第38話 「二つの敗北」
「だーっ、悔しい!悔しいです!疾風のようにぐやじいです!!」
ベンチへ戻ると野々香はすっかり駄々っ子みたいになっていた。
「あいつ以外は抑えてんだからいいだろ。絶好調な奴は何でも打つししゃあねえよ」
樹がそう言ってフォローに入る。
「そうなんだけどさぁ、狙ったようにサイクルされたのがさぁ!『おい、女。』とか言ってた奴にだよ!」
「ぶふっ」
微妙に物真似っぽく野々香がセリフを再現したせいで樹の緊張感が消滅して吹き出した。
これ、しばらくみんなでネタに出来るな。
尾間コーチの現役時代の歌に加えて、ネタ帳に追加しておこう、と野々香は思った。
あのメントレ(?)キャラメイクを今後も続けるつもりなら、一軍に行って有名になった所あたりで披露して記事にしてもらおう。一気にイキリクソダサ男子のレッテル張られまくりだ。
ある日突然我に返って顔真っ赤になれ。ざまぁみろ。レッテル張れ張れ愉快だ。
……はぁ、むなしい。
脳内で罵声を浴びせてみたが、結局野々香の気分は上々にも爽快にも晴れ晴れにもならなかった。
原出真桜、とんでもない男だ。今はおそらく、手が付けられない時期なのだろう。
もちろん、メンタル面のケアやトレーニングで一時好調を得たとて、それを維持出来るかどうかはその後の行動次第である。きっかけを掴んで活躍する者もいれば、結局短期間の確変で終わる者もいる。
しかし、このカードのみで対戦を終えてしまう野々香にとっては、それが一過性のものかどうかなど関係ない。
とにかく絶好調の男に完膚なきまでにやられてしまった。そして次に戦えるのはいつになる事か。
……早くてもこの憂さを晴らせるチャンスは1年後となれば、やるせないものだ。
「8回4失点、か。悪かねぇんだが、1人だけ嫌な奴と当たっちまったな。引きずるなよ」
音堂が静かに呟くように言う。口を開けばやかましいおっさんではあるが、最近は投手経験から来る考えや提案を話してくれるようにはなった。それに呼応し、小林監督も口添えをしてくれる。
「こういう展開はしんどいよねぇ、今日は特例でもう1打席、出ようか」
野々香の登板日は残りの8人は当然守備に着くため、野々香は投手兼DHと言う役割になる。
近年のルールで、投手として降板した後もそのままDHとして出場することは可能だ。
これまでの試合では投球後のケア等が最優先のため、降板後はDH共に交代していたが、やられっぱなしで試合から離れるのは癪だろうと言う配慮も兼ね、野々香はそのまま打席に立つことになった。
「もしかすると最終回、回るかもしれないからね」
最後は打者として、この試合をひっくり返す事で憂さを晴らしてこい。
そういう起用だった。
そのまま動きなく、4-3で試合は9回裏を迎える。
9回裏、ウサピョンズのマウンドに上がったのは宣銅烈火だ。
調整中とは言え、そろそろ怪我は回復もしており、一軍にはもう呼ばれる頃合いだと言われている。
1点差の最終回は、抑えとしての実戦確認にうってつけの場面だった。
迎え打つニャンキースは、4番大諭樹から。ちょっと難しいが、2死満塁などになれば野々香まで回る計算だ。
「一軍の抑え投手の球が見れるなら、ありがてぇ」
樹も今日の状況は忸怩たる思いがある。野々香に責任を負わせないためにも、ここは負けを消してやらねばなるまい。
そう思い気合を入れて打席に立つ樹だが。
「フォアボール!」
あちゃあ、と言う顔をして宣銅が首を捻る。
まともに打てるどころか、振れる球すら来なかった。全てワンバウンドの変化球と、肩より上のボール球でストレートの四球。
思ったより調子が良くないのか?
そう疑問に思いつつ、物足りない表情で樹は一塁に歩き出す。
続く5番・羽緒だが、ここも宣銅はボールが手に付かないのか、3-1とカウントを悪くし、あっさりフォアボール。
6番・来須にはバントのサインが出され、これを成功。1死二三塁とした。
犠牲フライやゴロでも同点に追いつける状況が出来たが、しかし鈴村に対しては宣銅の投球が変わる。
初球、またも散らかるだろうと真ん中のストレートを見逃したのが災いした。そのままストレートでカウントを作られ、鈴村はボールになるカーブを振ってしまい、三振。
2死二三塁で助守白世に打席が回る。
「ここまで来たら姫宮さんに繋がないとね」
気合の表情で打席に向かった助守だったが、ここで再び宣銅の様子がおかしくなった。
高目のストレート、カーブがはずれ、最後は完全にすっぽ抜けたボール球でフォアボール。
これで3四球で2死満塁。労せずしてチャンスが生まれ、野々香に打順が回った。
「どうも、宣銅くんも本調子じゃなさそうだ。姫宮くん、憂さ晴らしのチャンスだぞ」
監督に一声かけられて送り出されると、野々香は集中力満点の表情で打席に立つ。
試合前の会話では気のいいベテランと言う印象だったが、怪我の影響で本調子でないのならつけ込ませて貰う。
そう、野々香が意気込んだ直後だった。
ズバン!
「ストラーイク!」
先程までのすっぽ抜けと似た軌道から入った球が、カクンと外方向に曲がり、ほぼ真ん中でミットにおさまる。
思わず見逃した野々香はしまった、と言う表情だ。
「今の……おかしい、まずいぞ」
ベンチで音堂コーチが呟く。
続いても、今度は少し中寄りから外方向へ、速い軌道でボールが曲がる。野々香は合わせる事ができず、空振りした。
「そうだ、荒れとるとは思ったが、おかしいじゃないか。ここまで荒れまくっとった球はストレートかカーブ。そもそもあの男、得意球はスライダーじゃろ」
音堂の気付きにベンチは騒然とする。
「本調子だろうがそうでなかろうが、5人相手して決め球を1球も放らないっつーのはおかしな話じゃ。あの男……」
3球目が投じられる。
「姫宮を抑えて、嫌なイメージを持たせるためだけに、わざわざ決め球温存して投げてやがったんじゃないか」
最大級のキレで曲がり、真ん中ストレートの軌道から地面近くまで落ちる高速スライダーに、野々香のバットは無惨に空を切る。
「ゲームセット!」
見た事もなく、最後の最後まで見せて貰う事も出来なかった、初見にして最強の球に、打者・姫宮野々香も完全なる敗北を喫したのだった。
「おーけーおーけー、伝家の宝刀スライダー、完全復調、ってね。4打点のヒーローもお疲れさん」
ウサピョンズベンチに引き上げた宣銅が、原出に軽い口調で声をかける。
「趣味の悪い男だ。無駄な演出をしたな」
「おうともよ、他の奴らなんか、下手すりゃ二度と会わなそうだかんな。ま、4番の大諭ちゃんは会うと思うけど」
樹に対しては敢えて手の内を見せず、どんな投手だと言う情報も与えないまま四球。
そして、野々香に対しては隠し通した得意球で、慣れさせたり考えさせる間もなく即座に仕留め切った。
「言ったろ、プロを続けるには積み重ねが大事。お前さんの女嫌いのご趣味に合わせたわけじゃないけどよ、他の連中よりもあの子のことを徹底的に高速スライダーでボコるわ……ってやっといた方が、今後の抑え投手宣銅烈火さんにとって、なんか幸せって感じするじゃん?ま、折れてはくれねぇかもだけど、次会った時めっちゃ嫌な顔させたい。可愛い子に嫌な顔されるの、俺けっこー好きなのよ」
冗談めかした軽い口調で宣銅はペラペラと原出に語りかける。
それを鬱陶しそうに一瞥だけすると、原出は宣銅に背を向け、ベンチから引き上げる。
「なんだよぉ、またノーレス?つれねぇなぁ」
「あの女を排除したいのは確かだが、くだらないやり方に興味はない」
「あ、そ。出て行けーっつってボコってやめていただこうなんて考え方も、くだってるやり方だとは思えないんすけどねー」
そう言いながら宣銅も立ち去る原出に着いて行く。
取り付く島もない原出真桜に、ダラダラと喋りかける宣銅烈火。
姫宮野々香に立ちはだかった二つの壁は、この試合を境に一軍へ昇格。
野々香がリベンジマッチを果たすチャンスは、少なくとも1年間、失われるのだった。
姫宮野々香
投球成績 35回12自責点35奪三振 防御率3.09 3勝2敗
打撃成績 打率.253 4本塁打 18打点 出塁率.302 OPS.757




