第43話 「スライド」
ざーーーーー。
雨が地面を打つ音が騒がしい。
6月。
監督から降雨ノーゲームが告げられると、気が抜けた顔で野々香は肩を落とした。
梅雨入りとなると、この時期野外で試合をする二軍は試合中止がそれなりに多い。
きちんと準備はしないといけないだけに、中止の際の脱力感はなかなかのものだ。
「皆さま、中止でござーい。ギターと涙の叫びが地面を叩いていやがるぜ」
がちゃり、とロッカールームのドアを開けて野々香は気だるげに報告した。
「お前、それっぽいこと言いたかっただけだろ」
待機用に置いてあるパイプ椅子に座った樹がツッコミを入れる。この男もどこかだるそうだ。
「登板試合飛ぶって初めてだぁ」
先発試合がなくなると言うのは投手としてはとてもきつい。
スライドでもきついし、来週までお休みと言われるのも気合が抜けてしまう。
「気ぃ抜くなよ。お前が投げねぇわけにも行かないし、どうせスライドするんだろ?」
スライド登板。雨天中止などで試合がなくなった場合、登板予定だった先発投手がそのまま翌試合に先発することだ。
一見大した事がなさそうだが、チームとしても直近の投手運用が丸々狂ってしまうので難しい。
一人を翌日にずらしたと言って、まず、ずれる当人もやりにくい。そして翌日投げる予定だった投手はどうするのか、さらにスライドならその次は……。
結局誰かしらは予定が狂ってしまうので、悩ましいところなのだ。
今回はこれも経験、ということで監督からはスライド登板を打診された。
全体に頼りないニャンキース投手陣の中で、野々香はエースと言って良い数字を残している。
チームとしても本人のためにも必要な事だ。当然野々香もOKはした。
「けど、これだけ雨続きだとさぁ、いつ投げられるかわかんないんだよねぇ」
「そりゃ、いつでも出られるように準備しとくしかないんじゃねえか」
「そんな、王様からのクソ雑な待機命令みたいなこと言わないでよ」
数日後に魔物が街を襲って来るのでいつでも戦える準備をしつつ街で待機しておけ、具体的な日にちと時間は知らん。と言われた時は物凄くしんどかったのを覚えている。
いくら何でも3日以上待機させられてやっとこ登場しました、ではモチベーションもテンションも持たないというものだ。
やって来たのただでかいだけのカラスだったし。
「王様ってなんだよ、何のゲームだよ」
またうっかり口を滑らせる野々香だが、今回はスルーされずに踏み込まれてしまった。
まさか実在の王様です。とは言えない。
「えー……と、あれだよ、王様ゲームだよ」
思いつかなかったのでワードをそのまま並べてしまった。
「やるのかよ、お前が、王様ゲームを。どんな流れでだよ」
「い、いいでしょ別にやったって。青春の1ページにそんな日もきっとあるよ。何なら今からやるか!?どうせ暇でしょ!?」
勢いでとんでもない事を言い出す野々香に周囲の男どもがガバっと一斉に振り向いた。
視線が集まった事に気付いた樹は大慌てで制止をかけつつ、
「馬鹿よせやめろ、こんな男だらけの連中でやってエロい命令出されたらどーすんだよ」
再三こういうネタを撒いては大諭樹をドギマギさせている野々香だが、未だに相手がドギマギしている事実をあんまり理解していない。
いかんせん、昔はこういう事を言っても笑ってからかいあうのが定番だったからだ。
周囲にいる男たちがガッツリ真に受けて困惑していることを……ちょっとは理解し始めているようだが、冗談めかして言うクセは抜けない。
「大丈夫、抱き合えとか揉めとかチューしろとか言われたとしても、10何分の1の確率をあたしが回避さえすればむしろ栄養素となるじゃないか」
「どっちにしろろくでもねぇな!」
「お前たちがあたしの佐々木と宮野になるんだよ。この合コンに女はいないんだよ。首輪で繋いだラブズッキュンだよ」
「何でそんなことのためにリスクしょいに来てるんだこの女」
「姉さん漢っす!かっけぇっす!」
「ハイカラだろぉ?」
どうしようもない話題に有人まで混ざって来た。
有人は野々香がそれっぽいことを言うだけでいつもかっけぇっす!のノリで絡んで来るので収拾がつかなくなるのが困りもの。
「でも冗談抜きでみんなドキドキしちゃうんであんまそういうネタやんないでください」
しかし、周囲の状況と野々香の性格を両方的確に把握にしているのは、有人だ。
気を遣いつつ、多少制止をしておく。そんなムーブも出来るバランス感覚がこの男の優秀な所である。
「そうだぞ、気を付けろ」
「おめーはいい加減何かにつけてドキドキしすぎだっつーの。少しは慣れろよ姉さんのノリに」
便乗して指摘する樹だが、有人に逆にツッコまれてしまった。
ちなみに、勢いで言っただけで野々香は王様ゲームなんぞやったことがない。
が、どことなくノリで異世界ワードの追及は誤魔化せたのでよしとしておく。
「姉さんそんで今日どうします?このまま解散っすかね」
どっちみちちゃんとした練習も出来ないし個人の基礎トレならここで集まっていても……と言う所だ。
ただ登板がないならば多少遊び心なりを発動しても良かったかもしれないが、スライド登板となればあまり気を抜くわけにも行かない。
「あたしはそうだねー、監督からも経験だって言って使って貰えるんだし、真面目に調整するよ。明日には雨もあがってるだろうしね」
予報を確認して大丈夫そうなのを確認すると、野々香はだらけた気を引き締めて翌日登板の準備に入るのだった。
ざーーーーーーー。
翌日。監督から降雨ノーゲームが告げられると、以下略。
「はい、またも中止でござーい。何これ予報大ウソつきじゃーん。エンドレスレインじゃーん」
野々香が再び前日と同じような調子で中止を告げにロッカールームに現れた。
「二日連続はなかなか憂鬱……メランコリーですね」
「それも言いたいだけだろ」
「言いたいだけだよ」
今日も樹は律儀にツッコんでくれる。
先発投手としてしっかり心と体の準備をして来て、やっぱなしで!と言うのが連日は結構響く。
野々香だけでなく、さすがにロッカールームの選手陣も徒労感を隠し切れない。
「よし!王様だーれだ!」
「ヤケクソで王様ゲームをやろうとするな。誰も付き合わねぇから」
「6番と10番がー執事とぼっちゃまの役でーモノクロのキスをー」
「勝手に番号を振って怪しげなことをさせるな。ってか何だその番号」
「背番号」
「俺とスケさんじゃねぇか!」
「ですだよ」
背番号に失礼だと樹に怒られた。
樹が6番、助守が10番だ。ちなみに初年度の野手に概ね一桁が振られているため、有人は若い番号を貰えず25番。
空いた番号もあったので期待値の高かった樹と捕手である助守は若い番号を貰えたが。
野々香は投手なのでエースナンバーの18……と行きたかったがさすがに新人でそれは難しく、17番である。
姫宮野々香(17)と表記すると何だか若返った気分になれるので結構気に入ってはいる。
「ヤケになってねぇで、またスライドするなら準備しとけ」
初のスライドが二日続けてとなるとはなかなかに厳しい。
監督からも「一日は経験するのもいいと思ったけどね、二日は経験者曰くしんどいらしいから、無理にとは言わないよ」と聞かされた。
それでも野々香は翌日の登板を希望した。
理由は簡単で、そもそも動いてないと落ち着かないからだ。
が、これがしっかり裏目に出た。
一度は上がりグラウンドも整備され、いよいよ開始された試合だがこれまた試合中に降り出すハプニング。
小雨になったとはいえ水が常時体を叩く感覚がうるさい。ボールを握れば滑るので掴みづらい。
打ち取った、と思ったゴロがショートの手前で土に絡まれて止まり、内野安打に。
それでもどうにか集中を保とうと奮闘した野々香だが、2回に手元が狂って出した四球と内野安打から出た走者を、同じく手元が狂って行ってしまった真ん中の球を痛打されて1点。
普段なら併殺に出来そうな当たりが転がり損ね、ついでにショートの来須も少し足を滑らせ、併殺崩れの間にもう1点を失った。
打席でも目の前をチラつく雨が気になって集中力が削がれる。
そもそも連日のスライドでゲームに入り損ねている自覚もあった。
変化球について行けずあっさり三振すると、3回にも順調に被安打を重ねてしまう。
失投を防ぐために慎重に投げるとそれはそれでボール球が多くなるし、気付けば3回で64球を投じて2失点。
「ありゃあ、全然雨の中で投げた事ねぇな」
「ないでしょうなぁ」
音堂と尾間が試合を見ながらぼそっと呟いた。
そもそもがニャンキースに入る前にやった試合など中学時代まで遡るので、当然のことだ。
野球で初めて雨天試合に臨むのとほぼ同義であった。
思った以上にボールが手に付かない、握れない、目で追えない。集中も出来ない。水を吸ったユニフォームが重い。
「雨の中でクラーケンと戦った経験はあるんだけどねぇ」
雨中を動き回ると言う事以外は何の経験値にもならない記憶を野々香は呟いた。
シーモンスターの退治を依頼された事があったのだが、偶然雨が降ってしまい、相手は水を浴びる程強力になるのでそれはそれで大変だった。
魔術師アリサが超火力の高熱魔法で丸焼きにしてくれた結果、とてもいい香りのイカ焼きになっていたので試しに食べてみた。美味しかった。イカ焼きって粉物の事じゃないの?ってアリサは首をかしげていた。
……、あ、ダメだ。集中力さん吹っ飛んでる。
すっかり過去の思い出を反芻していて脳内にイカの香りが充満した野々香は、もはや自覚しても手遅れな程集中を欠いてしまっていた。
4回、連打を浴びて2失点。さらに、安打と四球で満塁のピンチを作った後、幸運にもとらえた辺りがファーストライナーとなり、樹がドンピシャのダイビングキャッチ。ベースを踏んでダブルプレー。
4回にして実に92球を要してしまったが、かろうじて4失点で投げ切った所で、この日は交代となった。




