第37話 「原出真桜と宣銅烈火」
「ヒット、二塁打、三塁打。全部初球打ち、かぁ。狙っておちょっくってんのかってくらい、ひでぇことするなぁ真桜ちゃんよ」
ベンチに戻った原出真桜に、ヘラヘラと笑いながら宣銅烈火が声をかける。
「酷い?勝負に酷いも何もない。折れれば負けだ。そして、女には折れてもらう」
「そんなにあの子に野球やらせたくないん?そらまたどして?」
「理由など話す気はない。ただ、あれは消えるべきなのだ」
宣銅が指摘している通り、原出は態度も良くないし、自身の事を語るつもりもない。既に宣銅以外のチームメイトも、ろくに話しかける気もなく、遠巻きに眺めるだけだ。
ムードメーカーの気さくな先輩、って演出も楽じゃねーな。
そう、宣銅は思った。
思ったが、話しかけてしまった以上は会話を完遂するしかあるまい。
「いうてなぁ、4被安打2失点。ヒットほとんどお前じゃん。それで折れろ消えろったってね、お前が凄いだけじゃね?別に他の連中は抑えてるから悪くもないじゃん?ってなもんよ」
「情けのない話だ」
またも空気を読まずに周囲……打線全体を平然と批判する原出に、ベンチにいるメンバーの表情がピリッとしたのを感じる。
そうは言うが、二軍レベルでは野々香が飛び抜けた能力を持っているのは事実だ。
原出が既に一軍確約を受けているのと同様、ウサピョンズにでもいれば即座に一軍昇格と言う所だろう。心を折りたいので誰でも彼でもばかすか打てと言うのは無理な相談である。
「ま、女は消えろ、で消えてくれるはずはねぇけど、これでお前さんに対する苦手意識みたいなのは植え付けただろうしな。悪くない初対戦なんじゃねえの?お前さんやあの子みてぇに若いうちはがむしゃらにやりゃいいけどよ、プロを長く続けて行くなら目の前だけじゃねえ、後に響くような策を打つずる賢さも大事だぜ。覚えときなよ」
長くプロ生活を続ければ、同じ相手と何度も対戦することになる。
その時にこいつには勝てないな、と思わせておくことが長期的メリットとなるのだと、宣銅は教えているつもりだ。
「お前さんの味方をするわけじゃないけどよ、俺もそろそろ一軍に戻るし、彼女は来年以降のライバルになる可能性も高そうだ。だから……」
原出と野々香の仲裁に入り、ベンチでは先輩としてアドバイスを送るなど、そういう行動に加え、口調とややひょうきんな顔から宣銅は気安いイメージを持たれるが、彼にもプロとして別の一面がある。
「俺も、ちょいと今後に備えて、お前の企みに一枚噛んでおきましょうかね」
そう言って浮かべた笑みは、ねちっこくまとわりつく毒蛇のように、ギラリとした光を宿していた。
スコアは2-1でウサピョンズリードのまま、7回裏。
「せっかくウサピョンズ戦に出してもらってんだ、原出一人に良いようにやられてたまるかよ」
「年に1カードしか試合のない相手だからね、少しは見せ場を作らないとな」
と気合を入れ直した日暮有人がヒットで出塁、楠見がエンドランで繋ぎ一三塁のチャンスを作る。
三番フックがしぶとく一二塁間へ転がしてセカンドゴロ間に同点とすると、なお1死二塁の場面で大諭樹。
「原出に負けっぱなしでいられるかよ!」
と、気合の入ったスイングで左中間へ運ぶタイムリーツーベース、楠見が勝ち越しのホームを踏んで3-2。
終盤で上位打線が奮起し、逆転。野々香に勝利投手の権利が転がり込んだ。
これで、勝利まであと2イニング。野々香は原出にこそ打たれているが、失点はわずか2で、球数も80球と決して多くはない。
何より、本人たっての希望で、8回表のマウンドにも野々香は上がった。
このまま1アウト、いや、1つのストライクすら取れていないままで勝負を降りるわけにはいかない。
何せあの男には、全て初球を運ばれているのだ。
相手の1番から始まる攻撃を気合の入ったボールで二者三振、まだまだ球威も衰えていない様子だが、不運にも打ち取った当たりが三塁線のきわどい所に転がり内野安打。
二死一塁で、4番・原出に打順が回って来た。
敬遠のサインは出ない。このための続投なのだから。どうしても慎重過ぎて弱気になりがちな助守でも、この回、この対戦においては2人でどう勝負するかは意思統一している。
落ちるボール球だろうと、釣り球の高い球だろうと原出はスイングしてきた。
間違いなく、次も問答無用で初球スイング狙い、気持ちの面で優位に立ちに来るだろう。
この男はどちらにせよ天才だ。小手先の技で、今の野々香がどうこうしようとしても、理不尽な暴力で倒されてしまう可能性はある。
だから、野々香の腹は決まっていた。
原出がまたも何やら呟き、にらみを効かせてから打席で構える。
野々香は逆境に立たされればそれだけ燃える性格だ。だからこそ、中途半端な自滅の時とは違う確かな意思をもって、叫びと共に投げた。
「イ・ウィステリア……フラーッシュ!」
初球。
カッ、パァン!
一瞬、ボールにバットが当たった音がしたが、その直後響いたのはキャッチャーミットの音。
「ストラーイク!」
原出も、さすがに一瞬驚いたような表情は見せた。
野々香が投げたのは、直球、ド真ん中。敢えてのド真ん中だった。
この男ならド真ん中なぞ簡単に打ち返す可能性は高いだろうと踏んだが、それでも結果は、ファールチップ。
初球だけで3安打された男から、ついに1つ空振りを奪った。
同時に球場がどよめく。見ると、スコアボードの方、球速表示に注目が集まっていた。
165km。
逆境に燃えた野々香が再び記録を塗り替えた。もうすぐ日本記録に迫ろうかと言う、165kmだ。終盤の土壇場、この場面で発せられた静かな闘志が、野々香のさらなる力を引き出した。
……しかし、それでも。次の2球目。
カァン!
目下絶好調のこの男の勢いには及ばなかった。
滞空時間の長いフライがセンターへ上がる。それは、無情にも風に運ばれ、いつまでも落ちて来ず、伸びて、伸びて。
バックスクリーンに着弾した。
原出真桜の逆転ツーランホームランで、4-3。再びウサピョンズのリード。
そしてこの日、原出真桜は、ヒット、二塁打、三塁打、ホームラン。
一軍へ向けて大きな手土産となる、サイクルヒットを達成した。
「いやははは、驚いちゃうね、ほんと。165km対サイクルヒットとか、ここほんとに二軍かよ」
ベンチに戻る原出を、宣銅がにやにやと笑いながら出迎える。
本来ホームランを打てばベンチのチームメイトも大いに盛り上がり、全員とハイタッチをしながら場合によっては客席へパフォーマンスなどを挟んだりもするのだが、この男は何もない。
この男が何もしないだけならばまだしも、チームメイトの祝福もまばらにタッチが交わされるだけで、ほとんど小さなものばかりだった。何かをしたとて、本人が反応してくれないのではどうしようもない。
……さすがにこの裸の王様っぷりは、見かねるものがあるな。
そう思い宣銅だけは積極的に声をかけてみたのだが、これもまた空振りだ。
原出はフン、と静かに息だけを付き宣銅の言葉にすらろくなリアクションを取らなかった。
これは、結局言っても無駄だろうな、と思いつつ。
「お前さんさぁ、そりゃこれだけ問答無用の結果なら三顧の礼でお呼び立てだと思うけどよ、いくら結果残しても、俺ならお前より姫宮の野々香ちゃんと一緒に一軍行きたいね」
言うべきことは言っておいた。
案の定、原出は特に何も答えない。




