第4話 「光魔法 イ・ウィステリア・フラッシュ」
だが小林監督にとっては意外なことに。
彼女は50m走を6秒3、遠投で105メートルを記録してここ、昼の二次試験会場に来ていた。
なるほど、見た目より鍛えて来ているのはわかった。
…というか男子基準なら普通だけどこれ女子だと新記録じゃね?すごくね?
などと監督は思ったがひとまずそれは試験を完遂してからにする。
そして二次試験は実技である。実際にテスト生同士でプレーをさせて、動きを見るのだ。
結構流れ作業でわちゃわちゃするので、監督とは言え全てのテスト生の動きを捉えるのは難しい。
その点ガッツリ注目を浴びることになった野々香はラッキーであるとも言える。
実は学駆からの作戦としても「まず目立たんことには始まらないから、注目されることは意識しろ。もっとも、お前は勝手に注目浴びると思うけど」と伝えられていたのだが、そこは案の定。
野々香は当たり前のように周囲の視線をばしばしと浴びていた。
……がしかし、それを良く思わない者も当然現れる。
「そこの姉ちゃんよお、こっちは真剣にテスト受けに来てんのに、邪魔しないでくれねぇかな」
打席を控えていたテスト生、大諭樹が不快感を隠さずに野々香に声をかけた。
一塁手の大砲候補、大諭は大卒の23歳。飾り気のない黒の短髪、強い眼光に落ち着いた口元。相当に鍛えていると見られる185cmの男は、野々香と比べると人間のサイズがまるっと一回り大きい。見た目だけでも人に威圧感を与えられる男が、さらに目つきを鋭く野々香をにらみつけて来る。
もっとも男のプロ選手となれば、野々香の一回り上の体格は当たり前であるが。
体つきの素質は充分と言える、冷やかし枠ではなく、合格が期待できる本命選手の1人だ。
実際、真剣に臨んでいて、自負もあるのだろう。全体にオーラがある。
「邪魔…?あっネクスト使いたかった感じです?ごめんなさいねぇおばちゃん気が利かなくて」
ネクスト、はネクストバッターズサークルの略。次の打者が控えて準備をする場所だ。
実戦ならともかく、テストで選手たちが多数いるのでその場所はさほど重要ではないが、野々香は偶然その位置にいた事に気付き、軽く手を合わせると横にはける。
視線での威圧に対してさほど緊張感のないように見える野々香は、さらに樹をイラつかせた。
「違ぇ。マウンドに立つな。邪魔だ。っつってんだよ。このまま行くとお前の投球の最初の相手が俺だ。貴重な1打席を、やるまでもねぇ相手に使わされるのはごめんだからな」
実戦形式と言っても何せ大人数である。1人の選手が打席を見て貰えるのは、3投手、3打席、各1対戦ずつだけ。
樹の言い分は、そのうちの1つを記念受験のヒョロガリボコってもアピールにならない、というところか。
余談だが、このニャンキースも他球団ファンからは「ここまで弱いと練習にならない」「相手する時間がもったいない」「二軍成績はこいつらとの対戦を除外しろ」「参考記録」などとネット等で散々叩かれた。
樹にとっての野々香がそれだ。
だがしかし、そうは言われても簡単には引き下がれないし、これで帰るわけもない。
「だが断る。それ、負けて恥ずかしくなる奴だけど平気?」
が、野々香もこの手の挑発、かませムーブには慣れたもの。
人生で言ってみたいセリフの五本指に入るやつを言ったのもこれで2度めだ。
冒険者ギルドにもよくいた。
お嬢ちゃんたちは帰ってママのおっぱいでも飲んでな、と本当に言われた時は逆に感動すら覚えてしまったものだ。
謎の高揚感に「生憎だけどおっぱいならここにあるよ」とかいう狂った反論を自らの胸元を指しながら言ったら学駆からメジャー流デコピンを食らった。
最初は事実なめられても仕方がない実績だったのが、だんだんレベル上がって勇者として認められるにつれ、煽り返せるようになるのも楽しかった。
……ただ、この場合彼の言うことは一理あると言えばある。現状女が入団テストを受ける事は冷やかしにも思えるかもしれないし、彼は人生かけてここに臨んでいるのだろう。
本当に野々香自身がただ迷い込んだきゃぴきゃぴの勘違い女子なら、不運にも一打席分無駄にしたとしか言えない。
ならばここは少し、大人になってあげよう。と野々香は苛立ちを抑え込む。
そう、あたし、大人のオンナ。
「あたしから言えるのは…冷やかしじゃないから。信じて、って事くらいかな。君の真剣さは何となくわかるけど、あたしも真剣に……」
「いや信じる信じないとかじゃなくて、帰ってくれっつってんの。いるだけで邪魔だってのがわかんねぇのか雑魚女。」
「あ?」
大人のオンナさんは残念でもなく当然10秒で窒息した。
やなやつ、やなやつ、やなやつ。
やなやつだこいつ!俺様系だ!太陽よ今日も俺のためだけに輝けとか思ってる奴だ!
「そこまで言われちゃなおさら引けませんねぇ、地獄巡りの片道切符はあんたの命で買って貰いましょうか」
逆に野々香も挑発的な態度になるが、それを樹は意に介したそぶりすら見せず、
「チッ、監督に相手にならないからもう1打席くれって頼んどくか」
舌打ちをして立ち去って行った。
本当に相手にされていない。敵だと思われていない。
そんな彼の態度が、野々香の心を良くない方向に導いて行く。
実戦形式のメインで見られるのは投手と打者の投球、打席内容だ。
もちろん他の選手は守備位置につき、打球が飛べば処理するなどして守備の動きも見られているが、マウンド、バッターボックスに立って注目を浴びるチャンスはたったの3回。少ない。
テストは順調に流れて行き、問題の2人が主役となる時が来る。
嫌でも注目が集まる中、怒りとモヤモヤが頂点に達しつつある野々香は、向こうの世界での戦いがフラッシュバックしていた。
いよいよ野々香がマウンドに上がる。
器用な工夫などする暇も頭もない彼女は、右投げ右打ちのオーバースローだ。良く言えば正統派スタイルとも言える。
声がかかる。
「続いては姫宮野々香!」
あれは、そうだ。もう一人の仲間、2人目の魔術師「アリサ」ちゃんがコカトリスに攫われそうになった時だ。
「マウンドに上がって」
あの時も、ギルドでなめくさった発言していた冒険者が敵との実力差に裏切り、アリサを捨て石にして逃げようとしたのだ。
「打席は、大諭樹!」
あの時の怒りを。やるせなさを。真剣をうたいながら無責任に全てを放り出した者への憤りを。
「プレイ!」
魔法を撃てなければアリサは連れ去られ、死ぬ。その時、初めて発現した魔法がコカトリスを撃ち抜いた時の気持ちを。
思い出せ。
今はもうない、祝福の力が発動するような空気を、野々香は感じる。
空気だけだ。その力は今はない、現実世界では間違いなく気のせいだ。
が、命を賭けた戦いの緊張感が、こちらでは経験出来ない様な事態への高揚感が、まるで魔法がここにあるかのように野々香の集中力を極限まで高め、投じるボールに最大限の効果を生み出す。
「光魔法!イ・ウィステリア・フラァァァーーーッシュ!!」
ズパァァァン!!
思わず技名を叫び、オーバースローから繰り出されたど真ん中ストレートが、キャッチャーミットへまるで撃ち抜くかのように飛び込んでいった。樹も微動だにせずボールを見送ったが、なめていたのでも様子を見たのでもない。手が出なかった。
勢いで叫んでいたが、魔法は発動されていない。詠唱もしてないし、発動されていたらそもそもボール以外のもんが飛ぶ。
よって、投じられたのは今の野々香の体から繰り出された渾身のストレートだ。
そして、沈黙。
それが一瞬なのか長い時間なのかも誰もわからない。
かろうじて捕球はしたものの、手がめっちゃ痛かったのか、あるいは痺れたのか。キャッチャーだけが一人、ミットを持った手を抱えて大げさに動き回っている。
「ちょ、そん、みん……」
ちょっと、そんな、みんな見た?と言いたいらしい小林監督も、驚きのあまり半分くらい言葉にならない。
首をカクカクと横でスピードガンを確認している尾間コーチの方へ回し、尋ねる。
「……い、今、スピードガンなんぼ出てた?」
「……160kmです」
「あっ」
野々香は、そこまでの勇者ノリが解けて我に返った。
「やりすぎた……?」