第24話 「一軍で待ってる」
快晴の野外球場、破魔スタジアム。開幕の特に強い熱気の中、ブルペンからリリーフカーに乗って姫宮野々香が現れた。
リリーフカー、ちょっと乗ってみたかったんだよね。こんな早くこんな形で乗るとは思わなかったけど。
これはこれで少しばかりテンションが上がりつつ、野々香が観客席に手を振りグラウンドを少し大回りしながら登場する。
スタジアムは当然満員だ。野球人気は未だ根強く、開幕で満員にならない試合などなかなかない。
特にネイチャーズは新しい集客の試みも多く、チーム自体は長年優勝から遠ざかっている中でもどんどんファン層を拡大している球団である。
その「新しい試み」の一部として、野々香がマウンドに降り立った。
ネットやSNSと、球場のファン層と言うのはまた少し異なる。ニュースやまとめで把握済のファンも多くいたが、球場の中には野々香を全く知らないファンもいる。
「それでは、始球式を執り行います。今回はただいま二軍、ニャンキースで話題の"史上初の女性プロ野球選手"姫宮野々香さんと」
球場内にアナウンスが流れだすと、そこに合わせたように、打席に向かってくる大柄な男がいた。
「ネイチャーズ不動の星、本瀬狩路選手との、真剣1打席勝負です!」
このあとマウンドに上がる予定の外国人投手、ジャスティン・セッツに一礼すると、野々香はマウンドを踏みしめる。
何故かジャスティン投手はぶっきらぼうに、いかにも1ミリも興味がないという表情で腕組みしたまま横に棒立ちしている。どうも、始球式の時の彼は毎回こうらしい。
打席の方に本瀬選手が入ると、野々香の方を見て一瞬驚いた顔をして、審判や捕手と苦笑いで何やら話し出した。
えっ。ガチンコ勝負だったよね?マジで打っていいんだよね?みたいなことを確認しているようだ。
いや、ですよね。びっくりしますよね。本気なのかジョークなのか?って思いますよね。上からマリコ降って来た気分ですよね。本瀬さんちょっと顔がマリオに似てますね。
このふわっとした空気をガチに引き戻さないと、なんか自分までこっぱずかしい。
……1球投げればいいか。
そう開き直った野々香は、もう無心でまず、1球を投じた。
ボールが風を切り、スパァンといい音を立ててミットにおさまり、野々香のスカートがひらっと浮いて、落ちる。
「ストラーイク!!」
ほぼ真ん中だったが、本瀬は見送った。そして、もう一度野々香の方を見て、今度は別の意味で驚いた表情をした。
この瞬間、ネットでは「はっやwwwww」の一言だけでスレが全部埋まり、球場では凄まじいどよめきが起こった。
電光掲示板に表示された「161km」の表記に、観客は「はっや」「アイドルじゃないんかこの子?」「やべーだろこれ」「そのまま先発やれ!」と口々に騒ぎ出す。
良い感じで1球目を投げられた。集中する。集中できる。思考と周囲の音が野々香の中で途絶えて行く。
2球目。低目にもう一度ストレート。外れた。
3球目はカットボールを試した。これが外に大きく外れる。本瀬は振って来ない。
4球目、高目、インハイを狙うとこれを振って来た。が、後方へのファール。かなり振り遅れていた。
しまったな。本瀬は思う。
勝負と言ってもいきなり1球目を打っても盛り上がらないよな、とわざと初球を見逃してしまったのだ。
……そんなゆっくりしてどうこう出来るレベルじゃないぞ、これは。
野々香は5球目、6球目と高目の良いところを突いたはずが容易に本瀬にファールされる。球場も徐々に静かになり始めた。
「すげぇな、ガチで真剣勝負じゃん」と観客の誰かが呟く。
「ニャンキース?」「ほらあの新規参戦の」「二軍?」「一軍で見たいな」と、小さな声ながらも嬉しい感想が広がって行く。
7球目にスライダーを投げてみたが外れて、カウント3-2。
続けて8球目。勝負球となる最後の球は、やはり振りたくなる高目か。
勝負球として投じた球は、気持ちが入り過ぎたか、わずかに狙いより高く浮いた。だが、打ち気の打者なら手を出して行ける所だ。
ズバン!!と外角高目、キャッチャーミットにボールは吸い込まれる。だが、審判の手は上がらない。
「え、あれ。……フォアボール?」
しまった、と野々香は声を上げた。きわどいが、確かにボール球だ。
せっかく良い感じで勝負を盛り上げたのに、フォアボールとは締まらない。だが決着は決着だ。少し出づらそうに進行役が顔を出し、
「え、え~姫宮投手、ありがとうございまし……」
「待った」
その声を、本瀬が遮った。
「すまん、手が出なかった」
そう本瀬が堂々言い放つと、それを進行役がマイクで球場全体に広める。再び球場がざわつき始めた。
「勝負としては俺の負けってことでいい。ただ、これじゃ締まらないんであと1球だけ振らせてくれないか」
なんと、まさかの本瀬からの再戦要求だ。
「ぜひ!」
野々香は即答した。お互い、これではおさまりが付かなかった。
ここで今更変化球など投げるのも面白くない。結果はどうあれ、ストレート。間違いなく読まれているだろうけど。
一本勝負だ。
やばい、楽しい。
野々香はすっかり入り込んでいた。いつしかの入団テストの樹との勝負と同じで、まるで今、誰かの命をかけて勝負をしているかのような緊張感に、心を奪われる。
何度か投げているうちに、こういう気持ちで一つギアを上げた全力のストレートに、野々香は名前を付けていた。
再び、昔使っていた魔法名とともに9球目が投じられる。
「イ・ウィステリア・フラァァーッシュ!!」
カァァン!!
表示は何と163km。しかしその驚きの速度も、みな打球の行方を追ってしまったせいで気付かない。
見事な放物線を描いたボールは、ライトスタンドまで吸い込まれて行った。
「ありがとうございました!」
グラウンドで一礼して野々香と本瀬が大きな拍手に見送られると、3分程押して試合が開始された。
「試合時間押してますよね。思わず入り込んじゃって、すいません」
今度は歩いて一塁側、ホームのネイチャーズベンチに入ると、野々香は礼と謝罪をした。
「いや、謝らないでくれ。試合前からここまで盛り上げて貰えたら感謝しかないよ」
ネイチャーズ監督、新見怜楠が野々香の肩を叩いてねぎらう。
元人気選手だった監督は今も若々しく、見た目はいかついのに優しい空気を纏った人だった。
ベンチに残った選手からも、口々に「お疲れ様」「ナイスボール」「凄いね君」「ウチ来てよ」と褒めちぎりだ。
「あはは、でも一軍ってやっぱり凄いですね。速いだけなら持ってかれちゃう、悔しいですけど完敗です」
野々香の表情を見て、ほう、と新見監督は一声感心したような声を出すと「いやいや」と前置きして
「まさか、本瀬以外じゃわかっててもろくに打てないよ。あいつが一番乗ってるだけだ。そもそも、あいつを乗せたのも君の実力だから。自信持ってくれ」
そして、野々香が一番喜ぶ言葉をかけてくれた。
「一軍で待ってる、出来ればここで会えたらいいね」
投球を終えての姿はすっかり普通の女子にしか見えない彼女は、プロ野球の監督から、最大級の賛辞と言える言葉を受けて、ベンチを去って行った。
その日、監督から球団社長に連絡があったと言う。
「彼女、ドラフト候補としてマークしておいてください」
自信満々に言い放つ監督は、理由を聞かれてこう付け加えた。
「あの子、記念登板でもなんでもなく、本瀬に勝つ気でいましたよ。あんな気概の子、なかなかいませんから」




