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第3章 構造計算書と異界の理



新宿の朝は、絶叫と共に始まった。

昨日まで地上に鎮座していたはずの魔王城が、地上五十メートルの高さまで「浮上」していたのである。

都庁の展望台とほぼ同じ目線で浮かぶ巨大な石造建築物。その禍々しい影が、新宿駅の東口を飲み込んでいた。


「……九条さん、これ、何でしょうね。ドローンにしては大きすぎますし」

新宿御苑の立ち入り禁止区域で、佐藤健太郎は首が痛くなるほど空を見上げながら呟いた。

その手には、通常の不動産登記簿ではなく、厚労省と国土交通省、さらに防衛省から矢継ぎ早に転送されてきた「問い合わせ内容」のメモが握られている。


「浮遊工作物、あるいは繋留されていない航空機……。日本の法律には、空飛ぶ城を想定したカテゴリーなんてないわよ」

九条玲奈は、三脚に固定したトータルステーション(高精度測距儀)を覗き込みながら、苛立ちを隠さずに答えた。

彼女のタブレット端末には、複雑な応力解析ソフトの画面が、警告を示す真っ赤なアラートで埋め尽くされている。


「でも佐藤さん、法律云々の前にこれを見て。風荷重の計算が全く成立していないわ。上空は地上より風が強い。今のままだと、この城は巨大な凧と同じよ。もし突風が吹いたら、新宿三丁目の方まで流されるわよ」


「それは困りますね。道路占用許可以前に、領空侵犯と航空法の問題になります」

佐藤は手帳を開き、「航空法第51条:航空障害灯の設置義務」という項目に赤線を引いた。

「高さ60メートルを超えたら、あの尖塔に赤く点滅するライトを付けなきゃいけません。魔王さんに、電気工事の業者を手配するように言わないと」


二人は、魔王が城から下ろした「魔法の光の階段(暫定的な垂直移動設備)」を使い、上空の城へと乗り込んだ。

城内は、昨日の「清掃勧告」が効いたのか、わずかに整理されていたが、建物全体が「ミシッ……ミシッ……」と不気味な低い音を立てて震えていた。


玉座の間では、大魔王ゾルディスが、地上を見下ろしながら不敵な笑みを浮かべていた。

「見たか、人間共よ! これぞ我が魔力の真髄、浮遊要塞ゾルディス! 地上の法など、空にある我が城には届かぬ!」


「届かないのはあんたの正気よ、魔王さん」

九条が、図面ケースを大理石の床に叩きつけた。

「あんた、この城を浮かせるために、どれだけの魔力をどこに集中させてるの? 構造計算書、作り直した? 浮力……じゃなくて、魔力による揚力の中心点センター・オブ・ブーストが、城の重心(重心)から東に3メートルもズレてるわよ」


「重心……? そんなものは魔力で強引に抑え込んでおるわ!」


「それが一番危ないのよ!」

九条はタブレットを魔王の鼻先に突きつけた。

そこには、城の断面図に無数のベクトルが描き込まれている。

「今の状態はね、片手で巨大な岩を無理やり持ち上げているようなもの。魔力の供給がわずかでも不安定になったら、この城は空中で一回転して、逆さまに墜落するわよ。あんただけならいいけど、下にいる数百万人を巻き込むつもり?」


「ぐ……ぬ……」


「さらに言わせてもらえば、この城、増改築を繰り返してるわよね?」

九条の指摘は、魔王の心臓を射抜く聖剣よりも鋭かった。

「この北側の塔、後から付け足したでしょ。接合部の強度が足りていない。本来は耐震補強が必要なレベルなのに、浮遊させたことで『ねじれ(剛性率の偏り)』が致命的になってる。見て、ここの壁にクラックが入ってるわ」


彼女が指差した先には、確かに黒い石壁を走る細い亀裂があった。

そこから、紫色の魔力が蒸気のように漏れ出している。


「九条さん、これは構造的な欠陥だけじゃありません」

佐藤が、壁に耳を当てながら言った。

「この振動、共振現象レゾナンスですよ。魔王さんの魔力波長と、ビルの風による揺れが同期し始めている。このままだと、魔王さんが力を込めれば込めるほど、城が自ら崩壊を早めることになります」


「……どうすればいいのだ。私はただ、我が軍の威信を示したかっただけだ。この地を支配するためには、この程度の演出は……」

魔王の声から、次第に覇気が消えていく。


佐藤は、少しだけ表情を和らげ、眼鏡の位置を直した。

「魔王様。法というものは、あなたの支配を邪魔するためにあるのではありません。あなたが支配したいと思っているこの街と、そこに住む人々、そして何より『あなた自身』を守るためにあるんです」


「私を……守るだと?」


「ええ。もしこの城が墜落して大惨事になれば、あなたは『魔王』ではなく、ただの『重過失致死傷罪の被告人』になります。それでは、あなたが望む偉大な支配者のキャリアに泥を塗ることになりませんか?」


佐藤の言葉は、魔王のプライドを「法的正当性」という別の形に誘導していく。

行政職員として培われた、相手を否定せずにルールに従わせる交渉術だ。


九条も、大きなため息をついて髪をかき上げた。

「……あんたの魔力、そんなに余ってるなら、構造を支える『応力』として数式化しなさいよ。私が計算してあげる。魔力を『定数』として構造計算書に組み込むのは初めてだけど……一級建築士の意地にかけて、この浮遊物の安全性を証明してあげるわ」


「九条さん、それ、前例がなさすぎて審査に数年かかりますよ」


「わかってるわよ。だから、まずは『是正のための応急処置』として進めるの。魔王さん、今すぐ出力を30%落として。それから、城の四隅に魔力のアンカーを下ろして固定しなさい。今のあんたは、無許可の巨大バルーンを街中に放置してるのと同じよ」


魔王は、九条の剣幕に押されるように、渋々と指を鳴らした。

城を揺らしていた不気味な振動が、わずかに収まっていく。


「……九条さん」

帰り際、光の階段を下りながら、佐藤がボソリと言った。

「さっきの言葉、本気ですか? 異世界の魔力を構造計算に組み込むなんて、建築学会がひっくり返りますよ」


「……放っておけないのよ」

九条は、遠くに見える新宿の街並みに目を細めた。

「昔ね、私の設計を無視して、コスト削減のために柱を細くしたクライアントがいたの。結局、その建物は完成前に取り壊された。あんな悲しい光景、二度と見たくない。たとえそれが、異世界の魔王が建てた無茶苦茶な城だったとしてもね」


佐藤は、彼女の横顔を見て、小さく頷いた。

「わかりました。では、私は行政の立場から、この『浮遊物件』を暫定的に『特殊工作物』として扱うための超法規的措置を検討します。……各省庁への根回し、今夜中に終わるかなあ」


「頑張りなさいよ、佐藤さん。明日はついに『期限』なんだから」


「期限……ああ、そうでしたね」

佐藤の手帳には、翌日の日付に大きく丸がつけられていた。

「行政代執行」の、最終期限である。


翌朝。

新宿の空に、一台の巨大なクレーン車が……ではなく、見たこともない重機の群れを引き連れた「解体業者」と「機動隊」、そして「東京都住宅政策本部」の面々が集結していた。


是正勧告を無視し続けた場合に発動される、究極の法的手段。

それは魔王の魔法を物理的に、そして事務的に解体する、現代日本最強の魔法だった。


「魔王さん、打ち合わせの時間は終わりよ」

九条が、図面ではなく、一本の「バール」を手に取った。

「ここからは、適合するか、取り壊すか。二つに一つよ」


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