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この次、恋をするときは  作者: うえのきくの
2/16

2

 


 今日は平日で他に予約客もいなかったので玲二は早めに帰ることにした。定時で帰ることなどほとんどない玲二にスタッフ一同大袈裟なくらい驚いた。


 しかし仕事の鬼の玲二が帰り際軽くフキエを皆に紹介すると空気が柔らかくなった。スタッフの知る限り彼のまわりに女の影が見えたことはない。ゲイではないかという噂もたっていたほどだ。


 しかしなんだ、綺麗な女性ならぐらりとくる普通の男だったじゃないか、と安心の空気。そう皆が思うほどに、玲二の顔は柔らかかった。


 実のところ玲二にして見れば、裏口もある控え室に一人にして逃げ出されるのではと気が気でなかったのだ。 今日の予定が終 了して控え室に戻ったとき、先程と同じ場所にフキエがいて「休憩ですか、コーヒーお淹れしますか?」と聞かれ、その場にへなへなと座り込んでしまうくらいほっとしたのだ。


「彼女、仕事探してるところだったって言うからスカウトしちゃいました。明日から受付業務をしていただきます。」

「なか……ナカノ フキエと申します。よろしくお願い致します」


「中野さん、年いくつー?」


 好奇心でスタッフが話しかける。フキエはそちらを見て静かに答えた。


「26です」

「へえ、美人さんだよねー?モテるでしょー

 」


  からかうような声に玲二の方がムッとした。あいつは彼女よりも年下じゃないか。 年功序列ではないと言ってはあるが、初対面であの馴れ馴れしさは失礼だ。 注意しなければと玲二が思っていたとき、隣でフキエが不思議そうに声をあげた。


「美人さん、って私がですか?はじめて言われました」


 え、と全員目を点にする。言われ慣れてて聞きあきた、じゃなくて?それくらい10人が10人、美しいと思うような容姿だ。そんなわけはない。 それでもフキエは不思議そうに鏡だらけの店内で首をかしげていた。



 玲二の家はサロンから歩いて20分ほどの場所にあるマンションのにある。 いつもは健康を考えて歩いて通勤しているが今日はタクシーを使った。 連れの格好があまりにも痛々しかったからだ。 下手すれば通報されそうだ。


「ここー」

「……おじゃまします」


 先に上がった玲二が振り返るとフキエは後ろにしゃがんで靴を揃えていた。 やっぱり育ちは良さそうだ。 さっきだってあの品のないヤツにも敬語で返していたっけ。 あー、あいつは明日ガッツリいってやんないと。


「ただいまー」

「……おじゃまします……」

「おかえりー、お腹すいてるー?あたしも今日立て込んでて、これからなんだけど、ピザでも……」


 部屋の奥から出てきたのは20代前半に見えるジャージの女だった。 長い髪をふたつに分け、度のキツそうな眼鏡をかけている。 玲二の後ろにいたフキエを認めると言葉は途切れ、動きも止まってしまった。


「ナカノさん、あれ妹のあかり。こちらナカノ フキエさん。しばらくここにいてもらうことにしたから。それでさー……」

「かかかかかかっ」

「え」


 自己紹介と思い口を開いたフキエだったが、ぐいぐい迫ってきたあかりにむしろ引いてしまった。


「彼女っっっっっーーーーー!!」


 その勢いのままフキエに抱きついた。 驚いて軽くもがく。 させまいとあかりがさらに強い力で抱き締めた。

 

パスッ。玲二があかりの後頭部を軽くはたく。


「ごめんね、ちょっと可笑しい子で。あかり、彼女じゃないから落ち着け」

「違うの!?」

「残念でした」

「……ナカノ フキエと申します。事情がありましてお世話になることになりました。家事はある程度できますのでなんでも言いつけてください」


 フキエが頭を深々と下げた。


「それで、この人今日の着替えとかも持ってないんだ。まだその辺の店空いてるだろう。あかりちょっと行って買ってきてくれない?」

「ううううー、仕方ありません。フキエさん、はじめてお会いして失礼な質問ですが、下着のサイズは65のCでよろしいでしょうか?」

「なんっ!」

「今抱きついた感じで、てへっ」


 玲二は口をパクパクとして顔を赤くしているフキエと小首を傾げるあかりを見て、先が思いやられると内心ため息をつく。


「お前、そーいうことは俺のいないとこでやれ。」


 玲二はあかりに財布を預けると別の部屋にいってしまった。 着替えにでも行ったのであろう。


「……じゃあ、いるのは下着とパジャマっぽいのと、洋服はとりあえずあたしの着てくださいね?サイズもダイジョブと思います。」

「お手数お掛けして申し訳ありません……」

「いんですー。玲二くんが女の子連れてきてくれただけでなんかテンション上がってきましたー。」

「……あまり、なかったんですか?」

「てか、お初ー。」

「……初めてが、ゆきずりの女で申し訳ありません……」


 なんと言っていいのか、思わずの言葉にあかりはさらに笑った。


「ゆーきーずーりー!拾われちゃったんですか?フキエさん?」

「……え、まあ、そんなところです」

「うはー。んじゃあ、買い物してきまっす!あ、これ着替えに使ってクダサイー!」


 あかりは財布片手にうきうきと飛び出していった。 残されたフキエも借りた洋服に袖を通した。


 ワンピースのスカートは汚れだけではなく擦りきれていた。 掴んだ金網から2度も引きずり下ろされたと思えば当たり前だ。

 それだけではない。 叱り飛ばされ頬を叩かれた。 思えば人からそんな乱暴にされたことはなかった。 そのくせ店に入ってからの玲二は、細々と気を使いとても優しい。


 おかしなひとだ。


 そう思い少し微笑む。 ところでこの、あかりに借りた服はヒラヒラしすぎてはいないか? いくら暑い季節とはいえ袖もついていないとは心許ない。 後で羽織るものでも借りなくては。

 そこで、ノックが聞こえる。


「なんか着替え借りた?良かったらお茶でも飲まね?」

「は、はい」

「……」

「あ、おかしいですか?変ですか?」

「んにゃ、似合うよ。あんたは色が白いからそんな淡い色、よく似合う」

「……」


 そういいながら玲二は背を向けてダイニングに戻ってしまった。 こっちおいでー、と声をかけてはくれたがフキエには取り残された気持ちが残った。


 ダイニングでは玲二がコーヒーを淹れてくれていた。 まろやかな薫りが部屋を包みホッとさせる。


「あかりになんか食うもんも買ってこさせればよかったなー。何にもねえや」


 玲二は冷蔵庫を開けぼやいた。


「……着替えもお借りしましたし、私なにか買ってきましょうか?」

「んーん……」


 玲二はしゃがんだ状態からフキエを見上げた。 ノースリーブから覗く腕、膝も露になるシフォンのスカート。 その膝は昼間金沢にしてもらった応急処置のままの大きなガーゼがついたままだ。


 なんだってあかりの奴、こんな露出の多い服出してきやがったんだ。 さっきドアから顔を出したフキエを見て、心臓が走った。 もともと綺麗な造作だと思っていた女が、好みドストライクなワンピを着てるとなれば、そりゃ、胸も騒ぐってもんだ。


 あかりめ、その手には乗らねーぜ。


 彼の妹、あかりは恋もせず実家にも帰らない玲二を心配した両親が数年前送り込んできた。 あかりの仕事の都合もあり、その後それまでよりも大きな家に引っ越すことになったが以来ずっと兄妹で生活をしている。


 あかりは玲二の好みをよく知っている。今、確かにそう思った。

 だからと言って恋など、玲二には必要ないのだ。


 もう、誰も好きになどならない、そう心に決めている。


 仕事だけでいい。 打ち込めるもの、大切なもの、場所、人。 全て仕事に繋がることだけでいい。

 もちろん、あかりに、両親にそんなことは話していない。 忙しくて、気が回らなくて、そんな言い訳をしながら恋愛からは遠ざかっている。


 だからよ、あかり。お前がいっくらこの綺麗な女の子を俺好みに飾ったところで、恋なんかしないんだっつの。


「あ、卵ありますね」

「……え?」


 いつのまにか隣にしゃがんでいたフキエがならんで冷蔵庫を見ていた。


「じゃあ、なにか作りましょうか?ご飯ありますか?」

「あ、あー。冷凍したのがあっかも」

「では、それを拝借します。キッチンお借りしますね?」


 言うが早いか、フキエはキッチンに立ちてきぱきと作業を始めた。 これは使っていいかとか、あれはあるかとか質問をしながらあかりが帰ってくる頃にはダイニングはいい香りが漂っていた。


「たっだいまー。うわわわわ、いいーにおいー!」

「玉子丼作ってみました。お口に合えばいいのですが……」

「おいしそーーーーっ!たたたべていいデスカっ?」

「冷めないうちにどうぞ」


 いただきまーす、と元気に発声したあかりが箸をつける。 それを見て玲二とフキエも席についた。


「お、いっしーーー!」

「よかった」


 玲二も自分によそわれた玉子丼を口に運んだ。

 おいしい。 普通に美味しい。


 松谷家はほとんどの家事を自宅で仕事をするあかりがまかなうが、料理は今一つであった。 玲二にしても大したことはないので、お互い稼ぎがある兄妹は、ほとんどを外食かデリなどで済ませていた。

 あかりが夢中で掻き込む玉子丼は甘く味を付けた玉ねぎがトロリと半熟の卵でとじてあるだけのなんでもないものだ。 しかし玲二は少し意外な一面を見たような気がした。料理などするタイプには見えなかったのだ。

 それをはじめてのキッチンで道具で、スムーズに作り上げられた親子丼。 包丁の扱いも危なげなかったし、盛り付けもきれいだ。


「……ん、うまい」


 もうあかりは完食している。 料理はできないくせにうまいものには目がない。 キラキラと輝く顔でフキエを見ていた。


「フキエさん、あたし、からあげ食べたいデス」

「はい、作れますよ。私のからあげは塩ベースです」

「あふうー……楽しみです……」



 兄妹の住む部屋はメゾネットタイプの3LDKだ。

 場所柄家賃はそりゃあお高いが、二人の収入をあわせればまあ、無理のない程度だろう。 玄関を入ると小さなホールがありそこからそれぞれの個室に繋がる廊下が延びる。 東側の2部屋をあかりが、西側の1部屋を玲二が使っている。 玲二の部屋の前に2階に上がる階段があり、そこにはリビングダイニングがある。 東に向いた大きな窓からは朝日が差し込むのだろうが今は淡いグリーンのカーテンが視線を遮ってくれていた。


「じゃあ、この部屋使ってな。あかりと一緒で申し訳ないけど」

「はい、おじゃまします……」


 部屋は二間続きの洋室だった。 2部屋をしきるスライドドアは開けられ大きな空間として使われていたのだが。


「……」

「……ビックリした?」


 その手前の部屋は壁という壁に本棚が備え付けれており、その前にも溢れだしたファイルやら本やらが山積みになっている。 中央には大きい机があり、その上も書きかけの書類のようなものがうずたかく積まれていた。


「お前、仕事どうなのよ」

「んー、もう2、3日で打ち合わせデスネ」

「掃除しろよ?」

「あい。」

「あの、あかりさんのお仕事って……」

「マンガ家デスー」

「マンガ……」


 そういわれれば本棚の前につまれた本は表紙にイラストが書いてある雑誌のようだ。 かなりの種類のものがおいてある。


「フキエさんはマンガ読まないデスか?」

「はい、そういう習慣はありませんでした」


 フキエは部屋のなかに入り机の資料をしげしげと眺めた。 殴り書きのような細切れの文章が綴ってある書類たち。


「締め切り間際はここ、戦場みたいになっちゃうけど、あとはあんまメイワクかかんないと思うから。へへへ、ヨロシクねえ」

「いえっ、こちらがお邪魔しているんですから……」


 玲二にお休みを言うと二人はその奥の部屋に進む。ここが寝室のようだ。 ホテルのツインルームのようにベッドが2台並んでいた。


「あんまりつかわないんだけど、仮眠用に1台いれてるんデスー。そっち使ってくだサイ」

「ありがとうございます」


 じゃあ、こっちー。とあかりが手を引いて廊下に出る。 風呂とトイレを案内された。 ちょうど玲二の部屋とあかりの部屋の間に水回りはすっぽり収まっていた。


「玲二くんは朝シャワー使うから、気を付けてねー?んで、使い方は……」


 細かくタオルの場所やなんやを聞き、先に使うといいと勧められた。あかりに買ってきてもらった着替えを手にシャワーを使う。

 暖かいお湯を浴びていると自分は何をやっているのかと思う。


 もう今ごろはこの世にいないはずだったのに。

 全て始末して見つかりやすいところで命を絶てば捜索願等だされず綺麗に終われると思っていたのに。

 叩かれた頬に触れる。 もう痛みもそんなにないが、あの一瞬は頭が白くなった。


「……怒られた」


 フキエは自分の顔が少し笑っていることなど知らない。



 風呂場を出ると、廊下に玲二が立っていた。 彼は朝シャワーを使うと聞いていたが待たせてしまったのだろうか。


「お先にお借りしました。お待たせして……」

「んや、俺は朝だから。……じゃーなくて、これ。」


 差し出した手には湿布の袋。


「まだ痛てえ?」

「あ、いえ……」

「なんか、俺、思いっきりぶっ叩いちゃったから、さ」

「大丈夫です。ご心配お掛けして……」


 ん、玲二が顎をしゃくる。


「え?」

「髪の毛、あげな。貼ってやっから」


 少し戸惑うような仕草を見せ、フキエが片手で耳の横の髪を押さえる。 玲二は自分が打ったそこに湿布を貼り付ける。


「アザとかになんねえで、よかった」


 ふるふるとフキエが首をふる。 あんなに死にたかったのに、生きていたくなんてなかったのに。 どうしてだろう、胸が苦しい。嬉しい。


「疲れただろ、ゆっくり休みな」


 口を開いたら涙も出そうで、お休みなさいさえ言うことができなかった。






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