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この次、恋をするときは  作者: うえのきくの
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 昼休みの屋上はすこんと抜けるように青い空が必要以上に目に眩しい。

 松谷 玲二は薄く目を開けていつもの定位置にしゃがみこんだ。羽織ったジャケットの内ポケットからタバコを出しくわえる。 使い込んだライターで火をつけ深く吸い込む。吐き出した煙は、あまり風の強くない日だが瞬く間に消えてなくなる。


 今の職場についてすぐ髪や服に臭いのつきにくいという触れ込みの銘柄に変えたが、それでもいつも気にしている。 いっそのことやめてしまえばいいのにとサロンのやつらからも言われるが、今のところそのつもりもない。


 このビルは彼が所属する美容院が入っている。そのオーナーが所有する建物であるため管理用の鍵を玲二が預かっている。 そうでなければここは立ち入り禁止だ。人が入る想定になっていないのでフェンスも低くあまり手入れもしていない。


 昨今の喫煙者廃絶の流れを受け、玲二の美容院も例外なく全面禁煙だ。 チーフスタイリストの彼とて特別扱いはされない。よってもう昼でもない時間の短い昼休みにもここに来て、ニコチンと仲良くするのだ。


 もう一本、と手を伸ばし火を着けた。 肺一杯にメンソールを吸い込んだとき紫煙の向こうに人影を見た。 ひとつしかないドアから白いワンピースをまとった女が出てきたのだ。

 彼女のスカートは髪は夏の風に揺れ華奢な脚や顔を露にした。ここで人を見るのは初めてだ。 スタッフが自分を呼ぶときも携帯だし、まして関係者以外がここに立ち入ることなどない。


 様子を観察する暇もなかった。 彼女は迷うことなく屋上の回りを申し訳程度に囲むフェンスに向かって進む。 そしてそれに手をかけるとためらいなく登り始めた。


 まずい


 そう考えたときにはもう飛び出していた。 がむしゃらに彼女のウエストに手を回しフェンスからむしりとった。 誰かがいるなどとつゆほども思わなかったのか、目立った抵抗もなくあっさりと引き剥がされた女は玲二もろとも後にひっくり返った。


 玲二は急に回った世界に一瞬目が回ったがすぐに半身を起こし、女の無事を確認しようとする。


「おい!しっかりしろ、目を開けろ!」


 頭を打ち付けたのであれば無理矢理起こしては危ない。肩を揺すり意識の有無を確認する。

 ほどなく睫毛に縁取られた目が細かく震え、うっすらと開いた。


「大丈夫か、気持ち悪くないか?」

「わたし……」

「何やってんだよ!こんなとこから落ちたら死んじまうぞ!」


 空に向かって瞳が揺れる。すぐにゆっくりと玲二をとらえた。

 さらさらと顎ラインで切られた髪の毛が額や頬で遊んでいる。 あまりメイクはしていないが、品のいい美人だ。 よく手入れされた皮膚は輝くような透明感だし、ふっくらとした唇は何も塗っていなさそうなのにつやっとしている。

 仕事柄、美人は毎日のように見るが彼女は段違いだ。なんというか、パーフェクトだ。


「あなたが、助けて……」

「いや、ああ。あんた変な気起こすんじゃねーよ」


 きれいな眉が寄せられて、確かに玲二は聞いた。


「……ちっ」


 絵に描いたような美人のお手本が、顔をしかめて舌打ちするのを。




「とにかく、もうおかしなことしようとすんな。死んだってなんにもいいことねえぞ」

「……」

「聞いてんの?」

「……はい」


 しっくり来ない女の態度に落ち着かなくはあるが、自分はやれることはやった。 あとはどこへでも行き好きにすればいい。 屋上をあとにして階段を降りると女も素直についてきた。


 きれいな顔、着ているものだって悪くない。 金には困っていないだろう。 なのにどうして死のうなんて ……いや、違う。 どんなに恵まれていても死にたくなるときはある。 玲二もその事を知っている。 それでも生きていかなくてはいけない。 彼女もその事に気がついてくれるといい。


「じゃあな」

「……ありがとう、ございました」


  きちんとお礼も言える。 大丈夫だ、あんたならきっと幸せになれる。 あのとき死ななくてよかったときっと思える。 糞みたいな俺だって時々は幸せを感じるときがあるし、生きててよかったという瞬間に出会うこともある。 生きろ。 生きてもしも思い出すようなことがあれば、一度でいいからカットさせてくんねえかな。 その、さらさらとしたその綺麗な髪をさ。



  道路に沿ってガラス張りになった店内に戻ってきた。 チーフなんて大層な冠がついてから滅多なことで飛び込みの客を施術することはない。 受付をしていたスタッフが最近アシスタントに転向したので現在は時々玲二がそこに座っている。


 トップスタイリストという位置にプライドがあるわけではないので、彼は朝も程々早く出社して開店準備にも参加する。 手が空いているものがいなければ、草むしりだってする。 トイレの掃除は女性スタッフから止められた。 それでも仕事はなんだって楽しい。

 自分が生きて、誰かに必要とされ、喜ばれる。 自分のサロンに入らない人でも美しく整った花壇を眺めて、きれいだと感じてくれたら。 そのついでにいつかウチでカットでもしてくれてまた喜んでもらえるなら、そんなに嬉しいことはない。


 そんなこんなで今日も玲二は受付カウンターに座った。 もう一時間ほどで指名客がやって来る。 それまではここで、電話番や他のスタッフのフォローに当たる。

 通りが一望できるガラス張りのフロア。そこから道行く人を見る。


  さっきの女だ。

 頭上を見ながら、通りを行く。 そして、筋向かいのビルの中に入っていった。

 まさか、あのバカ女!

 冷や汗が背中を滑る。 もう、じっとしていられなかった。


「結城!ここ頼む。すぐ戻る!」


  手がすいたスタッフを捕まえて、玲二は表に飛び出した。 ビルは古い7階建て。 エレベーターはまともに動くんだろうかといつか店で話したことがある。

 そのエレベーターは今、7階に向かって上がっていく。 玲二はその横にある階段をかけ上がった。

 膝ががくがくとして息はこれでもかと上がる。 なんで身も知らずの女のためにせっかくセットした髪を振り乱しているのかわからない。 それでも走らずにはいられなかった。それはたぶん、彼女のためじゃない。 自分自身のためだ。


  錆び付いたドアは閉まりきらずにいた。 それにぶち破る勢いでぶつかり屋上に転がり出す。 本当のことを言えばもう一歩も歩けないと日頃の運動不足を猛省したいところだが、そんなことは言っていられない。 女の姿を認めると有らん限りの力で走った。 もう、金網を登りかけている。 自社ビルよりはその高さが少しある、そうでなければ間に合わなかっただろう。


「お、まえっ」

「な、に……?」


  自分も金網によじ登り女の背中に飛びかかる。 小さな手を掴んで引きずり下ろした。

 呆然としていた女が我に帰り視線も鋭く睨み付けてきた。


「バカなことすんじゃねえってのがわかんねえのかよ!!」

「……うるさいっ!私が何しようとあなたには関係ないでしょう?!ほっといて!」



 高い音がしてそれが自分の出したものだと一瞬後に気がついた。

 思わず玲二は女の頬を張っていた。 自分でも思いのよらない力だった。 手がジン、と痺れている。


「わ、るい。……でもお前さ、死んだってなんにもならねえよ?考え直せよ」

「……」

「おい、なんとか言えよ」

「あなたに……」

「ん?」

「あなたに私の何がわかるって言うの!私は全部覚悟してみんな始末しちゃったの、もう、今日から生きていくところなんてないんだからっ!」


 ずるりと擦りむいた膝から血が流れている。 ストッキングは無惨に破れ、白いワンピースも汚れていた。


「始末って……」

「家も、お金も、何もかも!皆精算してきちゃったの!生きていくための何もかも捨ててきたのっ!」

「……」




つまり、彼女は本気で、しかもかなり冷静に自分の死後について考えていたのだ。

 仕事はひと月前に辞めている。 今まで住んでいた家も今日引き払ったそうだ。 家財道具はすべて処分した。 『新居で買いそろえるから要らない』のだと言えば不動産屋も不思議には思わなかったらしい。

 洋服は全てリサイクルショップに持ち込み、保険類は解約して金にして、銀行口座も閉めた。 それらの金は匿名で寄付してしまった。 細かいのまで寄付すれば不思議がられるかと思い、半端なところはここからすぐの神社の賽銭箱にいれしまったそうだ。


 一切容赦なくこの世に未練がない。


その事を無理矢理つれてきたサロンの控え室で聞き出した。

 膝の手当てを頼んだスタッフの金沢には店の中から転ぶのが見えたとか言った。


「お前、しばらくここにいろ」

「……」

「今、受付スタッフ募集してたから、ちょうどいい。そうしろ」

「いえ、私は……」

「金沢ありがとう、ここはもう大丈夫。フロア頼んだ」


 スタッフを外に出し、玲二は女に向かって言った。 それは懇願だった。


「俺はあんたに死んでほしくねえんだよ。俺があんたを知らなかったならどこで何しててもあんたの勝手だ。でも、俺はもうあんたが存在してるってことを知っちまったからな。止められなかったなんて俺が傷つく」

「……偽善ですか」

「ああ、なんでもいいぜ。あんたが生きてんなら。」


 女は思案の顔をした。 逃げてどこかで死んでやろうと思っているのだろうか。 これだけの決意を固めたものの考えがそう簡単に覆るとは思えないが。


「……わかりました。しばらくの間お世話になります」

「おう、それでいい。住むとこも俺んちこいよ。狭いウチだけどあんた一人くらい……」

「そそそそそれはだめですっ。ここの床にころがって寝ますからお気遣いなくっ」

「いや、あんたの方こそ気い使わなくていいから。俺んち24時間365日妹がいるから。さすがに野郎一人の家に女誘ったりしねえって」

「あ、はい。失礼しました」


そろそろ予約の客が来る時間だ。 玲二はヒップバックを付け控え室を出ようとする。 はたと気づき振り返った。


「俺、松谷 玲二。ここのスタイリスト。あんたは?」

「……な……ナカノ フキエです」

「フキエ……どんな字書くの?」

「富士山の富、貴金属の貴に恵むで……」

「おー、いい名前だな。なんか、キラキラしてる」


そう言って玲二は呆けるフキエをおいてフロアに出ていった。 変なひとだ、そう呟こうとしたとき再びドアが開いた。


「なあ、腹減ってたらそこの菓子パンくっていいぞ。コーヒーも勝手に飲んでいいからな!」


 コクコク頷いたフキエはその一言を飲み込んでしまった。







はじめまして、うえのと申します。

ノンビリ更新していきますので、どうぞよろしくお願いします。

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