第8話 「紅白戦」
合格通知が来てからはいろいろな事があった。
まず、尋常じゃないほどの取材や問い合わせが殺到してしまったのである。
「史上初の女性プロ野球選手」はそれだけセンセーショナルな出来事だ。
球団は対応に追われ、中にはどこで嗅ぎつけたか母校、藍安大名電への取材願い、野々香に関する問い合わせも殺到した。
もっとも、学生時代の野々香は野球と全く関係のない女子高生だったので、何も出て来ることはないのだが、入団に向けての練習や調整は球児たちに紛れて高校のグラウンドでこっそり行っていたので、いることがバレない様にするのが大変だったのだ。
さすがの野々香もここは慎重を期して家族にきちんと報連相をし、学校の方は学駆が丁寧に根回し協力をしてくれたことで騒ぎを極力抑えたが、落ち着かないままの年越しとなった。
それにしても学駆の暗躍ぶりには頭が下がる。教師をしながら野球部をまとめて野々香のフォローに回っているのだ。
異世界での経験から来る器用さ、メンタル、余裕が成せる業だと本人は言うが、これまた充分異世界チートではなかろうか。
そして、契約。年俸は240万円とのことだったが、これは野々香にとって興味の外だった。
これだけ話題性があればもう少し期待度を込めて高くしても良いのでは?と交渉してもいいところではあるが、彼女にとってそう言った優遇は不要のため、球団に無理をさせることもない。
3900億円でもいいし、5億年20円でもいいですよぉと笑って契約を終わらせていた。
年明け、野々香は新入団選手としては異例の、個人での記者会見までさせられてしまった。さすがに監督は付き添ったが。
何を言おうかわからなくなって「ぽんこつ砕身の覚悟で頑張ります!」とか宣言したら「ポンコツ可愛い」コメントが大量投下されてまた野々香は溶けていた。溶けてないでちゃんとやれ。と学駆と法奈から通話で怒られた。
本来新人が入るはずの選手寮も、居場所がわかるとマスコミが寄り付きそうで厄介、そもそも女性であることを加味して、個別にセキュリティのいいマンションを借りた。
家賃に関して「お金は山ほどあるんで、大丈夫っす!」とか言ったら「パパとかいないよね?」と失礼な心配をされた。
「昌勇(実父)なら部屋(実家の)で寝てますよ?」などと誤解の重ねダシをかますのが野々香だった。
……さすがに家賃は球団持ちである。
と、随分と特別感のある入団模様となってしまったのだが、前例のない事なので仕方がない。
実際に有り得ないような事が起きてしまったのだから。
ただし、邪魔やストレスになって本来のパフォーマンスが維持出来なくなるのはまずいから、極力それらを意識しないように。
学駆も、自分の元を離れる野々香をさすがに心配しており、この辺の注意や相談をかなり細かくやってくれた。
そして年は明けて1月。再び舞台は静岡、にゃんキースタジアム。
新人は合同トレーニングに入る時期である。
野々香はついに、野球選手として本格的に始動することになった。
三毛猫を思わせる茶地に縞模様の入ったニャンキースのユニフォーム。
キャップ、ヘルメットには肉球マーク付きなのが特徴だ。
このユニフォームに今年初めて袖を通した選手たちは総勢18名。
入団テストに合格した者、スカウトによって獲得された者、もしくは他球団戦力外からの再起を賭けた者たちだ。
野々香の背には、球団の華としての期待と、野々香の永遠の若者でありたい気持ちを併せて(?)「17」の背番号がつけられた。
選手同士の挨拶を交わす際に「姫宮野々香、17です!」とあからさまにミスリードを誘う自己紹介をしたら尾間コーチから「おいおい」とツッコまれた。
「あ、大諭くんだ!」
グラウンドでは見知った顔との再会もあった。
「お、おう…」
と素っ気なく返すのは大諭樹。背番号は6。テストにて野々香とちょっとしたバチバチがあって互いを認め合った縁だが、彼も合格していたことに気付いた野々香は嬉しそうに手を振る。
元々野々香と一回りの体格差があった彼だが、またさらに体がガッシリしたように見える。さすがの大砲候補だ。
「色々あったけど、これからは仲間だね。頼りにしてるぜ!」
「あんなボロックソに三振取っといてよく言うぜ」
「リベンジはいつでもお待ちしております」
「練習してりゃどっかでそうなるだろ」
あまり積極的に話すタイプではない樹だが、野々香と話している時の彼は居心地は悪くなさそうだ。
そんな2人がいきなり仲良さそうに見えて、周囲の選手達は若干羨ましいのだった。
そして、「どっかでそうなる」は案外すぐに訪れる。
「いきなりですけどね、まず新人の皆さんには紅白戦をやってもらおうと思います」
一通りの挨拶を終えた小林図監督が早速こう宣言した。
入団した新人は18人。2チーム9人ずつに分けてちょうどいい数字なのである。
基礎トレや個人指導などよりもまずは実戦で。と言うことで、投手コーチの音堂瀬流久から提案があったそうだ。
なにぶん入団した選手の半数近くは投手なのだが、そこはイニング交代制で守備にも着いて色んな動きを見るのもいいだろう。
また新人同士、ひとまずのコミュニケーションの場としてお互いに戦術や考えを共有し合う訓練としてほしい。
……と言うのが建前であった。
「姫宮くん、ちょっといいかい」
小林監督と尾間ヘッドコーチの2人が野々香だけを皆から離れた位置へ呼び出す。
「何ですか監督いきなり、いかがわしいやつですか」
「冗談でもそういうのうっかり誤解招いて大変な事になりそうだからやめて」
「監督は1回そういうので痛い目を見ておりますからな」
余計なはみ出し情報を晒して来る尾間コーチにも嫌な顔を向けつつ、小林は厄介事を切り出した。
「実は……君の合否について、ほぼ満場一致だったんだけど一人だけ、投手コーチの音堂が反対していてね」
長きに渡る説得の結果、「さては育てる自信がないんだな」「女子に上回られる事が怖いんですかな」などと言う"意地張ってるオッサンを一瞬だけどうにかする挑発戦術"より一時は音堂コーチを黙らせたのだが、それでも彼の意地は根深く。
今回の紅白戦も彼からの申し出で条件を付けられたらしい。
それは、4人の投手リレー1番手として3イニング投げ、四球をゼロ、失点1以内に抑える事。
それが出来なければワシはまだ選手として認めん!公式戦への登板もさせん!…とのことらしい。
「君の欠点がコントロールなのは見ればわかったからねぇ」
「見た上で露骨に不利な条件出してあたしの立場をなくそうって事ですか?」
「……そういうことになりますな」
「ガチクズじゃないですか。ガチクズロンリネスじゃないですか」
160kmド直球な野々香の指摘に小林も尾間も反論の余地がない。
「もちろん条件未達でも我々はなるべく取り計らうつもりだけど、先に伝えておかないと申し訳ないと思ってね」
「こう言っては何ですが、初めて見た時から私は既にあなたのファンみたいなもんですからな。出来るだけフォローしますが、密かにこの条件を達成してくれることも期待しておりますぞ」
尾間コーチは学駆、楠見選手からの頼みでわざわざ高校のグラウンドに野々香を見に来て貰った縁がある。
それ以来彼は野々香の活躍で後方彼氏面するのが密かな楽しみになっているのだ。
期待しつつも申し訳なさそうな2人に向かって、しかし野々香は自信満々で胸を張った。
やっぱ意外とあるな。なんでもないけど。
「ふふふ……大丈夫です。こんなこともあろうかときちんと策は練って来ましたからね!」
学駆が!
「明日またここに来て下さい。本物の直球と言うものをお見せしますよ」
「うん、わかったありがとう。出来れば今日見せてね」
野々香の初実戦となる、若干の思惑を混ぜた紅白戦は、午後2時開始となった。
「プレイボール!」