第82話 「DJ ITSUKI」
「だぁーくそっ!なんなんだ……なんなんだよっ!」
茶渡は、完全敗北となった試合後、わけもわからず荒れていた。
姫宮野々香の一喝以降、自分がどうして気分が乗らなくなっているのか、どうしていつも通りに打つ事が出来なくなったのか。
それがわからないままでいた。
それがわからないまま、試合に臨み、敗北を喫した。
終了後のロッカールームで八つ当たり気味にロッカーを叩いたり、腕を振り回したりして発散を試みるが、心はすっきりしない。
「くそぉぉっ!」
ボゴン!
そのまま振り回した右腕が、何かに当たった。
その何か……室内に入って来たばかりの男が持っていた飲むヨーグルトのパックから、白い液体が飛び散って、その持ち主にかかってしまう。
「八つ当たりするにしても、利き手はやめなよぉ、実利ちゃん。せっかく人が試合後のヨーグルトキメてた所なのに」
春堅房具だ。登板後のクールダウンで、パック飲料でひと息つきに来た所に、茶渡が暴れていてこうなった……と言う状況だ。
さして怒っている風ではないものの、先輩としての注意をしっかりしている春堅は、顔面に付いたヨーグルトを拭き取ったり、妙に長い舌でなめとったりしながら言う。
「負けて、悔しいの?」
「そりゃ、そうだろうがよ春堅さん。何が言いてぇ」
「女の子の尻追っかけてわざわざ二軍戦に出てた子がぁ?」
言われて、茶渡は言葉が出なくなる。
事実だ。ずっと、野々香にアプローチするために後半戦は二軍戦に臨んでいた。
それで悔しいだなんて、どの口が言っているのか。
「当たり前に当たり前のことだねぇ、負けたのなんて。悔しい理由、ある?ちなみに、僕だって悔しいけど。決め打ちとは言え、二軍の捕手にきれーな一発浴びちゃってさ」
春堅の質問も、再び茶渡は言葉がない。いや、何も言えない。
それを見て、春堅はため息をつきながら言った。
「あんたは結局、野球なめてたんだよ。自分が負けて悔しがれる状況すら作ってないから、そうやって感情の行き場がわからないんだ。言い返されて落ち込むんじゃん。全力で向かって来られるのが眩しいんじゃん。半端に勝ち気だけあるくせに、そーゆーのを認めないで軽薄なツラしてっから、ズタズタになった自分に耐えられないんだよ。反省しときな」
再び紙パックの中身の残りを飲み干して、ぷはー、と妙に恍惚としたため息をつくと、春堅は自分のロッカーへ向かう。
「いっぺん頭下げて、一軍に戻してもらって、やり直したら?監督がやり直させてくれるかは、わかんないけどね」
春堅はさほど多くないロッカーの荷物をテキパキとまとめると、素早くバッグと道具を取り出し、ロッカールームを後にする。
「まぁ、来るなら待ってるよ」
改めて一軍最終登板へ気を引き締めるため、言いたい事を言って春堅はさっと行ってしまった。
この後、茶渡実利は一軍に上がる。
残りわずかな一軍の試合で活躍……などということはなく、そもそもほとんど起用しても貰えなかったが。
それでも彼は、頭を下げて一軍に戻ったそうだ。
二軍本塁打王の座からは撤退する形となったが、それでも残り少ない試合を過ごす姿は充実して見えた、と言う。
『ニャンキースまずは2位奪取を祝してぇ……乾杯ー!』
試合後。
ニャンキースではささやかな祝勝会が開かれていた。
そんな暇があるのかと言うと、何故かある。
この三連戦終了後、最後の9試合の前に3日ほど連休があるのだ。
加えて、サルガッソーズ最終戦はデーゲームだった。試合後の夜、帰宅の時間までは余裕がある。
そこで、何かと生活の苦しい選手たちへの三連勝のご褒美に、監督ら首脳陣の主催で夕食が振舞われることになったのだ。
「皆さん、もちろんシーズンが終了するまで、はしゃぐのは控えないといけないですけどね。前祝いってことで。この後3日ほど試合がないので、変に勢いを落とさない様、ここで楽しく騒いで帰りましょ」
「前祝い!?よーし、じゃあ一足先に監督の胴上げ練習しよ!」
「やめてそれなんか縁起悪い気がする」
野々香のノリだけの提案は、何故かやたら嫌な予感がしたので監督たちから棄却された。
居酒屋の大部屋を筋肉質な男たち数十人+女一人が貸し切りで騒いでいる。
運ばれる料理も次から次へと瞬時に胃袋に放り込まれて行き、殺到する注文に調理場が修羅場だ。
「すげー試合だったなぁ」
「スケさん、顔つきが違ったわ。ナイスホームラン」
「あはは、あんなにドンピシャで打てるのはほんと奇跡だったけど……うん。やったよ」
有人と樹が助守を称賛する。普段はとっさに謙遜しがちな助守も、今日は少し態度が違った。
達成感。自分が自分の意思で凄い結果を出したことの満足感を、否定したくはなかった。
「僕はこれまで……きっとどこかで現実的な目で見て、少しだけ諦める気持ちがあったんじゃないかと思うんだ。このチームが勝つのは難しい、優勝は難しい、優勝してもドラフト指名を受けるのは難しい。けど、この三連戦で目が覚めた気がするよ」
その言葉に、周囲の選手達も幾分か共感している姿があった。
もちろん、全員がドラフト指名を受けるなんてことは有り得ない。
けれど、自分は指名されないから……と気持ちで負けていては、その「有り得ない」はそのままだ。
今ここに、ニャンキースという、去年から見たらまず「優勝は有り得ない」と思われたチームがこうしてのし上がる姿がある。
だから、やれるのだ。助守はこの勝利で初めて強く実感した。
「これでサルガッソーズは2ゲーム下……タッツとは、あと1ゲーム。いよいよ本当に、見えて来た」
「優勝……!」
野々香が呟くように二文字の言葉を紡ぐと、その付近にいた選手たちが皆、強く頷いた。
「優勝したい!優勝しよう!みんな、がんばろー!」
既にチームの誰も、新規球団だからだとか、去年弱小だったとか、そんなことは忘れてしまっている。
ニャンキースは強い。
ニャンキースは、優勝する。
その意識をしっかりと高め合い、共有して、選手達は語り合った。
負け越し70を抱えたチームの、奇跡の成り上がり劇。
その仕上げに向けて、選手達の夜は更けて行く。
「最後にやり残した事や心残りがないように、皆さん、全力を尽くしましょう!」
士気を高めるための監督の音頭に「おうっ!」と全員が応じた。
「心残り……」
「心残りだよねェ、樹くん?」
「うぉわ!」
不意に監督の言葉を反芻する樹の後ろから、有人が出現して肩を叩く。
「やり残した事が……あるよねェ、樹くん?」
にやにやと笑いながらさらに肩をばんばんと叩く有人を、樹は心底鬱陶しそうに見返す。
「お前はほんっとーに余計なお世話が好きだな。田舎のお見合い相手紹介大好きお婆ちゃんかよ」
「いや、別に俺だってそんなゴリ押せとか言いたいわけじゃねーよ?でもお前の心残りを供養するなら、今しかねェかなーと思ってよ。もうすぐシーズン終わるし、ほら、とりあえず樹が言ってた邪魔な男は撃退したじゃん?」
「……あいつが自分でな」
「まぁそれはそう」
変な男が現れて野々香の選手生活を脅かすならそれを排除する、というのが樹が有人にした宣誓だ。
結果的に、茶渡は野々香自らがプレーで打倒してどこかへやってしまったので立場がない。
……まぁ、虫除けくらいにはなった、と思いたい。ムエンダー樹。
「けどよ……多分、これが最後だぜ。お前らどっちか……それかどっちも。来年は他のチームだろ」
有人が言う。ドラフト指名を受ければ、晴れて一軍選手……同時に、ニャンキースの選手ではなくなる。
つまり今のチームメイトとは、もうほぼ会う事がなくなるのだ。
だから、これは有人の気持ちの供養でもある。
「おめェの考えはわかる。その上で、何か抱えてるくせに何もないままさようならってのは、俺がイヤなんだよ」
それが、有人の願いだった。
「はぁ……」
明らかに気が重そうに樹はため息をついたが、有人にそう言われると、ただ引き下がる事も出来なかった。
……いや、有人のせいではない。
背中を押されなければやらない甲斐性のなさだ。これは、樹自身のせいだった。
……本当は、このまま終わりたくないなんて、とっくに思っていたのに。
「うん、そうだな。……ありがとよ」
不器用な男の礼に、有人は満足そうに頷いた。
心を決めた樹は、野々香の元へずいっと歩を進める。
「もっともーっと、ヒット打ってちょーだーい、おーおーおー、しじみチャーンス!」
「姫宮、ちょっといいか」
「はえ?」
酔ってもいないのに出来上がって、わけのわからない誰かの応援歌の誇張物真似をしている野々香を、樹は少し強引に皆の場所から引き離す。
そして周囲をキョロキョロと見回し、もう一度キョロキョロと見回して、連れて来た廊下に人がいないのを確認すると、言った。
「っここここの休み中に、どどどどどっか、行かねねっか!?」
「……DJ ITSUKI?」
テンパりすぎてターンテーブル滑らせたみたいに、どもった。
姫宮野々香
投球成績 22登板 153回 34自責点 152奪三振 防御率2.00 11勝4敗
打撃成績 打率.298 25本塁打 87打点 出塁率.358 OPS.940
ニャンキース
63勝48敗7分 2位 首位とのゲーム差1.0 残り9試合




