第39話 「おーぴーえす」
「えっ、腹が出た?パスタ5皿も食ってりゃ仕方なくね?」
「はらいで!!!まお!!!」
「やっぱり腹が出たって」
「どんだけ女子の腹出させたいんだよ!エルフさんにはならねぇよ!」
ベテランと新人の投打両面からズタズタに敗北した野々香だが。
敗北したことよりも敗北を報告した学駆の第一声の方に何倍も腹が出て……じゃなくて腹を立てていた。ちなみにエルフさんとは、向こうでちらっと出会ったダイエットに悩んでいたエルフのことである。
定例反省会にて「原出真桜って聞いたことある?」と聞いてみた途端これだ。
それと腹は全然出ていないし、むしろ普通以上に食べないとやってられない。野球選手は、特に体が小さい者は体力維持が大変なのだ。
「たとえ親しい仲でも女の子に腹が出たとか言っていいのは出産前だけだ、覚えておくんだな学駆よ」
「アルァイって薬があるらしいぞ」
「何食わぬ顔で肥満の方の心配を続行するな!」
「調べたつもりはなかったんだけどな。偶然広告がポップアップして来たアルァイが悪い」
半ば挨拶代わりのようなやり取りを交わしつつ、学駆は記憶を頼りに原出真桜と言う名前を思い返している。
「うーん、聞いたことがないな。同年代だとは思うけど、高卒でプロになってるみたいだし、高校野球界隈じゃあ見た事もない」
あの試合の後、どのような選手か知っておくにこしたことはないと調べてみたが、宣銅が語っていた「人が変わった様に成長した」と言う表面的な情報以外はなく。念のため同世代の学駆に確認したが、高校でも目立った活躍をしたわけではないようだ。
「あいにく、俺も色々忙しくてな。お前のいる西部に関しては情報集めもしてるけど、東部はさっぱりだわ。……こっぴどくやられたみたいだな」
今、原出の名前を探れば、野々香にとっては見たくもない、サイクル安打でボコボコに打たれた記事が目に入って来る。
なまじ二人とも知名度上昇中なだけにこの敗北は痛い。
どうやらサイクル達成時のインタビューでも女は消えろ的な発言をかましたらしく、便乗して一部存在する「女がプロ野球に混じるな」と言う連中が、記事のコメントで過激に荒れ狂っている。
同時に自己最速の165kmを計測しているのだが、そっちの記事は控え目だ。
ちなみに、あの試合の後にも何の因果か帰路につく原出と鉢合わせしてしまい、お互い物凄く不快な顔になった。
「失せろ」と言われた。
いや、失せろて。
言わんて。普通。
「おい、女。キリッ。愚かな。キリッ。失せろ。キリッ。の三段活用ですよ。こっぴどくやられたわ、腹がよじれて」
「やめろ、物真似やめろ。同じ男として聞いてるとかゆくなる」
「風よ。全てを切り裂く疾風の刃よ。今こそ我が力に応え、我らが前に立ち塞がりし敵を葬らん……!」
「おいそれ関係ないだろ!ついでに出して来るんじゃない!」
二つ目に野々香が呟いたのは誰あろう盗賊・大泉学駆さんの広範囲風魔法ノモ・トルネードの詠唱だ。
いかんせん向こうでは色々な魔法の法則があって、これも唱えなければならない言葉なのだが、この流れで取り出して来られたら羞恥プレイ以外の何物でもない。
仕方なく唱えていた割には結構ノリノリだったのも野々香は覚えている。
「で、人をおちょくるために通話してきたのかお前は」
「いかんのか?」
「いかんでしょ」
「そうだね、おちょくるのは、はらだしさんだけにしてあげる」
「原出さん妖怪変化になっちゃったよ」
「だってむかつくはむかつくんだもん!」
「いいけどよ。まさか、へこんだから慰めてーなんてわけでもないだろ?」
「まぁね。別にへこんでないし。むしろめっちゃやる気出てるから。んで原出の情報欲しくてさ、次は勝つために」
ボロクソに負けてその夜なのだから、慰めて欲しいと言うのもおかしくはないのだが、今回は悲しいとか自信を失くしたというような気持ちは湧いてこない。とにかく、悔しい。野々香の言葉には、負けたと思いたくない、認めない気持ちが強く表れていた。
チームのスコアラーも調査はしてくれると言う話だったが、今のニャンキースがほぼ今後対戦することのない選手を特別に調べてもメリットがない。
この敗北感には、自分の行動で決着をつけなくては。
「そう言う事なら心配はいらないな。ちゃんと慰めるつもりでいたんだが」
「それはどーも、でも大丈夫、心配の気持ちだけ貰えたら……もう負けないよ。次はギャフンと……は言いそうにないから『見事な戦いだった。この私ですら胸の高鳴りを感じた』とか、イキリイケメンおじさんみたいなこと言わせてやる」
「お前の中の原出像が散らかり過ぎて何を調べたらいいのかわからなくなるんだが。まぁ、負けるなよ。何かわかったら連絡入れる」
長いペナントレースは勝ったり負けたりが常である。
一度負けたら次に勝てばいい。
切り替えた野々香はまたひとつ、強くなったはずだ。
そして、一つの目標も出来た。
原出真桜に、一軍の試合で再戦して、勝つ。それが目標だ。
野々香は、次登板では7回を9奪三振無失点に抑え4勝目。
4月最後の登板では勝ち負けは付かないものの6回1失点に抑え、ほぼ完璧な投球を見せた。
打撃の方でも4月終了時点、36試合で6本塁打25打点をマークし、大諭樹とともに西部リーグの上位を争っている。
あまり駆け引きが得意ではない野々香だが、徐々に打てる球種が増えているし、ストレートのコンタクト率も上昇傾向だ。
敗戦の悔しさが、野々香を少し強くしたようだ。
登板翌日は休養日とするスケジュールはいまだに遂行している。つまり、1週間概ね6試合のうち5試合ペースでしか出場していない。
それでも現在の打席数は120。個人成績ランキングに載るための規定打席はゆうにクリアしており、怪我さえしなければきちんと「二軍打撃成績」として記録が残る形になる。二軍の個人成績の規定は、レギュラーとして定着させるような例は少ないためさすがに一軍より緩い。
規定投球回は試合数×0.8。規定打席数は試合数×2.7。
ニャンキースでレギュラーを勝ち取った選手は、基本このラインの出場数を目指す形になる。
これは一軍でもそうだが、規定打席、投球回に達して「記録」として残る事は非常に大事なことだ。
スカウトや監督らがデータとしてぱっと一覧出来るか出来ないかという点で天と地の差がある。
降雨などで中止時に再試合のない二軍は、主に梅雨時や台風時期に中止まみれになって120試合前後におさまる事が多いので、記録を残せる目安としては約330打席、100投球回程だろうか。
ここまでは記録を残すと言う最低限の目標に関しては順調と言える。
ただし当然、その記録そのものがしょぼかったら意味がない。
野々香はあらゆる点で「女性初」と言う名を冠することが出来るため、他選手に比べ圧倒的有利と言えるが、原出と言う例もいたように、そもそもプロ野球は男の世界であるべきと言う考え方の野球人も、きっとわずかながら存在する。
そういう人物のさじ加減に委ねられるような半端な成績だと、目標に不安は残る。
「そうですなぁ、最低限が打率.250、本塁打10本、50打点程でしょうかな。仮に一軍のある球団として、投手成績、守備を度外視して1軍で使ってみようと思って貰える打撃成績の目安ですな。ドラフト候補に挙がるにしても同じくらいは最低限としたいところです」
尾間コーチは言う。
「ここまで行けばまず呼ばれるだろう、と言う高い目標を立てるなら、3割20本ですかな。両方達成すればほぼ間違いないかと。もっとも、姫宮殿のスタイルで3割は少々難しい。本塁打20本がわかりやすい目標になると思いますな」
そもそもがこのチーム、10本塁打出れば球団新記録なのである。
二桁本塁打を達成すればまず突出した成績と見て貰えるだろう。
近年では全球団見回しても二軍で20本塁打を達成したような選手はほとんどいない。先日対戦したサルガッソーズのいわゆる「二軍の帝王」茶渡実利くらいで、あとは10本打てる選手がいれば凄い、くらいの状況だ。
「また、近年では、出塁率と長打率を足した"OPS"の数値も良い打者の基準として有用な数値とされております」
単なる打率と違い、長打力が数値として現れるOPSは、打者の総合能力を見るにあたり良く使われるようになった近年の新指標だ。
打率だけで見ると高くても四球を一切選べないフリースインガーや、ろくに長打を打てない打者はこれが低く出るため、この指標で見ると「なるべく塁を多く進められる打者が優秀」と言う割と当然のことを可視化出来る。
入団前の野々香はあまり理解していなかったが、先んじて学駆に叩き込まれた。
「OPS……いや知ってるよそれくらい!」と思いっきり知ったかぶったのに具体的には説明出来ず解答に窮し、しばし迷った末に「あーこれこれこれですわ答えに辿り着いちゃいましたよ私」と言う渾身のドヤ顔にて「おっぱいスラッシュ……!」と呟いて学駆にデコピンを食らったのも、記憶に新しい。
ついでに次のデートの時に「OPS高そうな格好してきて笑」と言われてショルダーポーチまで渡して来たのでとても恥をかいた。
「8あれば優秀なほうでしょーよ!」と墓穴を掘るような怒り方をしたのもよくなかった。
野々香に関しては10本塁打、OPSなら.8くらい(意味深ではない)を満たせば甘めに見て貰える可能性は高い、と尾間は踏んでいるが、どうせならもう一押ししたいところだ。




