第一回アンチオリンピック
※本作はフィクションです。実在の法律・人物・団体とは一切関係ありません。
広く障害者のオリンピック、パラリンピック。
聴覚障害者のオリンピック、デフリンピック。
障害者のスポーツの祭典だ。障害を持った人も輝ける。そんな社会の体現である
人類の歴史は、他者を認め受け入れる、その広がりの歴史である。
障害のある人も、健常者と同様に輝ける機会が持てる社会は多くの障害者に夢と希望を与えた。
ただ、そんな現代社会においても、まだまだ取りこぼしは多いものだ。
明確な障害が無くても、生きづらさを感じている人は山ほど居る。
そこで、『生き方が不器用で、頑張っても頑張っても報われない』、そんな人達も受け入れられる社会を作りたい。
そんな考えから、アンチオリンピックという新しい大会が誕生したのである。
どんな人にも光を当てる。誰一人取りこぼさない。人の優しさ。寛容の心。それを形にしたイベントだ。
その記念すべき第一回大会。
私は人類の成長を、社会を構成する一人として誇らしく感じながら、テレビの前で観戦しているところである。
画面の向こうではバドミントンの試合が行われていた。
なぜそんな山なりの羽根も返せないのか?
…あっ、今度はサーブを空振りだ。イライラするなぁ
…っといけない。彼らはそれでも懸命なのだ。
寛容、寛容…頑張れ!応援しているぞ。
技術的に見れば酷い試合である。見れたものではない。ふざけているのかとさえ思う。
でも彼らは必死なのだ。たくさんの練習をしてこの大会に出ているのだ。
ところで、このような大会が開催されるようになった背景には、情報化やAIの進展という科学的発展の役割も大きい。
世界中いたるところに設置されたカメラが一人ひとりの行動を見守り、それをブロックチェーン技術により繋げる。
誰が、いつ、何処で、何をしたか。また、時間とともに変化する体格や顔つき。
それらすべての記録の連続が、一人ひとりの存在証明となる社会。それが科学技術の進化によって可能になったのである。
…とまあ、つまり、情報化社会の進歩により『真に頑張っているのに下手な人』だけを選別することが可能になったのだ。
そうして選ばれた選手たちの祭典。これはもう応援せずにはいられない。
試合が最終盤に差し掛かった。日本の山本選手対中国の楊選手。山本選手のサーブ……っと空振りだ!
サーブミスで山本選手の負けが決まった。
『決敗』進出の瞬間である。
見事決敗進出を決めた山本選手。銀メダル以上が確定だ。
•••敗者が先に進める。逆転の発想。それがアンチオリンピックの肝だ。
努力しても報われない、その最たる者が一番の栄誉を得るのである•••
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さて、いよいよ決敗戦だが、山本選手の相手、タイのチェン選手の様子がおかしい。テレビカメラがチェン選手を追う。
どうやら、もう出たくないと泣いているらしい。恥ずかしいのだそうだ。
まだまだ過去の価値観に囚われているのだ。
ただ、そう思わせてしまうのは、我々受け入れる側の社会がまだ未熟だと言うことでもある。反省せねばなるまい。
多くのスタッフがチェン選手に優しく声をかける場面が映し出される。
「大丈夫。何も恥ずかしいことなんてないよ。」
「どんなに下手でも、誰も君を馬鹿にする人は居ないよ。」
「君の活躍が、報われない努力を続けるすべての人の希望になるんだ。」
「君は勇者だ!」
「世界中が君を見守っているよ。」
なんと素晴らしい光景だろう。人間社会が目指すべき寛容の世界がここにある。
スタッフが説得に及ぶこと約一時間。
ようやくチェン選手が、皆に背中を押されて会場に姿を現した。
観客席は万雷の拍手である。
先に会場入りしていた山本選手の目も若干赤い。
感動的な光景である。
私たち人間社会がまた一つ差別を克服した瞬間と言えよう。
人間社会万歳。
いよいよ決敗戦が始まった。
頑張れ山本選手、チェン選手。どっちが負けても、君たちは新しい世界の開拓者なのだ。




