第23話 「姫宮野々香、ノーバン始球式」
「始球式?」
上々のデビューを飾った姫宮野々香のもとへ、訪れたのは意外な話だった。
話を持って来たのは、広報の盛留だ。元選手ではあるので割と良い体格をしてるが、すっかり細身になっている。
細い目が柔らかく下がっている表情を見ると、なるほど宣伝広報や交渉事で活躍しそうな見た目だ。商人っぽい。
「そう、もちろん知ってるだろ?試合の前にOBや芸能人、アイドルとかがやるアレだよ」
二軍はあまりやらないが、一軍の試合は前後や合間にもファンを楽しませるためのイベントが多数ある。始球式もその一つだ。
今回舞い込んで来たのは、野々香への始球式の依頼である。
もちろん2軍とはいえ現役の選手にこんな話が来ることはまずない。そもそも始球式で投じるのは1球だけ、大半の場合は素人なので、打者も振ってあげるだけだ。
ボールがノーバウンドでキャッチャーに届くだけでも賞賛されるようなイベントに、現役の投手を敢えて呼ぶメリットといえば。
「今回、横浜のネイチャーズから打診があってね。もちろん、単なるアイドルみたいな1球を投げろと言うわけじゃない。真剣勝負だよ」
稀にだが、1打席真剣勝負型の始球式が行われる事もある。
引退後わずかしかたっていない、まだ衰えていない選手や、人気のOB選手同士の対決など、芸能人やアイドルが投げる和やかなイベントとはまた違った、ガチ対決で場を盛り上げるのだ。
野々香はその一員として、ネイチャーズから依頼があったらしい。
「あそこはネットに強い母体もあって、行動や判断が早い。SNS等で話題になっている『史上初の女性選手』って所に目を付けたみたいでね。何と、開幕戦だ。セリーグ屈指の大砲、本瀬狩路さんとの1打席勝負をご希望だそうだ」
何でも、本来の企画はもっと早く球団OBで決まっていたのだが、急遽体調を崩して穴が開いてしまったらしい。
1打席勝負の体は崩したくないので、ニュースになってちゃんと勝負が出来そうな選手……と言う所で新しい物を好むオーナーから、野々香に焦点があたった。
本瀬狩路。右投左打、32歳。2年前に3割30本100打点を達成し本塁打王と打点王の2冠に輝いた、現状セリーグ最強打者の1人である。
そこに二軍ですっかり話題の女性投手、姫宮野々香が挑む……と言うのがシナリオか。
なるほど確かに盛り上がりそうな内容だ。
「凄く嬉しいですし楽しそうですけど……うーん……」
ところが、意外にも野々香は困惑顔で首をひねる。
珍しい、と盛留は思った。正直、二つ返事で「できらぁ!」とか言って来るに違いないと彼は思っていたのだ。
当てが外れたが、と言って広報的に蹴るのはあまりにもったいない話である。ニャンキースは財政が苦しいのだ、顔を売れるチャンスがあれば売りたい。
「あ、スケジュール面の懸念かな?確かにこのまま行くと3/28は3回目の先発登板日だね。そこは大丈夫だ、4/4の金曜は試合がないので、どの道ローテがずれる。だから3/29の土曜日の先発に回って貰うのはどうかと監督と話しているんだ」
野々香の登板日はとにかく観客が集まることが見込まれる。確実に普段より多くなる。
開幕を任せる事で一つ目の話題をさらった野々香であるが、出来れば続いては土日の登板にして、集客のあてにしたいと言う狙いもあった。暑くならない限りほぼ毎試合デーゲームである二軍戦は、特に土日の集客力が段違いなのだ。
「あ、スケジュールとかじゃなくて……あたしも確かに、何でもどんとこいでやってきましたけど、そこまでキモが据わってないと言うか……ねぇ?」
キモがすわらない?今更何言ってだこいつ?君のキモ上座であぐらかいてんじゃん。重鎮のそれじゃん。登場シーンで無駄に窓の方見てて声かけられてから回転イスぐるって回ってくるヒゲのおっさんのそれじゃん。
盛留は内心で失礼なツッコミを入れつつ、
「い、一体何がそんなに嫌なんだ?」と聞いてみた。
この際直接理由を聞いてしまわないと引き下がれない。
「だ、だって……その」
過去に見た事がないような恥ずかしそうな顔で野々香は言いよどむ。
こういう顔を赤らめる仕草とかを見ると普通に美少女度が高いんだよな。と、盛留も少しドキッとした。
が。
「女子の始球式ってノーパンでやらないといけないんでしょう!?」
「女子の始球式ってノーパンでやらないといけなくないですよ!?」
「じゃあ安心してください履いてますよ。ってやるやつですか!?」
「それでもねぇよ!やってたけど!」
「登場名は"トニカクカワイイ野々村"とかに……?」
「ねぇそこまで立て続けに乗っかるとほんとにやらすよ?おじさん喜んじゃうよ?いいの?」
時々……いや割と毎回、狙ったように「ノーバン始球式」って見出しの記事が出るのはわざとだそうです。ノーバウンドの略です。
ノーパンじゃなくていいならやります、と野々香はこの後快諾した。
3/28、開幕戦、破魔スタジアム。
2軍戦は既に開幕しているが、1軍は1月ほどのオープン戦を経てこの日からペナントレースが開始される。嫌が応にも盛り上がる、満員必至の開幕カード。そういえば、2年前には観客席にいた場所だ。
……その日から1年、学駆と野々香はとんでもない場所に飛んでったりしたものだが。
その開幕カードのベンチ裏に、姫宮野々香は降り立った。
今日は選手ロッカールームではなく、別の控え室をあてがわれて。
フリフリキラキラのアイドル衣装で。
「……なんか思てたんと違う!!」
白を基調として、そこにネイチャーズのチームカラーのブルーを散りばめたユニフォーム風のトップス。結構攻めた丈の白いミニスカートに、腕の部分のシースルーが映える可愛い衣装だった。
これだと選手と言うよりチアか、まるで本当にノーバン始球式とかニュースに出される時のアイドルみたいだ。
あと「着てから言うなよ」と言うツッコミはこの世界では禁止されているので夜露死苦。
「真剣勝負ならユニじゃないの!?」
実際ユニフォームで投げる方向が基本線ではあったらしい。
ところがどっこい、ノーパンがどうのと言う悪ノリを盛留の前で見せたのがいけなかった。
それを見て盛留も「何かアイドル系の衣装普通に着せたらそのままやりそう」と言う結論に至ったのだ。ある種の意趣返しと多分に含まれたオッサンの趣味である。
「でも、とても可愛いですよ、姫宮さん。正直、予想してたより遥かに綺麗な子でびっくりしてます」
とは、わざわざ今回のために依頼したスタイリストさん。控え室で付き添いで来た女性スタッフの須手場雀と、スタイリストさん、2人の女性が小さく拍手をしている。
雀は野々香の着替えの手伝いが決定してから、なんだかんだ女手が必要な際のお付き役として色々寄り添ってくれている、キリッとした視線が印象的な女性だ。パンツスタイルのスーツで立ち振る舞いも良く、カッコいいキャリア感を演出している。
その雀とスタイリストの手によって彩られた野々香は、普段は肩まで伸ばしているだけの金の髪にサイドテールのアクセントを入れ、メイクもあくまで選手として邪魔にならない程度のファンデやリップをさっと。アイライン等は汗で流れたりすると投球の邪魔なのでしていない。
「アイメイク要らずと言うか。野々香さん目元ぱっちりで綺麗な目してるので」
スタイリストさんの評価がやたらと高い。童顔気味なので目がぱっちりなのは自覚しているけど、そんなに褒めないで欲しい。
「あぁ、それはいにしえの賢者様にもおぬしは綺麗な瞳をしておるって褒められたことが」
「いにしえの賢者誰」
照れ隠しのつもりでうっかり言ってはいけない思い出語りをする野々香だが、普段から謎のジョークっぽい発言が多いので、雀は特に気にしなかった。
冷静に考えると投球時は帽子はかぶるのにサイドテールもあんまり意味がないのでは。見えないやん。と野々香は思う。
「見せてから帽子かぶればいいじゃないですかー」
「もちろん真剣勝負ではありますけど、まずは野々香ちゃん可愛いー!みたいになってからのが盛り上がると思うんですよ!アイドルばりに綺麗な子がいきなり160km投げたら皆びっくりでしょ」
「きつねのダンスに対抗していきましょうよ!」
女性陣でキャッキャやるの自体は新鮮で楽しいが、雀とスタイリストさんで謎の盛り上がりを見せられても野々香はこそばゆい。
褒めてもらえるのは嬉しいけれども、慣れていないのだ。
「きつねのダンスって何だっけ……たぬきのドレイしか見た事ないよ……」
「むしろたぬきのドレイって何ですか……?」
きつねのダンスが異世界にぶっ飛んでた間にバズった何からしいことはうっすら記憶している。
が、野々香にとっては異世界で起きた物事の方が記憶に新しい。そしてまた余計な思い出をこぼした。
とりあえずダンス自体はわからないまでも、トレンドをかっさらって行こうぜ!と言う意味らしいのは伝わるが、この方向は予想していなかった。
していなかったが……もうここまで来たら腹をくくるしかない。
盛留の思惑通り、野々香はこうした場面で後に引く精神は持ち合わせていなかった。
「じゃあ行ってきます。骨は空に撒いてください」
「拾うだけじゃダメなんだ……」
「大丈夫ですよ野々香さん、これでファン倍増間違いなしです」
普段は男まみれの中、珍しく女性陣に声援とグッドサインを貰って、フリフリキラキラの野々香がスタジアムに出動した。




