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この次、恋をするときは  作者: うえのきくの
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 小一時間程経っただろうか。 隣の部屋からフキエが出てきた。 化粧も落とした普段着で、玲二は見慣れたフキエにほっとした。

 手には大きな風呂敷を抱え、部屋を見回す。


「……佐野さんは」

「帰った」


 どーんと重い森閑に包まれる。 今日初めてあったのに、この場に限っては佐野を頼りにしていた玲二だった。


「……」

「……」

「……座れば?」

「あ、はい」


 フキエは風呂敷を傍らにおき、玲二の向かいのソファに腰かけた。 また黙りこむ。 お互いに何から話したらいいのかまるでわからない。

 それでも、玲二には確認しておきたいことがいくつかあった。



「あのさ、うちを出ていったのはフキエの意思ではないんだよな」

「はい、今回は。でも、いつかは出ていかなくちゃいけないと思っていました。」

「なんで」


 少しきつい言い方になっただろうか。 フキエが肩をすくめた。


「……玲二さんに亡くなった恋人がいたって聞いたときに、そうしなくちゃって。私は、玲二さんの前で死のうとして、そういうのよく思われていないだろうなって。

 気がつくまでは良かったんです。でも、玲二さんを……好きになってからは、ただ、嫌われたくなくて……」

「……嫌いになんかなんねーよ」


 思わずふて腐れたような声が出た。 玲二はフキエの方を見ることができず、下を向いたまま彼女の言葉を待った。


「……ありがとうございます。

 でも、自分が美容師になりたいって思ってからは、出来れば玲二さんのそばで勉強したいって思うようになって、連れ戻されていい機会だからちゃんと決着をつけようって」

「決着?」

「私にはナカガワを継ぐ意思がないこと。両親にずっと言えなかった気持ちがあること。自分の夢を叶えたいこと。

 正直親ですから、恋しい気持ちとか、愛してほしい願望とか、子供みたいにずっとあって……でも、キレちゃいました。遅れてきた反抗期って怖いですね。もう、勘当されてもいいやって言いたいこと言っちゃったんですけど……」

「許してくれたんだろ?親父さんたち」


 どうして?って言う顔をフキエはしたが、佐野にヒントをもらったなんて悔しいから内緒にしておいた。

 でも、きっとヒントがなくても全部の鎧を脱ぎ落としたようなフキエの表情できっとわかったはずだ。


「心配かけて、ごめんさない」

「ああ、うん。いい逃げ……されたのかと思った」

「……」

「あかりはきっと事故に巻き込まれたんだって言うんだけど、俺たちフキエのことをなにも知らなくて捜索願いも出せなかった」

「ここ、電話もみんな取り外されちゃって、外には佐野さんがいつもいて。お見合いが終わったら、とにかく逃げようってそればっかり考えてました」


 もっと大事なことがあった。


「見合いは?どうなったんだよ」


 あんなにキレイなフキエが出ていったら相手がホテル王の娘じゃなくてもグラッとくる。 その上知らないかもしれないけれど、こいつは飯を作るのもうまくて、客にも受けがよくて、優しくて……玲二がありとあらゆる誉め言葉を展開させていると、なにか言いづらそうなフキエが目をそらしたままポツリといった。


「両親に対する暴言を吐き終わったあと、なぜか気に入られて、プロポーズされてしまいました」

「それで!」

「……私がここにいるということで、察してください」

「断ったんだな?」

「はい……」



 ねえ、結婚しよ?

 そう言った見合い相手は、面白そうにフキエを見ていた。 今のやり取りのどこに、こんなどんな女の子も堕ちてしまいそうな、甘い笑顔の男に好かれる素質があったのか。

 少し前のフキエになら、とてもよい話だったのかもしれない。 ホテルは任せろといってくれる、自分には夢を応援するといってくれる。

 でも、そこには、一番大切な人がいないではないか。

 子供の頃に憧れた、父が連れてくる理想の塊みたいな人とは違う。 弱いところも、誉められない過去も持っている。 今ももしかすると、その弱さを知らず引きずっているのかもしれない。


 でも、なにも持っていない自分をきちんと見てくれた。

 死んではいけないとひっぱたき、ご飯が美味しいとおかわりをしてくれた。 情けない恋に決着をつける勇気をくれて、無謀な夢を『いいな』と言ってくれた人。


「ものすごく尊敬していて、そばにいたくて、憧れていて……誰にも渡したくない好きな人がいる、と言って断ってきました」


 本人に自覚があるのかないのかは知らない。

 フキエは真面目な顔をして、まっすぐに玲二を見つめてそう言った。

 これ以上の口説き文句は、たぶんない。


「……フキエは俺の過去のこと、どう思ってる?今の俺もあの頃の俺も、やっぱり同じ人物なんだ。もう、あんな無茶なことをしない自信はあるけど、あのひでえ俺も間違いなく俺の一部だ。」

「……そんなこと言ったら、飛び降りようとした私だって私の中にずっといますよ。いつか、逃げて逃げて玲二さんを悲しませたり迷惑かけるかもしれない。」

「それは……っ」

「だから、おあいこです。

 私たちはお互いこの道を歩かなかったら出会えませんでした。どんな運命でも必ず出会えたなんて、私には思えない」

「フキエ……」


 玲二は覚悟を決めてソファを指差した。 フキエのとなり、少し空いたソファのスペース。


「なあ、そっち行ってもいい?」

「え?……えと、どうぞ」


 玲二が座ると程よいクッションが腰を包む。 フキエは体をよじらせて少し離れた。 しばらくそのままで気まずい沈黙が漂ったが、玲二はそ知らぬ顔でフキエの方へにじっていった。


「……近いです」

「わざとです」


 困った様子でフキエが玲二を見た。 玲二はさっきからずっとフキエを見ていた。

 最初に会った時のように、ほとんどすっぴんの白い頬が、玲二と目が合うと朱に染まった。


「さっきの、俺のこと?」

「さっき……」

「誰にも渡したくない、好きな人」

「わーーーーー」


 顔を覆って叫んだフキエにほんの少し肩を触れさせる。

 ビクッと揺れてそのまま固まった肩を掴み、ゆっくりとこちらを向かせた。

 頬どころか首筋まで赤くなったフキエに静かに伝える。


「……俺も好きだ。フキエが好き。

 俺もフキエのこと誰にも渡したくない。ずっと一緒にいたい。いつも、一番近くに」

「玲二、さん」


 フキエの肩をつかんでいた手を、そっと背中でクロスさせる。 フキエは自然と腕の中に入ってきて、玲二の胸に頭が触れた。



 誰かを好きになる気持ちなんて、玲二は今まで知らなかった。

 そのメカニズムは不思議で、苦しくて、どこか痛い。

 いつの間にか心臓の横にフキエのための部屋ができていて、そのなかで満たされた炭酸が小さく弾ける。 無数の泡が壁の内側をやわらかく刺激して、くすぐったい。

 そうかと思えば内側からなにかが射し込む。 チリチリと痛み、掻きむしりたくなる。

 時にはその部屋ごと、大きな手で握りつぶされそうになる。 苦しくて苦しくて、叫びたいけれど声もでない。


 みんなが今まで、こんな気持ちを抱えていたなんて知らなかった。 胸のなかで爆発しそうな切ない感情を抱えて、勉強したり仕事をしたりしていたなんて。

 自分はこんなにいい大人で、それでも小学生にだって負けてしまうかもしれないくらい、恋など知らない。

 初めて自覚した恋の前で、玲二はあまりにも無力だ。


 もしかしたら、涙目になっていたかもしれない。 本当にフキエには情けないところばかり見られている。

 でも、いいや。 それでいい。

 フキエがいて、そばにいて、笑ったり怒ったり、時には喧嘩してみたり。 それだけでいい。

 なにぶん初心者だ。

 大人なのに、臆病だ。


「……もう、どこにも行くなよ」

「……はい」

「好きだ……好き、ほんとに、どうしよう俺」


 玲二の声が頭に直接響いて、軽い酩酊状態のような気分になる。

 フキエは自分の心拍もかなり走っている自覚があったが、玲二のそれも相当に速い。 相手の胸から直接とどく鼓動が、緊張と同時に安堵もくれる。 こうしているだけですごく気持ちがいい。 ゆらゆらと波に揺られてるようだ。


「あ。」

「なんですか?」

「大事なこと、その1、忘れてた。佐野さんにお父さんとの約束忘れないでくれって伝えるように言われたんだった。なに?約束って」


 耳に直接響く声は少し聞こえにくい。 でも、玲二の声なら聞こえるから不思議だ。


「約束は……たまには顔を出せ、って。そんなこと言われたことないからビックリしちゃいました」

「そっか、よかったな」

「はい。もしかすると今までぎくしゃくしていたのは、言いたいこと言わなかったからなのかなって。父は確かに横暴なところがありますが、私も私でそういうものだから仕方がないって諦めていたところもあったんです。

 弟は、始めから音楽をやりたいって主張していたので、ホテルに関しては自分は関係ないことにしてほしいって。

 でも私は……」


 兄が亡くなってから、自分のことですら思い通りにならないと諦めていた。 父のいいなりでしか生きていけないと。

 でも考えてみれば、兄と父もしょっちゅう衝突していたし、仕事のことで意見が食い違うこともあった。 兄も父もお互いの文句を言い合っていて、それを聞いていたのは母やフキエだった。

 それでよかったんだ。

 フキエと父親は違う人間だ。 当然、考え方も違えば優先順位も違う。 話し合わずに、意見も言わずに諦めてたのはフキエ自身、だ。

 すべてわかり合えるなど肉親だって無理だ。 小さい世界のなかで、そんなこともわからなくなっていた。


「これからは、言いたいこと、どんどん言います。思春期からは卒業しました」

「そうだな。親父さんにだけじゃなくってさ、俺やあかりにだってなんでも言えよ?」

「ふふ、そうします」


 これ以上ないくらいに寄り添ったからだは、シャツ越しの体温をわけあって今は緊張よりも安らぎが勝っている。

 なにも話すことがなくても、ずっとこのままでいられそうだ。


 そうやって、玲二の心音を聞いていたフキエに、また声が届く。


「あのさ」

「はい」

「大事なこと、その2」

「……はい」


 なんだろう。 少し緊張している玲二を見上げた。

 しばらくしどもどしていたが、ついに覚悟を決めたのか一息に告げた。


「この部屋、明日まで使っていいって」







 美容師の通信教育は4月スタートの講座を受けることになった。 それまでは今まで通り玲二のサロンで受付兼雑用の仕事をしている。

 見合いの席で来ていた振り袖はフキエが自分で着たものだとその後わかり、お正月と成人式は目も回る忙しさだった。 子供の頃からたしなみとしてお華にお茶に着付けなどを叩き込まれていたことがこんなところで役に立つとは思いもよらなかった。


 フキエは会社の寮に移ることになった。 そのまま玲二の家で同居したって構わないとあかりには言われたが、それは、フキエと玲二なりのけじめだった。


 お見合いの日を境に、二人は付き合うことになった。

 いい年をした大人たちは、恥ずかしながら初めての恋人を持ったわけだ。

 この年齢だ、当然結婚も視野に入れた付き合いになるだろう。 いつか、そうなったときにそれぞれの家族に心象が悪いのも居心地が悪いと、玲二が提案した。今までのことをリセットして新しく始めたいと、フキエも望んだ。

 反対したのはあかりだった。


「ワタシのご飯は誰が作るんデスかあああああ!」



 ───自分で作れよ、玲二に一喝されたあかりだった。





「それで、考えていただけましたか?」

「えっと、2週間前もまだそういう気にはなれないし、物理的にも数年は無理だと思うと申し上げたと思うんですが」

「ええ、存じております。玲二さんのお気持ちを社長に報告する。これが今のわたくしの最重要業務なので」

「はあ……」


 フキエの居所を興信所を使って調べるような父親が、今現在交際している男の情報を知らないですませるはずがない。

 あれから佐野は二週に一度玲二にカットの予約を入れ、偵察に来るようになった。

 フキエは元気でいるか、交際は順調か仕事は繁盛しているか。それに加えて、グランド ナカガワはいつでも玲二を迎え入れる準備があると、店で堂々とヘッドハンティングまでやってのけるのだ。


 ホテルには、当然美容室が入っている。

 つまり、玲二さえよいと言えば今現在入っている業者を入れ換える準備があると、最初に佐野が店に来たときに言われたのだ。


 そ う き た か。


 フキエも初めて聞いたときはあっけにとられた。しかし、そうすればフキエはホテルに取り込めて、仕事のできる婿もとれて、父にとっては一石二鳥どころか四鳥くらいのものだろう。


「まだ、俺の下も育っていませんし、フキエは勉強を初めてもいません。俺にしてもまだここでやり残したこともたくさんあります。移転なんてできません」

「ええ、もちろん。存じております。でも、唾はつけておかないと。他のお店に引っ張られたりしては、わたくしが叱られますから。ご機嫌伺いのようなものですからお気になさらないで下さいね」


 そう言って髪を整え佐野は帰っていった。


「すいません、毎度しつこくて」

「はは、いいんじゃないの?上客でしょう、ああなると」


 フキエはすまなさそうに謝るが、玲二はたいして気にしていない。 きっちり二週に一度、他のスタイリストより施術代の高い玲二を指名してくるのだ。確かによい客ではある。

 今日も帰り際、次回の予約をしていった。



「今夜はあかり、追い込みらしいぞ」

「じゃあ、夜食作りにいきますね?」


 忙しい二人はこんな風に時々修羅場デートを楽しんでいる。 締め切りに追われたあかりは食事どころではないのだが、そんな中でもフキエの作る差し入れを楽しみにしているらしい。 アシスタントも出版社の担当も、それは同じようだ。


 あかりたち用の弁当を作り終わると、あとは玲二のために食事を用意し、それをつまみながら映画などを見たりする。 あまり、出掛けたりすることはできないが、そんなことは構わない。

 うまい飯があって、見たかった映画を二人で観る。 隣に好きな人がいて、いつでも手を伸ばせば触れることができる。

 フキエと二人になれる部屋もある。



 フキエがいくら好きだと言ってくれても、自分の過去がきれいになくなるわけではない。 それでもやっと、そこを通過してきたから今の自分があるのだと思えるようになってきた。


 誰彼構わず関係を持っていた、志帆のことを助けられなかった、すべてに蓋をして仕事に逃げた弱い自分。

 フキエに出会って、彼女の弱さを知って、強さに憧れた。

 雨水が大地をくぐってきれいな水になるように、玲二も少し強くなれたのかもしれない。


 佐野の、フキエの父親の話を受ければそれはすなわち独立ということになる。 自分にそういう未来が待っているとは玲二は夢にも思わなかった。


 このサロンは、好きだ。

 始めたときは夢とも希望とも違う目的でスタートした仕事だったが、今では玲二を形作る核であることは間違いない。

 仲間がいて、自分を贔屓にしてくれている客がいて、フキエがいる。 それらが作り上げるサロンの雰囲気が好きだ。

 今はここから離れることなど考えられない。


 それでもいつか。

 どういうタイミングかはわからない。 フキエが一人前になったときなのか、後輩がチーフに昇格したときなのか。

 いつかその曲がり角に立ったとき、玲二に与えられたいくつかの選択の中に、グランド ナカガワでの独立があるというのも面白いのかもしれない。

 そんな風に今を楽しめる自分を、玲二はもう、嫌ってはいなかった。


 もうすぐ春がくる。

 それぞれに新しいことが待っている。 希望ではち切れんばかりの人も、不安を抱えている人もいる。

 ヘアスタイルを変える手伝いをすることで、そういう人の背中を押せればいい。 小さなことだ。でも、ガラッと気分が変わることだってある。 少しだけ自信をもって、前を見て歩ければいい。


「おはようございます!」

「おー、おはよー」


 そんな玲二の最高傑作が朝の空気の中出勤してきた。

 玲二の今日に、新しい空気をつれて。







おしまい。









最後まで読んでいただき、ありがとうございました。また別のお話でお会いできると嬉しいです。

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