんだか笑ってしまいそうな、変な気分だった。

 死のうとして死ねなくて、もう死んでしまった人にどす黒い嫉妬を向けるなんて。


「……もう寝ます。お休みなさい」

「え、どうしましたか?フキエさんも具合悪くなった?!」

「ううん、今日、バタバタしてたから疲れちゃったみたいです。明日は卵焼き作りますからね?」

「はい!お休みなさい!」


 あかりの好きな卵の厚焼きを約束してフキエはベッドに潜り込んだ。 明日一日もてば休みだ。 玲二が無理しないよう睨みを効かせていなければ。


 一番近くには、たぶんいくことができない人だから、せめて少しだけ役に立てることをしよう。 フキエは小さな決心をして眠りについた。






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