第59話 「後半戦の決意」
間にオールスターへの出場があったものの、1週間というオフを挟み、7月25日。
ニャンキースの戦いは、後半戦へと突入する。
変な男に付きまとわれる案件こそあったものの、クイーンズロード球場付近を観光したり、母校の光矢園予選の観戦をしたり、わずかながら実家でくつろいだり。
野々香は充実した足取りで一週間を満喫し、にゃんキースタジアムのある静岡に帰った。
休みの間に「姫宮選手に会いたい」と言う奇妙な問い合わせが3件程入ったそうだが、聞かなかったことにしたい。
3件……?と野々香は疑問に思ったが、悪質なストーカーまがいの問い合わせや案件はままあることなので、と雀からは一応注意を促された。こないだ絡まれた某誰かとは限らない、ということだ。
また、オフをいいことに取材の申し込みなどもかなり多く舞い込んだそうだが、一部を除き「野球に集中するため」と断っている。
1年目のオフにまで仕事をさせるのは要らぬ負担だ、とスタッフ陣も考えてくれていた。
そして、監督、コーチと選手達が集まり、後半戦へ向けてのチームミーティング。
ほとんど毎日顔を突き合わせていたメンバーと一週間ぶりに再会だ。
樹とはオールスターで会ったが、有人や助守とは久しぶりになる。
「姉さんお久しぶりっす、大丈夫でしたか?アレ」
「見たけど、アレは酷かったねぇ。変に付きまとわれなきゃいいけど」
不在時に起きた野々香に関わる事で皆が知っていることとなれば概ね"アレ"で伝わってしまう。
「実害はなかったけどねぇ、出来ればお会いしたくないよ、もう。バカゴーホームだよ」
「まったく、樹のヤロウが付いていながら」
「あの状況で俺に何が出来んだよ。やれる限りの防衛策は取ってたんだぞ」
打撃勝負の際も、もし野々香が負けたり変なイチャモンを付けられた際は自身の成績で勝つつもりで打席に立っていた樹である。
しかし、あの公開告白はインタビューになった時点で止めようがなかったのは事実だ。
3人が選ばれる形になってしまえば抑えようがない。
もちろん野々香はあの場でマイクを無理やりもぎ取って、丁重にお断りした。
しかし、波及した騒ぎは面白おかしく拡散されて、いつの間にか茶渡の本塁打王を応援する流れが一部界隈で出来てしまっている。
「出来たか出来ないか、じゃねェんだ。やれたかやれなかったか、だろうが、お前はよぉ」
態度そのものは冗談めかしているが、有人は樹の男子的な裏事情も把握している。故に、少しばかりトゲを刺す発言であることが本人にだけは伝わった。
「この際身を挺してかばうとかよぉ」
「告白から身を挺してかばってどうするんだよ。俺が食らうじゃねえかよ」
「グワーッとか言って倒れとけば何かそれっぽくなるだろ」
「ならねぇよ。新境地だよ」
「いや、アリだ。それはアリだようん。新境地だよ。男男心ひかれてくよ」
突然の野々香。どんな場面でも拾えるラブは拾う方向の野々香さんに樹もたじろぐしかない。
「こっち来られても困るっきゃねぇよ。いや、じゃあお前に行っていいってわけでもねぇんだけど」
そんな余計な場面に敏感な対応が出来るなら少しくらいはこちらの気持ちも察してもらいたい、と樹は思うが、わざわざ抱え込んでいるのは自身の選択なので何も言えない。
そこで結局黙り込む樹を見て、有人は少しばかりもどかしい顔をして頭をかいていた。
そんな話をしている間に、ミーティングが開始される。
充分な休養期間も取れたと言う事で、まずはローテーションの再編が行われた。
野々香は勝ち頭なので、基本は後半戦の初戦に出したい所だが、ニャンキースとしては集客の必要性もバカに出来ない。
ここ最近は、平日に野々香が登板していた分土日の集客にやや低下が見られたため、土曜日の登板を推す声が上がっていた。
ただそれだと、日曜を休養日に設定するため、日曜に野々香が試合に出て来なくなる。
そこで野々香の登板日は、日曜。月曜日は試合がないので自動的に休養日になるし、火曜日は状態を見て打席に立つか決めるという方向になった。
また、前半戦終了時に確認された通り、これからはDHでなくライトの守備でも起用を増やしていく方針だ。
ここまである程度負担を考慮して週5試合までの出場だったが、いよいよ本格的に二刀流として、中6日の先発登板と週6試合の守備・打撃のフル出場を野々香は務める事になるのだ。
「まずは日曜投げて、月曜で疲労が抜けるかどうかを確認していただきたいのですな。ひとまずは、火曜出場はするとしてもDHで出て貰っても良いですし、状態に関しては常に報告していただければと」
尾間コーチが、不在中に話し合った内容を一つ一つ解説していく。
野々香に関してはとことんプロ入りを意識した全力待遇だ。ありがたい話であるが、これでバテて潰れるようなことがあれば逆にプロの道は遠のいてしまう。
いよいよ本格化する夏の屋外。温暖化も進み太陽がガンガン降り注ぐこの環境下での試合はそれだけ選手の体力も奪っていく。
一軍のペナントレースに至っては、対策として既に夏のデーゲームはやらない方針を固めている程なのだ。
二軍も7月以降は極力ナイトゲームで行われるよう変化しているが、全てと言うわけにいかない。
よって、ちゃんと試合に出てパフォーマンスを維持出来るか、はドラフト入りに向けて大事なポイントとなるのだ。
「それとね」
小林監督が少しかしこまった表情で言う。
音堂が不機嫌な時を除けば基本はミーティングのノリも軽い事が多いニャンキースだが、負けたり大きなミスがあった日でもないのに、久しぶりに厳しさがにじみ出ていた。
「皆さんに一つ確認したいことがあります」
監督のこんな表情は、逃げメタールくん狩り(倒すとたくさん経験値が貰えるよ!)ごっこと称してグラウンドでボール遊びして、スピードガンに思いっきりボールをぶつけた時以来だ。
音堂コーチが「スピードガンにガンッ!っていったな!ぷくくく」とか一人で笑っていたのもあいまって苦い記憶。
そして、その真剣な表情をもって監督は、
「優勝したいですか?」
という、とても今更過ぎる気がする、非常にシンプルな質問を一同に投げかけたのだった。
フレッシュオールスターの前日特番的な何かにて、野々香と樹ははっきり「優勝」を目標に掲げた。
そこに通常違和感を抱くものはいない。
リーグ戦を1年かけて長々戦っている中で、優勝したいですか?と聞かれて嫌でござる。と答える者がいるはずないだろう。
しかし。
「僕はね、監督として申し訳ないけれど、これまで優勝のために指揮を執っていたつもりがないんだよ」
少しの沈黙が流れる。
ショッキング……というわけでもない。そらそうよ。という感想を持っている者の方が多い。
さほど動揺している風でもない静かな空気がそれを物語っている。
「ま、驚かんよね。多分、皆もそんな気はなかった……いや、夢物語過ぎて考えていなかったろう。なんせ、25勝借金70の弱小球団だよ。いきなりこのチームが勝って勝ちまくって、もしかしたら優勝……なんて、考えるのもおこがましい。奇跡でも起こらなけりゃ不可能な話だよね」
野球と言うものは、試合単位だけでなくペナントレースでも何が起こるかわからないのが魅力だ。
1位から最下位、最下位から1位。たった1年でそんな推移をしたチームもあるにはある。
ただ、それはあくまで最低限の実力があっての話だ。実力の足りないチームにどんな幸運、奇跡が降ろうと行ける範囲は知れている。
だから首脳陣は、あくまで個の育成やチームの周知に重点的に努めていた。優勝はまだ先、実力を付けてからの目標だ。
「だけど、その奇跡が起こっている、起こりかけてはいる」
ここで小林監督は野々香たちの方に目をやる。その場にいる全員の視線も、どことなくそちらへ向いた。
「姫宮野々香くん、大諭樹くん、オールスターに出場した両名が優勝の言葉を口にしたあの時にね。僕も今更思ってしまったんだよね。あ、優勝したいなって。最初は客寄せパンダくらいにしか思ってなかった姫宮くんだけど、彼女の影響で周りも感化されて、今チームの状態はどんどん良くなっている」
あたしの影響?と野々香だけは少し首を傾げているが、周囲は全員納得の表情だ。
少なくとも、現状本塁打王の大諭樹が彼女の影響による成績良化を公言している。有人、助守辺りも同様だ。
そして、大諭樹と言う存在もまた、奇跡の一端なのである。
本来ならこの男も、とっくに一軍に呼ばれるレベルの選手にまで、成長しているのだ。
「だからね、改めて確認した上で、これからは"優勝するための"指揮を執りたい、と思っているんだ。君たちが優勝したい、と言ってるのに、僕らが腑抜けてちゃあいけないだろうって、ね」
ここでそれを言うのは余計な感傷を生むのでやめたが、野々香と樹は高確率で来期は1軍プロ球団の選手としてドラフト入りし、ニャンキースからいなくなるだろう。ならばきっと、この弱小チームが優勝を目指して戦えるのは今しかないのだ。
ここを逃せばチームとして優勝争いをする経験というものもないまま、再び弱小チームに戻りかねない。
いくら育成だの経験だのとお題目を唱えていても、勝ちに貪欲さがない、勝ちグセのないチームはなかなか強くならない。
そのチームにいる選手もまた、簡単には育たない。それは長い歴史の中でも多く例示されている。
仮に潰れる可能性があったとしても、限界に向かわねばならない。そうせずして得られる結果はたかが知れている。
勝てると思えたら、可能性がある限りは最後まで目指すべきなのだ。そう、監督は考えた。
そしてその感覚は、概ね全体が共有出来ている様に見えた。
ここまで説明した所で、少しずつ選手たちがざわつき始める。気運は高まっているのがわかる。
「だから皆さん」
この場で小林図監督は敢えて全員を集めた場で、宣言した。
「ニャンキース創立2年目での初優勝!狙うぞっ!」
『おうっ!!』
これまで漫然と試合を消化していたチームが、改めて大きな目標を共有して先へ進んでいく。




