第29話 「完封勝利」
「うわあぁぁぁ楠見ざぁぁぁん!!」
一瞬しくじったと思い膝をつきかけていた野々香が、汗だか涙だかわからない物を散らかしながら楠見玲児の肩をがしっと掴んだ。
「ありがとうございます!ありがどぉございますぅ!!」
本当に紙一重、フェンスの低い球場であればスタンドインしているような打球だった。
最後の一球のスピードガンは163kmを記録していた。
試合が進むにつれて本来疲労で落ちて行く球速が、ここに来て最速を記録。
打てる場所に投げてしまったのは失敗ではあるが、それだけ最後の瞬間まで集中していたが故に、落ちない球威があとわずかの失速を呼んだのかもしれない。
運良く、だけではない。そんな気持ちと力が生んだ勝利だった。
「やー、こっちも捕るまでヒヤヒヤしたよ。こんなに緊張感のある場面なかなかないからね、めちゃめちゃ気持ちいい。姫宮さんには感謝だな」
チームメイトの歓喜の輪が出来ると、周囲の観客も敵味方問わず、沸いた。
ビジターなのでニャンキース、及び野々香のファンも少な目だったが、それでも温かい拍手が送られる。
完投・完封勝利。二軍ではなかなかお目にかかれない大勝利だ。
一軍であればヒーローインタビューでもして盛り上がるところだが、それもない。少し寂しいが、代わりにグラウンドを一周しながら野々香は一礼して回った。
手を振り返してくれる人、声援を送ってくれる人、この瞬間を逃すまいと野々香の写真・動画を撮っている人。
皆、笑顔だ。
狙ったわけでもないのだが、最後に家族のいる客席のあたりに辿り着いた。
全員、ネット前までやってきて野々香を出迎えている。こちらも皆満面の笑みだった。
「のの……の……うおーんおーん」
ひとり父が感極まりすぎて、なんか"人間を好きだったのに悲劇に見舞われた悲しい怪物"みたいになっていたが。
「お姉ちゃんおめでとー!めちゃめちゃ凄かった!」
「野々香本当に野球うまくなったのねぇ。小さい頃ぴるぴるーっとか何とか言いながらバットを振り回してただけのことはあるわ」
まずは法奈と陽代の称賛。母、それはたぶん関係ない。
「野々香さん、おめでとうございます。とても参考になりました」
「おう、おめでとさん」
続いて椎菜と学駆。みんなからしっかりお祝いの言葉をいただいたが、1人狙ったように素っ気ない奴がいる。
「おいおい学駆さんや、あなたが一番塩対応なのはどういう事なんですかね?」
「そうか?メジャー流のサイレントトリートメントってやつだろ」
「えっ、首根っこ掴まれて傷んだ髪を心配されながら爆殺されるって言うあの?」
「うーんたぶんそれじゃないやつ」
「……こういう時はもうちょっと嬉しそうにすると女の子は喜ぶんだぞー?特に普段素っ気ない男はここがチャンス!あたしを褒めるなら今しかないですよ?さぁ……」
「えー」
「早くしてよ!何してんだよ!何様のつもりだよ!」
「じゃあ、のの……の……うおーんおーん」
突然学駆が父の泣き真似を始める。父の真似をするんじゃない。父親の反応はもうおなかいっぱいだよ。と野々香は嫌な顔。
もうらちがあかないのでチョップした。ネット経由で。
いい感じにネットがべしっと当たってちょっと効いたらしくて痛そうだった。
「まぁまぁ、学駆さんが恥ずかしがり屋さんなのはいつものことじゃないですか」
椎菜が仲裁に入ってくれる。「恥ずかしがり屋さん」と言う可愛い表現に学駆は再びいっぱい食わされた顔だ。
「これでも、最後のレフトフライをキャッチした瞬間、手は横に置いたままで見えにくい所でそっとガッツポーズしてたの見てましたから。本当は誰より喜んでますし、野々香さんを信じていたんでわ。わわわわわわ」
「はーい喋りすぎですね椎菜くん」
照れ隠しなのか学駆が椎菜の肩を掴んで揺らし始めた。
照れは隠しきれていない学駆を見て嬉しいと同時に、うらやましい。とも野々香は思う。
教師と生徒としての関係で話す事が多いのだろうか、引っ込み思案なはずの椎菜が学駆には結構遠慮がない。
異世界にいた時よりもよほど打ち解けている気がして、野々香はそこが少し羨ましかった。
まさかないと思うが、異世界のよしみで生徒の贔屓が酷いようだったら、そのうち指摘してからかってやろう。照れる学駆を想像して野々香は少しにやけた。
それも含めて、帰省した機会に話を聞いてみたい。何はともあれ、これでやっとひと息つける。
「後でどこかで待ち合わせよ。着替えて、片付けとか打合せとか終わらせたら行くから」
心地よい疲れを感じながら家族にいったんの別れを告げ、勝利の余韻を感じながら野々香はグラウンドを後にした。
気持ちの良い試合だった。
今日の勝利でみんなが笑ってくれて、喜んでくれて、笑い合って。
平和っていいものだ。
一時的とは言え平和な世界を離れ、けっこう大変な目にもあった。
そちらの世界も今は平和になり、笑い合えるようにはなったけど、そうするまでは本当に悲惨な事もあった。一歩間違えば死んでいた人や、仲間だっている。
そうして命すら脅かされたからこそ、平和な世界で笑い合えると言う事は何よりも大事なことだ。
まだまだ出来ない事も多いし、本当の戦いは全然これからだけど。
こう言う積み重ねを大事にして行きたいな。
ひとつの大仕事を終えた野々香は、改めてもっと野球が好きになった。
……が。
「初完封の感想を聞かせて下さい!」
「最後の打球、どんな気持ちで見ていましたか?」
「163kmの速球の秘訣を教えてください!」
「二刀流、メジャー等も意識していますか?」
「大諭樹さんと良く話していますがどういうご関係ですか!?」
あーーーーー。
正直、これが結構きつい。
せっかく平和を噛みしめていたのに、チームメイトとも喜びを分かち合ったのに、空は青いのに、風は暖かいのに。
どうしてこんな質問責めにあうのか。
球場を出たとたん、野々香を待っていたのはマスコミによるシャッターの連打とマイク数本突きつけられてのお出迎えだった。
最近は試合後インタビューを求められることも多いので、雀をはじめスタッフたちに色々と約束やルールを取り付けて貰って、なるべく平和に帰れるようにしてもらっていたのだが。
今日は家族との待ち合わせに気がはやり、1人で早めに出て来てしまったのが完全に裏目だ。
ビジターにて初完封となると、なりふり構わずなゴシップが突撃してきたか。
思った以上に外での待ち伏せが多かった。
「ソウデスネ。エエ、ソウデスネ。プロテインデスカネ」
こういう時は心を殺した別人格、メカノノカが出動することにしている。
無論、自身がスクープ対象であることは把握しているし、しかるべき筋を通した上での質疑であれば受け答えはするのだが……
帰り道に囲み取材はとんでもなく疲れる。ただでさえ疲れた体に追い打ちをかけてくるものだから、印象がどうしても悪い。
あと、うっかりすると野球と全く関係のない下世話なゴシップも紛れているので危なかったりする。
以前ユニフォームから私服に着替えて外に出たら撮られて、ただの私服姿がスポーツ新聞のエッチな写真とかがあるあのへんとかに載っていた。
野球っ子美女の攻め攻めコーデ(はぁと)じゃねえよこのやろう。
普段着からそっち方面の化身で行ける程自分に自信ネキじゃねえんだよこのやろう。と危うく電車でおっさんが読んでる新聞を破りそうになった。
もちろん球団からクレームを入れて撮影、掲載禁止にしたらしいのだが、どうせ懲りない。
こういう時に毅然とぶった切っていけないのが、新参球団の立場の弱さか。
捕まると一家団らんの時間がそれだけ奪われる。何としてでも今日はとっとと帰りたいのが野々香の本音だった。
しかし、さすがに一人で撒くのは不可能か、と苦慮していると。
「あのぉ、ちょっと通してくれませんか。今日は何か聞きたけりゃ俺が聞くんで」
後ろから聞き覚えのある声で、援軍が到着した。




