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第1章 降臨、魔王城。ただし建ぺい率オーバー



新宿御苑の緑豊かな芝生が、一瞬にして漆黒の石材に侵食された。

空を突くような不気味な尖塔。禍々しい魔力を放つ巨大な城門。

「魔王城」としか形容し得ない異形が、東京のど真ん中に出現したのである。


自衛隊が包囲し、テレビ局のヘリが旋回する異様な光景の中。

規制線の内側を、まるで市役所の別館にでも行くような足取りで進む男女がいた。


「……九条さん、昨日の図面修正、終わりました?」

「終わるわけないでしょ、佐藤さん。この緊急事態に何言ってるの」


九条玲奈は、白いヘルメットの紐を締め直した。

彼女の腰には、聖剣ならぬライカ製の最新型レーザー距離計が吊るされている。

隣を歩くのは、新宿区役所都市計画課の佐藤健太郎だ。

彼は使い込まれたビジネスバッグから、一枚の「土地登記簿」を取り出した。


「いやあ、まいりましたね。新宿御苑は国民公園、つまり国有地です。そこに無断でこれを建てたとなると、まずは『都市公園法』違反。さらにこの規模……建築確認申請が出されている形跡もありません」


二人の前で、重厚な城門が地響きを立てて開いた。

中から現れたのは、漆黒の甲冑に身を包んだ、身長二メートルを超える巨漢。

魔王軍第一師団長、暗黒騎士ガイアスである。


「愚かな人間どもよ! 我が王、大魔王ゾルディスの慈悲により、この地は今、魔界の領土となった! 命が惜しくば、直ちに……」


「あ、すみません。お取り込み中失礼します」

佐藤が、ガイアスの鼻先に名刺を差し出した。


「新宿区役所の佐藤です。こちらは東京都建築士会から派遣された一級建築士の九条さん。本日は、この建築物の『臨検調査』に伺いました」


「……名刺? 調査だと? 貴様、私の魔気が恐ろしくないのか!」


「魔気よりも、上司の催促と、未処理の是正勧告書の方がよほど恐ろしいですよ」

佐藤は淡々と続け、九条を促した。

九条はすでに、城の基部を鋭い目つきで睨みつけていた。


「ちょっと、そこのトゲトゲした騎士さん。どいてくれる? 基壇の構造を見たいの。……はあ、やっぱりね。これ、基礎打ってないでしょ? 魔力かなんかで地面に乗せてるだけ? 構造計算書、出せる?」


「こ、構造計算……? 我が城は暗黒の魔力によって永遠の不滅を約束されておるわ!」


「不滅とかそういうスピリチュアルな話はいいのよ。ここは日本なの。地震が来たらどうするのよ。この自重でこの尖塔の細さ、偏心率がめちゃくちゃだわ。これじゃ震度3で新宿駅まで倒壊の巻き添えよ」


九条はレーザー距離計を構え、赤いドットを城の外壁に照射した。

ピッ、という無機質な音が響く。


「佐藤さん、これ見て。外壁の後退距離、ゼロ。というか道路境界線、思いっきり越境してるわよ。歩道に魔王城の角がはみ出してる」


「ああ、不法占拠ですね。道路法第32条の道路占用許可も取っていないでしょうし、これは即時の原状回復命令の対象になりますね」


佐藤は手帳にサラサラとメモを取る。

ガイアスは困惑した。

剣を抜けば、この無力な人間など一瞬で細切れにできる。

だが、この二人が纏っている「正当な手続きをしている」という異様な空気感が、魔界の戦士を気圧していた。


「貴様ら……一体何を言っている? 支配だ! 略奪だ! 恐怖しろ!」


「支配の前に、まずは『用途地域』の確認をお願いします」

佐藤が眼鏡をクイと押し上げた。


「ここは本来、都市計画法上の公園ですが、便宜上周辺の用途に準ずるとしても、これだけの高層建築物は容積率を大幅に超過しています。この尖塔、高さ何メートルありますか?」


「……百五十、いや二百はあるか」


「航空法違反です。航空障害灯の設置もなしにこの高さ、羽田便が衝突したらどう責任を取るつもりですか。魔王さんは航空局に許可を取りましたか?」


「取っておるわけなかろう!」


「でしょうね」

九条が、今度は城の入り口付近を指差した。


「あと、このデザイン。景観法って知ってる? 新宿区の景観形成ガイドラインに、こんな黒ずくめのトゲトゲした建物、一言も載ってないわよ。周囲の新宿パークタワーや都庁との調和を考えなさいよ。色彩基準、完全にアウト」


「色彩……調和だと……!? 我が城は恐怖の象徴……!」


「恐怖はいいから、まずは『完了検査済証』を見せて。あ、まだ建てたばかりだから『建築確認済証』が先ね。看板、どこに掲示してるの?」


「看板などない!」


「はい、建築基準法第89条違反。工事現場には確認があったことを示す看板を設置しなきゃいけないの。それができないなら、今すぐ作業……というか、この城の使用を停止して」


ついに、城の奥から地響きのような声が響いた。

玉座の間から、大魔王ゾルディスが姿を現したのだ。

溢れ出す魔圧。空気が重く沈み込み、周囲の草花が枯れ果てる。


「何事だ。我が侵略を妨げる矮小な者共よ……」


「あ、魔王さんですね。ちょうど良かったです」

佐藤は、一切の動揺を見せず、鞄から一枚の紅い書類を取り出した。

それは魔王の炎よりも鮮やかで、ある意味でどんな攻撃魔法よりも重い。


「新宿区長名義の『違反建築物に対する除却命令』の予告通知書です。あ、受領印いただけますか?」


「……何?」


「簡単に言うとね、魔王さん」

九条がヘルメットを脱ぎ、腰に手を当てて言い放った。


「あんたの城、この国の法律では『ゴミ』と同じ扱いなのよ。不法投棄された巨大な粗大ゴミ。今すぐ自分たちで解体するか、それとも私たちが『行政代執行』で、公費を使って跡形もなく取り壊してあげましょうか?」


「こ……公費で、解体……?」

最強を自負していた大魔王の肩が、わずかに震えた。


「あと、城内に住まわせている魔物たちの労働環境も気になるわね。地下100階って言った? 換気設備はどうなってるの? 採光は? 消防法上の避難経路は確保されているの?」


九条の追求は止まらない。

魔王は、手渡された「予告通知書」を、震える手で受け取った。

そこには、自分たちが誇る「不滅の城」が、いかに日本の法秩序を乱す「欠陥品」であるかが、無慈悲な箇条書きで記されていた。


「これ、2週間以内に是正計画書を出さないと、本当に重機が来ますからね。あ、九条さんは一級建築士ですから、どうしてもこの場所に城を建てたいなら、彼女に設計監理を依頼して、合法的な手続きをゼロからやり直すことをお勧めします」


佐藤の言葉に、魔王は九条を見た。

九条は、建築士としての厳しい眼差しを崩さないまま、少しだけトーンを落として言った。


「……まあ、その魔力を適切に『構造維持』に転用して、ちゃんと申請を通せば、面白い建物にはなると思うけど。どうする? 侵略を続けるなら警察と自衛隊。建物を守りたいなら、私たちと打ち合わせ。選んで」


大魔王ゾルディスは、手の中の書類と、眼前の小さな建築士を交互に見た。

世界を滅ぼす魔法の呪文よりも、佐藤が突きつけた「行政手続法」の条文の方が、今の彼には恐ろしく感じられた。


魔王が重い口を開いた。


「……打ち合わせの……場所は……どこだ」


「あ、それなら近くのルノアールに行きましょう。領収書は切れますから」


こうして、異世界と現代日本の「リーガル・バトル」の火蓋が切られた。

それは剣の輝きではなく、印鑑と図面の修正液が飛び交う、泥沼の交渉戦の始まりであった。


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