第7話 「テレビに出てれば行方不明にならないから」
学駆の家での報告会も終わり、野々香は自宅へ帰る。
歩いても15分程の距離なので、ほぼ毎日通ってはそのまま学駆の家に泊まってしまうこともあるのだが、今日はさすがに帰らないといけない。
実は「手ごたえがあってからじゃないとカッコつかないから」と、ここまでテストを受ける事を家族に話していなかったのだ。
テストに受かれば野球選手としてチームに帯同することになる。
時々は帰って来られるだろうが、また家を空けてしまうとなると心配はかけてしまうだろう。無言で1年の失踪というのは家族にとってはやはりトラウマだ。
まぁ、ちゃんと話せば反対はされないと思うけど、ちゃんと話しておくのは大事だもんね。
そう思いながら、野々香は帰宅した。
「ただいまー」
玄関から廊下を抜け、リビングを覗いたところ、どうも家族の様子がおかしい。張りつめているというか、空気が悪かった。
嫌な予感がして、自室に荷物を置くのも後回しに野々香はそーっとリビングに入る。
とりあえずテレビに向かっている父と母を横目に、背後のテーブルに着席した。
「野々香。」
テレビの方を見たまま、母、陽代が声をかけてきた。
「ちょっとそこに座りなさい」
「もう座ってますけど……」
「ならいいわ」
なんだよ一体。
と思ったら、張りつめた空気の原因がテーブル正面の妹から飛んできた。
「お姉ちゃん、これは一体どういうことなのかなー?」
「えっ?あ、あはは、言ってなかったっけ……」
『聞いてないよ』
3人綺麗に揃ってハーモニーを奏でたのは、野々香の家族、姫宮家一同だ。
どういうこと、と野々香にスマホの画面を突きつけているのは、妹の姫宮法奈、16歳、高校2年生。
少し歳の離れた妹だが、姉の反省点を踏まえて(失礼)育てられたためしっかり者だ。
クソくだらない理由で染めた野々香と違い、黒髪をポニーテールにして、活発より利発という言葉が似合う顔立ちをした妹は、姉の珍妙不可思議にて胡散臭い行動を諫めるのが得意技である。さっきのセリフも何度聞いたことか。
そして、スマホの画面には先ほど調子に乗り倒した入団テストの記事が表示されていた。
「やらかすならやらかすと先に言っておくように、父さんも口を酸っぱくして言ってるはずなんだけどな」
「お父さん、それは今飲んでる男梅サワーのせいじゃないかな」
「うっせぇわ」
口の減らない野々香に手慣れたツッコミを返すのは姫宮昌勇、48歳。
やるなら、でなくやらかすならと言う表現に含蓄がある。
若干韓流の雰囲気があるメガネをかけた優しそうな顔立ちの父は、しかし野々香のやらかしには厳しい。1年近く失踪してからは特にだ。いやそりゃそうだ。
「異世界?とかから帰って燃え尽き症候群みたいになってた時も心配してたけどねぇ」
野々香を黒髪ショートにしてそのまま年相応に落ち着かせた感のある姫宮陽代、45歳。彼女も心から野々香を案じる態度ながら、
「『ごべんなざい、おどうざん、おがあざん、ほうな。私帰れないぃ。二度と会えないけど、がんばるがらぁぁぁ』って皆の夢で大泣きしてたのにすっごい気まずい顔して帰って来たからショックが大きかったのかなって」
「そう思うなら掘り返さないでよあたしもそれ恥ずかしいんだよ!」
あ、親だな。と納得してしまう素ボケっぷりを発揮した。
帰る方法ないっつってさ、「忘れ路の祠」とか言う謎の伝言サービスで実家にビデオレター残させた王様と精霊、あれ何だったの。
転移魔法あんのに帰れる想定がないのなんなの?勝手に向こうで伝説の勇者として骨を埋めろとか言われる流れだったの?使った剣がノノノ剣って呼ばれるの?くそださい。
精霊があたしのセリフ水晶に記録しながら生ぬるい笑い浮かべてたの忘れてねぇぞ、おい。
父母と妹の間では「同時に皆で見た、失踪した長女の不思議な夢のメッセージ」みたいな感じで伝わってたらしい。顔出した瞬間の気まずさったら、もう。もう。
以上、野々香の回想。
「こないだ急に元気になっておはよう世界、グッモーニンワールド!ってリビングのドア開けて来た時は安心したものだけど、何でもないよーって言ってたじゃない?野球してたなら言ってくれたって」
それ野球やるって決めた時の翌朝の高ぶり過ぎたテンションのやつ。
厳しく諭されるのも何だが、天然素材でじわじわ恥ずかしい部分を掘り返してくる母が一番しんどい。安心していいのかそれは。
「それはうん……結果もなしにあたし野球やるよ!って言っても何だし、今日報告するつもりでいたんですが…」
約1年の異世界ブランクのおかげか、野々香は少し現代の情報伝達に疎い部分がある。
それに野球はやるのも観るのも好きだったが、ネットやブログでどんな情報のやり取りがなされるかは以前からさほど見ていなかった。
まさか先んじてニュース記事になって、帰る前に家族に知られてしまうとは思っていなかったのだ。
結果、「またもやどこかで勝手に何かしてた娘」の出来上がりである。
最初の重い空気はそれか、あたしのせいか。むかついちゃうよね、ざまぁ。
とか思ってる場合じゃないが。
「えぇ、事後報告となって大変申し訳ありませんが、改めまして、あたくしの新しい夢として、プロ野球選手なるものをですね、目指したい所存でございまして…」
意図せずとは言えこれは反論の余地もない。野々香もやらかして恩赦を求める管理職みたいな態度になってしまった。
少しの間のあと、法奈、昌勇、陽代は三者三様のため息をつき。
『どうぞどうぞ』と再びハモった。
「雑ぅ!!」
「ん、まぁ先に知ったのは偶然だしな。今日も報告に来たんだろう?さっきも言ったけど止めたかったわけではないし、どうせお前はやると決めたら度胸は猛烈だからな。むしろ父さんはワクワクしている」
「つまんなそうにしてた野々香が面白い事始めるなら、母さん応援するわよぉ」
問題だったのはきちんと報告をしなかった事だ。すれ違いがわかると父も母も肩をすくめ、態度をやわらげた。
「た、だ、し!」
正面にいる法奈は改めて野々香に顔をぐっと近づけると、強い口調で言った。
「連絡はちゃんとすること!かっこつかないとかじゃなくて、やってみようと思った時点で言ってよ!もうお父さんお母さんに心配かけさせる様なことは、絶対に、絶対にしちゃだめなんだから!」
野々香には想像しか出来ないが、約1年だ。
娘が何も言わずいなくなって、1年。その間、残った3人はさぞかし辛い思いをしただろう。それを改めて突きつけられ、野々香は心が痛んだ。
「アンダスタン?」
「あ、アンダスタン」
「アンダスタン!?」
「なんで2回言うの!?」
「お姉ちゃん、念には念の念の念くらいしないとまたやらかしそうだから」
法奈は気持ちが昂ったのか少し涙目だ。いろいろな出来事がフラッシュバックしているのだろう。
これ以上不義理を働いたら地獄の果てまでロックオンされそうだ。
「大丈夫だよ、新しくやりたいことを見つけただけだから、さ」
野々香は法奈の頭をなでてからそっと顔を向け、にっこりと微笑むと、そのまま父母にも向き直り、
「と言うわけで、姫宮野々香、前人未到の領域へチャレンジしてまいります!異世界パワーでやれると思うけど、何かあったら手助けよろしくね!行こうぜ、まだ誰も知らないフィクションの向こうへ!」
と、声高に宣言した。
「……もう行方不明になったら、だめだよ?」
言いながら上目遣いの妹の頭を、再びなでてやる。
「あら、それなら大丈夫よぉ」
妹の心配を察してか、陽代もにっこりと微笑むと慰めるように、
「ほら、野球でテレビに出てれば行方不明にならないから」
慰めてるのかトラウマ抉ってるのか正論なのかツッコミ待ちなのか、絶妙に判断の付かないセリフでこの話題を締めくくったのだった。
しばらく後。
「この空気で落ちたら笑えないよな…」と言う野々香のわずかな不安は、届いた合格通知によって解消された。