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2か月目に入りフキエはますます仕事に慣れてきたようだ。季節は秋に変わっている。
この秋のトレンドカラーや、スタートするドラマの出演者のスタイル。 目まぐるしく変わっていく流れを追いかけるように日々は回る。
フキエは出会ったときより少しのびた髪を、ミルクティーのような色に染めた。 毛先には緩いウエーブがかかり肩先で揺れている。
パーマもカラーもはじめてだと言われて驚いた。確かになんのストレスもダメージもないからよっぽどいいスタイリストがついているのだと思っていたが。
甘い、優しい色になったことで彼女の持つシャープさは少し削がれ、丸みのあるキュートな印象が強調された。 メイクは元々ラインをぼかした優しいイメージにしていたがそれとあいまって別人のようだ。
これだから、女は怖い、と玲二は自分がやっておきながら他人事のように苦笑いする。
彼女の変化に比例して、ああいう色にしたい、ああいうウエーブがいい、とフキエを指す客が増えてきた。 色もパーマも、顔色や髪質に合わせれば必ずしも全く同じにというわけにもいかないのだが、イメージがつかめるとやり易いのは確かだ。 施術前にはフキエと本人の髪質や普段のライフスタイルからこちらの提案をさせてもらうから、違うものが出来上がってもクレームにはならない。 それぞれがみな、違う輝きでサロンを出ていく姿を見るのは、スタッフの誰もが嬉しいことだ。
フキエが慣れてくれば、スタッフも慣れてくる。
なかでも初日にいかにも馴れ馴れしくフキエに声をかけた山本はかなり嫌な先輩風をふかせている。
山本は専門卒業と同時にここに入り3年目。 アシスタントを経てスタイリストになったばかりだ。
センスはいい。 技術的にも今の段階では問題ない。でも如何せん人に対する態度が悪すぎる。
玲二や自分より優れていると本人が認めているスタッフには礼儀正しく見えるような振る舞いをする。 しかし格下と自分が思うものに対しては酷く横暴だという。
ある程度は上の者がカリスマ性を持つことは悪くない。 むしろ、下のものの憧れになるという意味では、例えば話しかけるのにも緊張するような雰囲気というのはあってもいいと玲二も思う。 自分にもそんな覚えがある。
しかし、山本に関してはまだそこまでのレベルでもないし、3年目では他のスタッフともドングリの背比べのようなものだ。 あの態度は滑稽ですらある。
スタッフだけならいい。 客に対しても横柄な物言いをすることがあるらしい。 先輩スタイリストも手を焼いているようだ。
何を言っても聞いてくれないと、先輩でありながら格下に見られているらしいスタッフに泣きつかれたこともある玲二だ。
彼はスタッフの教育について自分があまり細かく出ていかないことにしている。 その方が教える方も勉強になるし、自分にとっての戒めにもなると考えているからだ。 が、しかし、今回は自分が出ていくケースかと頭をもたげている。
先週、今まで山本を指名していた客が違うスタイリストにしてほしいと予約をいれてきた。 対応したフキエがどんなに『今まで見てきたスタッフが一番信用できる』と訴えてもダメだった。 ダメなら他店に移るという。
その時は玲二が予約を受け、施術したのだがその際になぜ山本では駄目なのか聞くと、やはり、態度が最悪だと訴えられた。
客の方もイメージが伝わりやすいよう、雑誌を持ってきたりすることはある。 あくまでイメージであって、スタイリストはそれでおおよその雰囲気をつかんで再現できるか、出来ない場合はどうしてなのかを相談して決めるのが普通だ。
ところが山本の場合、それらを見たとたんに「そんなの似合わないよー」と、一蹴してしまうというのだ。 カットとパーマのオーダーならその枠内で「こういう方が似合うし」と、決めてしまうらしい。
実際に出来上がったスタイルは客に似合うものだったので本人も我慢していたそうだ。 実際、スタッフの間でもその取り交わしを聞いていた者もいた。
たとえ、スタイリストに勧めたいスタイルがあったとしても「それは似合わない」はあまりに雑だ。 それだけならまだしも、モデルの写真を持っていって笑われたこともあると言っていた。 「えー、全然ちがうじゃーん」と。
100歩譲って本人は親しさの表れだったのかもしれない。 友人ならばそのくらいのことは言うだろう。
しかし、そこにいるのはお客さまである。そこは仲が良いとは違うのだ。
「チーフ、あいつなんとかしてください!下の奴もかわいそうだし、お客さんも嫌なのに言えないみたいな人もいるみたいで……」
「確かに、指名減ってるんだよな……」
先程の客は指名を変える形で続けて通ってくれている。 しかし普通、同じ店舗で担当を変えてもらうなんてかなり勇気がいることなので、そうなれば他店に変えてしまうことの方が多い。 実際、山本の客のうち来なくなってしまった客もいる。 それは店としても打撃である。
「なあ、山本。お前最近指名減ってるよな。何でか解るか?」
「……先輩たち、営業上手なんじゃないですか。俺の客取られちゃってるし」
「あちらが変えてくれって言ってきてるんだ。こっちだって必死だよ。」
「……」
「お前、技術的にはいいんだからもったいないぞ。もう少し、相手の気持ちになって考えろよ。客だって迷って雑誌とか持ってきてんだからさ、無理なら無理で、髪質や頭の形とか、他に再現が難しい理由はあったんだろ?似合うとか似合わないは納得しないと不満になるんだよ」
「……わかりました」
「頼むよ、山本には期待してるんだから」
ものすごく不満を残したまま山本はバックヤードから出ていった。
疲れた、物凄く疲れた。
珍しく休みの前でもないのに玲二は酒を飲んでいた。 弱いわけではないのだが、一度のみ出すと結構な量になってしまうので翌朝に残る。 だから飲むのは休みの前の日、と決めているのだ。
「なにか作りますか?」
寝室に戻ったと思っていたフキエがキッチンにいた。 冷蔵庫からこちらは水を出している。
「わ、びっくりした。いたの?」
「あー……なにか難しい顔して考えてらしたから。仕事のことですか?」
「そーねえ……なあ、フキエは山本どう思う?」
「山本さん。うーーん。焦ってる、のかな?」
「焦る?」
フキエは冷蔵庫から何やら出しながら淡々と答える。
「同期入社の佐貫さんが雑誌の取材を受けたって。私が入る少し前でしたよね。それ、とても気にしていたって聞きました。その辺りからなんか様子がおかしくなったって。」
「それかあ……」
少し前、同じ頃にスタイリストに昇進した佐貫という男がファッション誌に取材を受けた。
青田買い特集みたいな感じでさまざまなジャンルの新人が取り上げられていた。 技術が優れているという理由ではなかった。 たまたまその雑誌の記者がうちの客で、偶然見かけた佐貫がちょっとビジュアル的にもいいからと声をかけられただけだ。
確かにあれから佐貫の指名は増えたが、それにともない技術が飛躍的に発展しているわけでもない。 まだまだなんとかの背比べの域は脱していない。
「そっか、あれか……」
「やっぱり、美容師さんはプライドも高いです。でも、そのくらいじゃないと生き残っていけないんでしょう?
ちょっと、深呼吸するくらいのゆとりがあるといいんでしょうけど、まだ難しいのかもしれませんね」
「フキエだって、キツいこと言われてんじゃん?」
「まあ、私の場合は本当になにもわからないんで、仕方ないですけど。ただ、あんまりな言われようなので、聞いている他のかたが萎縮しちゃって、かえって申し訳なくて」
あはは、とフキエは笑う。なにも気にしていないようだ。
「お前は強いなあ」
「強くなんかないですよ、知ってるくせに」
ハッとして、顔をあげたけれど、フキエは涼しげな顔で笑っていた。 段々、彼女のなかであの日のことは過去のことになっているのだろうか。
暑い夏の日。 フェンスから引きずりおろした細いからだ。 忘れてしまった方がいいに決まっているけれど、覚えていてほしいような気持ちもある。
なんなんだ、これは。
「色々ありますけど技術職の人はそれでも最終的には自分の腕ですからね。シビアですよね。」
「そうだな……」
「そのなかで、頑張っている山本さんは十分に尊敬に値する人だと思います。皆さんもそうなんでしょうけど、それがうまく伝わるといいですね」
フキエは言いながら、小降りの器にカプレーゼと山芋を千切りにして海苔をまぶしたものを持ってきた。
「なんにも召し上がらないと悪酔いしちゃいますよ。ホントは先にチーズがよかったんだけど……間に合いませんでしたね」
「おう……さんきゅ」
「では、おやすみなさい。明日もいつも通りでいいですか?」
玲二が頷くとフキエは静かに階下に下がっていった。 少し、一緒に飲んでみたかったような気がする。 でも、誘っても彼女は玲二を一人にしたかもしれない。 そのぐらい疲れた顔をしている自覚はあった。
翌日事件は起きた。
玲二がバックヤードでかなり遅いランチをサンドイッチでとっているときだった。 女性客の大声が店内に響き、スタッフが慌てて詫びる声が聞こえた。
なんだ?
顔を覗かせると女性客と山本が対峙している。 これは不味いと玲二も客の前に駆け寄った。
「どうされましたか?」
「どうもこうもないわよ!オーダーしたのと全然色が違うじゃない!このあと人に会うから時間がないって言ってあったでしょっ?しゃあしゃあと『じゃあ、やり直しますよ』ってどういうことよ!」
オーダーシートを見るとそこにはフキエに施したようなミルクティーカラーと書いてある。 しかしどう見ても客の髪は赤みの強いブラウンだ。
「大変申し訳ありませんでした。失礼ですがお時間はあとどのくらいありますか?例えば今日だけアップにするなどしてコンパクトにしますと、印象も大分変わると思います。後日ご希望の色に染め直させていただくということで、いかがでしょうか?」
「……しょうがないからそれでいいです。時間は30分くらいしかないですけど……」
「十分です」
「松谷さんがしてくれるんですか?」
「ご希望でしたら是非」
玲二が昔とったなんちゃらで最高の微笑みを向けると、客も頬を赤らめ、少しは怒りも収まったらしい。 呆然と立ち尽くす山本の前を客を促しメイクコーナーに連れていく。
編み込みとシニョンを組み合わせたルーズなアップスタイルは得意だ。 今日の服装にもよく似合う。曲がりなりにもこの店でトップスタイリストの肩書きがある玲二は予約をとれば他のスタッフより料金が高い。 それをお詫びにとただでセットしてもらえるのだ。 まあ、くすぶるところはあっても文句はないだろう。
次回、染め直すときにも玲二が責任をもって施術するからと名刺を渡す。 客もそれで上機嫌で帰るところだった。
出口付近に山本が立っていた。 隣にフキエもいる。
山本は女性客に大きく振りかぶって頭を下げると「申し訳ありませんでした!」と謝罪した。
これにはサロンにいた全員が驚き、唖然とした。
山本が、謝った。
深々と頭を下げて謝っている。
「もう、いいです。でも山本さんはもう指名しません」
「はい、それでも構いません。でも、他のみんなは一生懸命でちゃんとしているので、またご来店いただけるようお願いします」
ありがとうございました、小さい声で女性客が言い残しサロンを出ていく。 それを先導してフキエがドアを開けて見送る。
どうして急に、山本は素直に謝ったんだろう。 今まで他のスタッフを気遣ったこともない暴君が、なぜ。
「フキエちゃん」
「は?雅人、何で知ってるんだ?」
「おれも、チーフと一緒に飯食ってた、から。チーフが飛び出していってすぐ、フキエちゃんが山本連れて、ここに飛び込んできた。」
「はあ」
雅人がいたとは気づかなかった。 なんと、気配を消していることか。
「そしたらフキエちゃんがこう言って」
『私がチーフならあなたなんてとっくに辞めさせてる。でも彼はそれをしない。 他の皆さんもあなたになにを言われようと堪えてる。どうしてだか、わかりますか?
あなたがちゃんと、すばらしいスタイリストだからです。尊敬して、期待しているからです。 それは並大抵のことではないんです。努力して、頑張って、それであなたは今ここにいるんです。だから先程のお客さまもあなたを指名した。
そういうことを裏切っちゃダメです。あなたの努力を自分で無駄にしないで』
「そんな感じのことを」
「雅人、よく覚えてたな」
「少し、感動した、から?」
そうだ、少し感動した。
たぶん、ストレートだったからだ。 フキエの、恐らく山本のことはあまり得意ではなかっただろうが、それでも山本に考え直してほしいという気持ちがまっすぐ彼に届いたのだろう。
同じように聞いていた雅人にも、又聞きした玲二にさえストンと収まる言葉だったのだろう。
「あなたの努力を自分で無駄にしないで」
そうだよな、みんなそうだよな。
玲二だって雅人だって、技術面をどんなに磨いても接客に力を注いでも一瞬でその信用を失うこともある。 誤解もある、やっかみもある。 出会い頭の事故のような避けられない出来事からうまれることもある。
だけど、どんなに報われなくて、力が自分の思う理想に追い付かなくてやけになっても、自分でその努力を踏みつけるようなことはしてはいけない。 一日頑張っても、指先ほどしか進めなかったとしても、進めたことを喜べばいい。 少し後ろに下がったとしても、もう一度トライできることに感謝すればいい。
だいたい、人生にはゴールなんてものはない。 ひとつ越えたと思ったら新しいハードルはすぐに目の前に現れる。 またそれを飛び越える。 するとまた越えるべきものがやってくる。
同期のやつが頭半分前に出たとて、そんな先の長いものの前でどれ程のことか。
気がつけば楽に自分のハードルに取り組むことができるのに、夢中な時期はそれすらわからない。
フキエは一歩下がったところで、それらを見つめていたのだろうか。
「フキエさん、表の掃除終わりました!」
「フキエさん、オレコンビニいきますけどなにかいるものありますか?」
「フキエさんずっとパソコン見てますね。肩揉みましょうか?」
「フキエさん!」
「フキエさん?」
「すっかり山本になつかれちゃったな、お前」
「……はい、とても微妙です」
「しかし、あしらいがまたうまいんだよな。弟とかいるの?」
「……はい、兄と弟が一人ずつ」
「やっぱりなー。『はいはい』ってさらっと交わすとかしてそうだもん」
「そう見えますか?」
「ああ、見える見える」
そっかー、と笑うフキエをみて、玲二は違和感を感じていた。 なんだろう、なにが引っ掛ったんだろう。
わからないまま、季節が変わろうとしていた。