番外編「 異世界に来た野球おねえちゃん」5-2
「フッ……光の勇者、か。我が配下のアンデッド達を容易に倒して来たとは、厄介なものよ」
城の最奥らしき場所へ着くと、玉座には青い顔面をした何者か。
黒いスーツを着て、氷の剣を携えた不気味な男……魔族、と呼ばれる存在が佇んでいた。
「四天王の一人、氷のヤクター。お相手しよう」
ここまで、道中は野々香の光魔法が効果的で、何の苦戦もなく奥まで辿り着くことは出来た。
アンデッドは見た目にいちいち不気味なせいで、野々香は常にテンパっていたが。
しかし、そんなアンデッドの不気味さより、ヤクターの表情の不気味さより、恐ろしい光景が玉座の後方に見えている。
女の子だ。
氷漬けになった女の子が、そこにいた。
肩より少し下まで伸びた長い黒髪は美しく、細い体を包む黒いローブ。神秘的なまでに整った顔立ち。
芸術とも言えるような美しい氷像だった。……ただし、その中身が、人間でさえなければ。
「何を、しているの、それは」
野々香が震えた声で、呟くように尋ねる。
そうだ、まだわからない。ただのアクスタか何かかもしれない。
敢えて呑気な想像に流されたくなる野々香の希望を、しかし。
「私は気に入った女性を氷漬けにして飾るのが趣味でな。気に入らんのは"処分"したが、彼女で何体目だろうな?」
ヤクターと言う魔族の返答は、それを一瞬で絶望に変えるものであった。
「イ・ウィステリア・フラーッシュ!」
怒りのあまりここまでのにらみ合いから一転、野々香は即座に攻撃に入った。
ドガァッ!
しかし、ヤクターが剣を振ると眼前に氷の塊が出現。光はその氷塊にぶつかり、氷をバラバラにしただけに終わる。
「不躾な」
ヤクターは不愉快そうに顔をしかめると、剣を振り、氷塊を野々香に向けて放つ。
その氷塊に向かい横から学駆が素早く剣を一閃、それで砕くことまでは出来なかったが、軌道が逸れた氷は野々香の横をかすめて過ぎて行き、壁にぶつかって砕けた。
「もう、一発っ……!」
「落ち着け、馬鹿っ」
学駆が制止するが、それも間に合わず。野々香の光の球がさらにヤクターを襲う。
が、これもまた同じ様に氷塊を壁にされ、ヤクターには届かなかった。
「落ち着いてなんかいられないよ!あの子、助けなきゃ!」
悲鳴の様に叫びさらに魔法を放とうとする野々香だが、その体がふらつき、揺れる。
かろうじて学駆の肩に捕まり倒れることは防いだが、魔法はもう打てなかった。
魔力切れ。
当たり前ではあった。ここまでの道中で対アンデッドに何度も使った上で、今の連発。
わかっていたから学駆は止めたのだが、手遅れだ。
「女。感情に揺れて情けのない事だな」
ヤクターの嘲笑が、強く野々香の耳を打つ。
「魔力の差は歴然だよ、私はこの氷の城を維持するだけの絶大な魔力がある」
魔力の量は、そのまま魔法を放てる回数に繋がる。
道中でも消耗した野々香は、あっさりと魔法勝負での敗北が決定した。
連続で放たれる氷塊を学駆がスピードを生かしてどうにか弾き、逸らして行く。
しかし、それも長くは持たない。弾き切れなかった氷の一つが足に当たり、野々香は氷と地面を繋ぎ留められてしまう。そのまま防戦一方となる二人。
動けないだけではない、攻撃手段がない。
まず氷剣による切れ目のない魔法攻撃を対処するか、一撃で仕留められるような強力な攻撃手段がなければ、このままジリ貧である。
とはいえ、一撃の威力のある攻撃と言えば……
「何をよそ見しているか!」
一瞬、学駆が思案で目を泳がせた隙をヤクターは見逃さず、さらに速度を上げて氷剣を振り回して来た。
遠距離から放たれる氷の魔法は、回避しか出来る事はない。
学駆一人であればその隙に近寄れる可能性はあるが、野々香に攻撃が直撃してしまってはまずい。
結局、学駆もその場を動けない。
「何も出来ぬなら、このまま……死ぬがよい!」
ヤクターが剣を上段に構え、一瞬魔力を込める。さらに威力を上げた一撃を放つ気だ。
「がっ」
しかし、その大きく振りかぶった左腕に、小さな矢が突き刺さる。
アリサだ。
一瞬目が泳いだかに見えた学駆は、敢えて隙を作りながらアリサに合図をしていた。
しかし、魔法ではない。まだファイヤーボールが使えるはずだが、敢えて矢を放った。
「学駆さん、炎が打てても、氷できっと防がれる!少しでもいい、あれを打たせない様にして!」
一人戦線から離れていたアリサだが、逆に感覚はやけに冴えていた。
これまでにない集中力を持って戦況を見ていた弓兵風の魔術師は、慎重に魔法の用意をしながら弓矢で応戦。
「はっ、貴様から、死にたいかっ!」
ダメージこそ大したことはないが、挑発的に刺さった腕の矢に、ヤクターは怒りの矛先をアリサに向ける。
再び大きく振りかぶった氷剣を振り下ろされ、氷の魔力が発せられ……
すかっ
されない。
いつの間にか、手に持っていたはずの氷剣は姿を消し、ヤクターの腕だけが虚しくブン、と振り下ろされる。
「いやぁ、びっくり。"盗む"がちゃんと出番あるとはな」
氷剣は、学駆のスキル"盗む"により、彼の手元に移動していた。
「まさか……きさまぁっ!」
要の武器を失ってはヤクターも焦るしかない。アリサに向かいかけた矛先は再び学駆の方へ戻り、今度は直接距離を詰めに来る。
この二重の目線逸らしが、完璧にハマった。
ヒュン、と学駆の背後の死角から今度はまた別の何かが飛んでくる。
銅剣だ。後ろの野々香が銅剣をヤクターに投げ付けたのだ。
足の動かない野々香の足掻きに、反射的に足を止め、体勢を崩すヤクター。
ここだ。
「制御不能の……特大、ファイヤーボォールっ!!」
ここまで、魔力制御が不得意ゆえに活躍するタイミングのなかったアリサの魔法。
代わりに、最大火力を持つ究極の必殺技になる"ファイヤーボール"が、ヤクターに襲いかかる。
持てる魔力を全て注いだ特大火球は、2メートルはあろうかという巨大な球だ。
体勢の崩れたヤクターに、それを回避する術はなかった。
まして、氷の名を冠する敵だ。
「火は当然、弱点だよな?」
火の影響下に入らぬよう距離を置きながら、学駆はイタズラっぽい笑みを浮かべ、ヤクターが燃え去るのを、見届けていた。
ヤクターは倒れた。
そうして魔力で作られた氷は溶け、周囲の景色も氷世界から、普通の城へ。
そして、玉座後方にあった氷像が、人間になる。
確認すると、奇跡的に、少女は息があった。
ここまで戦闘に集中し過ぎていたため緊張の糸が途切れたか、追加発生のイベントに野々香たちは慌てた。
助けなければならないのだが、いくら何でも死にかけの人間を助けるイベントなどは経験がない。
まして、氷に包まれてた女の子が氷から出て来たけどどうしましょう。
なんてどうすりゃいいかわかるはずがない。
「こ、これは……どどうしよう、すぐに治療しなきゃ!えっと、た、タクシー!」
「いや、救急車!」
「ねーよ、どっちも!」
野々香に加えて学駆まで若干混乱気味の中、アリサが二人にツッコミを入れつつ、再び魔法を唱えた。
入る前に用意した石に再度、小さなファイヤーボールをかけ、布で包むと少女の体にあてがう。
残りカスの魔力ゆえに上手く熱量調整された、簡易カイロだ。アリサの体はわずかにふらついたが、満足げに笑う。
「へへ、逆に魔力が残ってない分、ちょうどいい威力に出来たわ……」
普段はどちらかと言うと慌てがちなアリサだが、危急の対処にはとても冷静だった。かえって神経が研ぎ澄まされているのだろう。野々香と学駆は頼もしさを感じながら、落ち着きを取り戻す。
学駆が防寒具で少女の体を覆い、ひとまずの体温維持に努める。しかし、あまりに凍結していた時間が長すぎる。
今すぐに、少しでも体力を戻さなければ手遅れではないか。
「助けなきゃ……!」
少女は息もあるし、ごくわずかに意識も取り戻しかけているのか、小さくうめく声も聴こえる。
しかし、声はとても苦しそうだ。今から脱出して、医者に見せる。果たして間に合うか。
「やれるだけのことはやろう」
学駆の声を号令に、三人は急いで帰路につく。幸い、氷は溶けた。動きづらい厚着ももうしなくて良い。
「ごめん、今回はあたし、迷惑かけた」
「気にしないでよ。あんな風に怒れるののちゃんは、やっぱ優しいね」
道すがら、冷静さを取り戻し、ヤクター戦でのミスを謝る野々香に、アリサはむしろ感心した声をあげた。
「そりゃあ、こんな子、ほっとけるわけないでしょ」
当たり前のことだ、と野々香は何食わぬ顔で即答する。
が。
「黒髪ロング黒ローブの魔女っ子って、あたしにとって異世界ファンタジーの憧れで、めっちゃツボなんだもん。可愛すぎてやばい……」
「お前……」
「ののちゃん……?」
温かい話に進んでいたはずの流れが、氷のヤクターもいないのに凍り付いた。
パアァァァ……
その瞬間。野々香の体からわずかな光が発せられる。
これは間違いなく、新たな力の発現だった。
野々香は自らの力を理解すると、即座にそれが必要なものだと言うことも把握し、少女の体へ手を差し出す。魔法が発動される。
「ヒール」
光に包まれた黒髪の少女の体は、みるみるうちに生気を取り戻す。苦しげなうめき声は、静かな寝息に変わって行った。
「……あのさぁ」
「うん」
「ヤクターは強敵だったしな、経験値もいっぱい入ったのは見えたから、回復魔法習得出来てよかったね、とは思うんだけどよ」
「うん」
「もうちょっと前のセリフで光れよ」
「あたしもそれはそう思う」
「めちゃくちゃヘキに刺さったから覚えました、みたいな感じになったね……」
かくして瀕死の状況を脱した少女は、街で医師の治療を受け、一命をとりとめた。
そして魔王の幹部は倒れ、野々香は冒険に必須の、回復魔法を習得。
いいことづくめのはずの展開だが、一行にはほんのちょっとだけ、微妙な空気が流れるのだった。




