第35話 「二軍交流戦」
4月15日。野々香5度目の先発登板日である。
おそらくあまり知られていない事だが、二軍戦にも交流戦が存在する。
と言っても一軍の様に1イベントとして短期集中して行われるものではない。シーズンスケジュールの中に、おおよそ毎月1カードずつのペースで東西の交流戦カードが組まれているのだ。
前回完封勝利から中9日、敢えて日を開けての交流戦登板になった理由は、相手がセリーグで最も歴史の長い古豪球団だからだ。
ドラフトにかかるためには何よりスカウトの目に留まる事。ならば、対戦相手となった際に実際に活躍するのが一番簡単なアピールである。
勝敗よりも見込みのある選手のプレゼンを重要視したいニャンキースは、敢えてこの日を姫宮野々香の売込み試合としてセッティングした。
チームは10勝10敗3分と、未だ5割をキープし西部リーグ3位に付けている。
ここは是非とも、野々香のピッチングで勢いを付けて勝ち越したいところだ。
二軍戦にしては珍しく、本日はにゃんキースタジアムでのナイトゲームである。
ナイトゲームへの登板も野々香は初だ。調整や流れの確認もしておこうと、この日は早めに球場を訪れ、全体練習の前に付近で準備運動がてらランニングをしていた。
すると、近くにバスが到着して、選手たちが降りて来ているのが見えた。
おそらく、ウサピョンズ二軍の選手を乗せたバスだろう。
「おはようございます!偶然ですね、姫宮野々香です。今日はよろしくお願いしまーす」
通り道に選手たちが現れたので、スルーして走り続けるのも何かな?と思い、野々香は軽く会釈だけして再び走り出そうとした。
ところが。
「おい、女」
不意に、1人の選手から呼び止められて野々香は立ち止まる。
見ると、長髪の男が野々香をにらみつけていた。
……………。
他の選手たちも怪訝そうに見守る中、しばし視線を交わす2人。
野々香は、考えていた。
……………。
女。つったなこの人。
おい、女って。
女ってwww
やっばwwwリアルに女に「女」とか言い出す人初めて見たwww
そんなの異世界で魔王の幹部に呼ばれて以来ですよ!言わねぇよ、こっちの世界じゃ!
さぞかし変わり者なのだろう、こうなるとどう言っていいのか、挨拶に困る。
今すぐ吹き出したい衝動を抑えるのに必死で会話に集中出来ない。
「おい、そこの女だ。何をしらばっくれているか」
困っていたらさすがに向こうが焦れてもう一声かけてきた。
「あ、あたしっすか?」
出来るだけしらばっくれていたい。何ならもうここからばっくれたい。と野々香は思いながら一応会話を続ける。
「ここで女と言ったら現状お前ひとりしかおらんだろう」
しらばっくれている事に若干の苛立ちを現しながら、男は続ける。
何をバカなことを、とでも言いたげな口調だが、そんなもんこっちのセリフだよ、と野々香は心が叫びたがっていた。
確かに尊大な態度が似合う風貌だ。長髪はびしっと肩口で整っていて、目つきや口元も鋭角でこれまたびしっとした印象を受ける。
年はまだ20代、下手をすれば前半か?と言うくらい若そうだが、身長と体格が凄まじく、190cmほどはあろうかと言うほど。
これで見下し切った表情で「女。」とか言い出すのだから、威圧感はたっぷりである。
いや女って。蒸し返して野々香は再度内心笑っている。
「女じゃなくて姫宮野々香です。あなたは誰?何か用?」
「単刀直入に言う。女はプロ野球界から出ていけ、以上だ」
「は?」
「女は邪魔だと言っている」
「は?」
あまりにシンプルかつお話にならなすぎるお話に、野々香も言葉がない。
「寝言は寝て言えだよベイビー?」
しかもこの男、名乗ってすらいない。野々香は先に名乗った上で質問をしていると言うのに。
武士の風上にも置けぬやからだ。
このド失礼に女を見下して来る感じは一応見覚えがある。初対面の大諭樹だ。ニャンキースで一緒にプレイしてからはもうただのツンデレホームラン男と化しているが、最初に出会った時は似たような態度で野々香を排除しようと食ってかかってきた。
しかし、彼はテストと言う場において彼なりの事情があっての発言で、強い悪意があったわけでないのは今ではわかっている。
今回は違う。現状、敵チームであるこの男に野々香を排除する理由がない。
こう考えるのは失礼な話だが、スカウトやファンの目線を野々香がやたら集める分、チームメイトの嫉妬、なんて方がよっぽど有り得る話だ。
つまりこの男には「事情」がない、それが想定出来ない。
何より、空気感と態度から純粋な悪意、直球の敵意がここに剥き出しにされていた。
「おーいおい、何やってんだ真桜」
男のあまりに理不尽な発言から一触即発の空気に、しかし幸い助け舟は来た。
バスから揃って降りて来たうちの一人の男が、その空気に割って入る。真桜、と呼ばれた失礼野郎より10cm程小さいだろうか、赤茶の短髪に愛嬌のある顔をした男だ。
歳は30前後、この人の事は野々香も知っている。数年前に、野球観戦で見覚えのある顔だった。
確か、宣銅烈火投手だ。以前ウサピョンズ最強の抑えとして君臨していたが、確か今年は故障もあり二軍で調整中、だったか。
若く血気盛んな選手も多いであろう二軍で、実績のある人がバランサーとして仲裁に入ってくれたのだろう。
「すまんねぇ、姫宮さん。俺は宣銅烈火、んでこいつは原出真桜。無愛想で不器用だけど、悪気は……いや、ごめん。割とあるわ。最近やたら無愛想で不器用で結構悪気のある態度取って反感買ってるけど、野球の才能だけとんでもなくある、そんなやつだよ」
「フォローする気皆無!」
〇〇だけど悪気はないんだよぉ。とか言うフォローをされる奴は大体〇〇部分が的確でろくなやつではないのが通例だが、考え直した結果さらにろくでもない紹介をお出しされて野々香は困惑を隠せない。
だが、実際野球の才能だけ飛び抜けていればそれだけで有無を言わせない事もある。
そう言われてしまえばそうですか、と答えるしかない。
「真桜ちゃんよ、お前これから一軍行くんだろぉ?さすがにそんなナメた態度じゃ、監督怒らせて落とされちまうぞ」
「結果で黙らせろ、と言ったのはお前たちだろう?」
「ゆーて結果良ければすべて良しってわけでもねぇの。野球はチーム競技なの。円滑な人間関係の維持も必要。ほれ、詫びとけ。」
宣銅投手に無理やり頭を下げさせられる原出と言う男。
宣銅自身も共に「申し訳ない」と頭を下げる辺り、きちんとした男だ。もうベテランに差し掛かる年齢のプロは年季を感じさせる態度で原出を諫めると、
「元はここまでの奴じゃなかったんだけどねぇ。最近人が変わった様に寡黙んなって、これまた人が変わった様に打ち出してさ。もうすぐ一軍からお呼びがかかんのよ。どうして君に敵意があるのかはわからんし、許せとも言えんけども、とりあえずここは手打ちにしといてくれんかね?」
野球選手、並びにアスリートと言うのはメンタルとフィジカルの連動が起こりやすい。
野々香自身もこれまで数度経験しているが、気持ちの変化、或いはそれを起こすための何らかの行動がきっかけで突然好調、あるいは不調になると言うのも良く聞く話だ。
この男は、ぱっとしない自分を変えるために敢えて寡黙に徹するとか、敢えてスカした態度を取ってみるとか、敢えて中二病をこじらせてみる等の方法を用いているのかもしれない。
敢えての中二病ってなんだよ。
それはわからない。
「はぁ、まぁあたしも怒ると言うより、唐突過ぎてわけわからんってのが本音なので別に構いませんけど」
何なら「おい、女」のせいで怒りより笑いがこみ上げるのを耐える方がしんどい。
「先程の発言は、撤回してくれるわけではないでしょ?」
「宣銅の顔を立ててこの場は謝罪し、辞してやるがな。もちろん撤回するつもりはない」
「なら」
まるで全力で魔法を放つ時のように、野々香は人差し指に全力を込めて原出を指差すと、
「今日の試合で語ればいい。結果で黙らせてあげればいいんでしょ」
そう、力強く宣戦布告をしたのだった。




