第36話 「面白いじゃん」
「姉さん、何してたんすか!もう来てたはずなのに球場入りが遅いって、監督が困って音堂が怒ってましたよ」
謎のやり取りによって試合前練習の時間ギリギリになってしまった野々香は、探しに行こうとしたらしい有人、樹とロッカーで鉢合わせた。
「いやね、球場入り直前にウサピョンズのバスとすれ違ってさぁ」
詳しい話は追い追いするとして、時間がない。バットやグローブを取り出して準備をしながら、野々香はなるべく簡潔に事情を話しておくことにする。
「長髪に挑発されたんだ」
「……姉さん?」
「……どうしてお前は重要な事を言う時に限ってそうとんちきに走るんだ」
「ち、違うそんなつもりじゃなくて!偶然だぞ!」
ここで2人だけに長々と事情説明をしても二度手間だ。ひとまず監督やコーチ陣に挨拶を済ませ、球場入り前にウサピョンズの選手たちに絡まれた事を説明した。
「原出真桜、って選手は何者なんです?」
「はっきり言って、知らんな。一応去年から開幕にかけて東部リーグの選手も目は通したが、無名の選手じゃないのか?」
投手コーチ、音堂がきっぱりと言い放つ。コーチが知らないのはまずいのではないかと思うのだが。
「原出真桜、24歳。知らなくても仕方ないかもしれませんな。高卒新人のドラフト5位入団ですが、事実昨年までは完全に無名の選手ですぞ。二軍でも打率1割台、本塁打通算ゼロ本と振るわず、いよいよもって今期の成績次第で一軍を経験しないまま戦力外か、という所でした。コネ入団説も囁かれていたくらいですな」
尾間ヘッドコーチが音堂へのフォローを入れつつ、メモをめくりながら情報の確認を始める。
高卒新人なら一切一軍に上げずに二軍で数年育成に時間をかけるのは良くある事だが、それでも鳴かず飛ばすのまま大卒くらいの年齢を迎えれば、球団も我慢して契約する理由がなくなる。光るものがなければ、首が寒くなる頃合いだ。
「それが……今季2軍での成績は、25試合で打率4割、10本塁打、25打点。現在東部リーグの三冠王で、この3連戦を最後に一軍へ上がる予定と噂されています。何でも、昨オフを終えてキャンプインしてから、性格も能力も別人の様に変わってしまったとかで」
野々香の現在が4本塁打17打点。樹が6本塁打20打点で、これは西部リーグの本塁打、打点の二冠だ。二冠王、と言えば聞こえはいいが、一軍の存在する球団であればそんな記録を打ち立てる前に一軍昇格が当たり前である。
この試合の次に原出と対戦するとすれば、来年野々香が一軍に上がってセリーグの投手となった場合、であろう。
「そんで、なんであたしが邪魔って話になるんだろ?」
おかしな話だ。万年一割打者にどんな奇跡が起きたか知らないが、それなら野々香を排除する理由もない。
勝手に一軍に上がって勝手にヒャッハーしていればいいだけの話だ。
何せ、野々香は最短でも来年にならねば一軍の試合には出てこないのだから。
「姉さんが邪魔だって言われたんすか?そりゃァまたどうして」
「めちゃくちゃ男尊女卑野郎だから……?女が野球とか認めん!みたいな昔のおじいちゃんならまだしも、あたしと同い年でそれもなぁ」
「ぐっ」
意図せず流れ弾が飛んできて音堂がうめいた。
「何せさぁ、『おい、女。』とか言ったんだよそいつ」
「ぶはっ、姉さん笑かさないで下さいよォ!そんなやついないっしょー」
「いたんだよ!おい、女。女は邪魔だからウチに帰ってママのおっぱいでも飲んでクソして寝てな。とかって」
だんだん興が乗って言われていない事を追加で盛り込んで物真似を披露する野々香。
ファンタジーでしか聞かないセリフ満載だ。野々香は実際に聞いたのだが。
「うはっ、やべぇっすねそいつ!ないわぁー!まだ若いくせに女は邪魔だから帰れとか言う奴今時ないわぁー!」
「ぐっ」
訳有りにせよ一応言った大諭樹にも意図しない流れ弾が飛んできてうめいた。
「まぁ、どういう意図かはわからんけどもね」
事情の説明から徐々に脱線を始めた野々香の話に、小林監督が割って入った。
「いずれにせよ言って辞めるようなわけもないし、原出君にウサピョンズの人事権があるわけでもないからね。当初の予定通り、この交流戦を対戦チームへのアピール機会と捉えてしっかりやりましょ。あと、姫宮君は今回は巻き込まれた形なのでやむを得ないけど、対戦チームとの不用意な接触は避けるようにね。何らかの揺さぶりと言う意図はあり得るので、深く考えずいつも通りの野球をやってください」
ひとまずそう締め括り、試合前練習を開始することとなった。
試合は、初回両チーム共に三者凡退の静かな滑り出しでスタート。
原出は当然のように4番に据わっている。ポジションはファースト。気に入らないが、厄介な打者とあれば初回は特に慎重を期した。
幸い、初対戦は2回表の先頭打者と言う事になる。
無論負けたくもないし負ける気もないが、初回三者凡退で4番から、ならより安全な状況だ。
異様な空気を纏って現れた原出は、左打席に入り、そこで何やら呟くと、その鋭い目つきで野々香を睨みつける。
すると、助守が一旦タイムをかけてマウンドにやって来た。
「今あの人、愚かな娘よ……とか言ったんだけど」
「ぶふっ」
こんな序盤から何しに来たのかと思ったら本当に何しに来たんだよみたいな用事だった。
「ちょっ、マウンドで笑わせないでくださいよ助守さん」
「いや、あまりに聞いた通りの変な人でショックだったからつい」
とはいえ、この男が現れて生まれた異様な空気感が、いくらか弛緩した気がする。
肩の力が抜けた。行ける。
ふっと息をひとつ付くと、野々香は投球を開始する。
いきなりボール球で様子を見るような考えもよぎったが、イニングも浅い。ギアを上げて直球勝負で行くことにした。
まずは、1球目。全力のストレートが走る。
キィン!
「なっ……!」
初球、決して甘くないインローの直球、160kmをいきなりセンターへ運ばれた。
コントロールがいいとは言えない野々香の、珍しいベストピッチとも言えるコースだった。
それを引っ張りでなく、初球、センター返しでのシングルヒット。
確かに言うだけのことはある。
だが、単打ならいい。後続を抑えればいいだけの話だ。
野々香はその後をきっちりと3人で打ち取り、無失点。騒然とした試合前に反し、立ち上がりは静かに進行した。
4回表、ウサピョンズの攻撃。
2番打者を歩かせてしまい、一死一塁で4番、原出。
ここで野々香は直球勝負を避ける選択をするが、見事にそれがこの男の術中にはまる。
初球、引っかければ併殺コースのゴロになるようなアウトローのスライダー、ワンバンスレスレにまで沈む球を。
この男は狙いすましたように体勢を沈めながら、なおも力強く振り抜いて打球は左中間へ。
レフト楠見とセンター鈴村が懸命に追いかけるが、鈴村のグラブのわずか先、打球は抜けて行くとフェンスを転々。
一塁走者を一気に帰すタイムリーツーベースとなり、ウサピョンズが先制した。
しかしここは後続を打ち取り、1点止まり。
ここまで2打席、初球スイングできっちり2安打されてしまった。
しかも、一番いい球と、外しに行ったボール球を飛ばされてのものだ。対策の取り方も思い浮かばない。
力負け。シンプルにそういう言葉が浮かぶ。
出来れば負けたくなかったが、しかしこの形での負けは割り切らねばなるまい。
原出の意思に反し、野々香の心が折れるようなことはないのだ。
5回を0に抑えると、その裏、鈴村の二塁打から助守が送りバントで一死三塁とし、野々香が犠牲フライを上げて同点とした。
試合は、まさに原出と野々香の直接対決の様相を呈し始める。
6回表、原出との3度めの対戦は、二死一塁で訪れた。
「歩かせるかい?」
助守がマウンドにやって来て訪ねる。ワンヒットで勝ち越しの一二塁にしてしまうため、あまり露骨に避けるのがいい戦術とも言えないが、現在の野々香は3被安打。うち2本が原出であることから、歩かせて後を抑える方が賢明な選択に思えた。
だが、あっさりと初球を2安打されてさらに引き下がるとあっては、完全な敗北だ。
1アウトくらいは取ってやらないと、原出にもチームにも示しがつかないだろう。
そう、野々香は考えた。考えてしまった。
「わかった、でも初球ストライクは要らないよ。振らせて行こう」
2度も初球を打ち返されて、なおものこのこストライクを放るわけにもいかない。
野々香は頷くと、助守が立ち上がった。中腰で構える、完全なボール球を要求する体勢だ。
「愚かな……」
そう、呟く声が助守には聞こえたような気がした。
次の瞬間、頭の高さほどまでの位置に投げられた超高目のボールを、あろうことか原出は、スイングした。
「はぁっ!?」
思わず野々香は叫ぶ。
無理やり以外の何物でもない引っ張りのスイングで叩かれたボールは、それでも強引に、力で外野へ運ばれた。
打球は風に乗って、伸びて、伸びて、ライト線上で大きく弾む。
そのままフェンス方向へ逸れて転がり行くボールをライト風間が追うが、処理が遅れる。
その間に一塁走者はもちろんホームイン。原出は一塁、二塁も回って、ようやくボールが返って来た頃に三塁に到達した。
三度の初球、タイムリースリーベース。ウサピョンズが再びリードし、2-1。
またも初球。しかもはっきり言って、クソボールだ。
この男には読みや知略と言うものが必要ない。シンプルに、強い。
そして敢えての初球打ち、おそらく、本気で野々香の心を折りに来ている。理不尽をひたすらぶつけて、メンタルを削り切ろうとしているのだ。
しかし、それでも。
「面白いじゃん……!」
野々香は笑った。
瞳に炎を宿したかのように、焦がれるように熱く、ヒリヒリとした感情を昂らせていた。




