第17話 「鋼鉄の女」
「本当に申し訳ありませんでした!」
病院から戻った楠見玲児に対して、野々香は開口一番頭を下げた。
練習試合が済めば今日のメニューは終了であったが、楠見が病院からいったんここへ戻ると聞き、野々香はグラウンドでそれを待っていた。
幸い、楠見の怪我は軽い打撲だった。数日で治るそうだが、それでもその数日は大事な調整期間だ。それを奪ってしまったことは反省しなければならない。
「いい、いい。気にするなよ。半分は自分で狙ってやったことなんだから」
楠見はそれを笑って受け止める。
元よりコントロールを乱すと思って粘り腰を見せたのは彼の立派な戦略だ。結果的に乱れたボールが体に当たったのは想定外であるが、それをいちいち気にしていたらキリがない。
とは言え、いきなりのことでケジメは付けたい、楠見ときちんと言葉を交わしたい、と言うのが野々香の考えだった。
「それでもあたし自身の力不足で、ご迷惑をおかけしたことですから。お詫びさせてください。あたしにでき」
「ん?今なんでもするって言ったよね?」
「まだ言ってないですけど!?」
「まずウチさぁ、靭帯あるんだけど」
「それは誰にでもありますよ!?」
実際それっぽい事を言いそうになった野々香に先手を打って、楠見は言葉を遮った。
「はは、言いそうにはなってただろ。お詫びに何かしますみたいなのはやめてくれよ?姫宮さんに何かしたら学駆に殺されちまう」
楠見も野々香プロ入りに際して、学駆から色々な頼みを受けている。
学駆の知人でフォロー役を買ってくれそうなのはこの男しかいない。教えられることは教えてあげてほしい。問題が起きた時や体調、精神的におかしそうな時は自分の成績に影響しない範囲で助けてあげて欲しい、と頭を下げられた。
今回の一件は、その教える事の一環だ。
ついでに、うっかり野々香に手を出したらお前のとこに謎の竜巻が発生するぞとか言われた。
どういう冗談なのかよくわからん。と楠見は思ったが、学駆は実際にそれが出来てしまうので実はシャレにならない。
「ただ単に謝りに来たなら叱るつもりだったけど、どうやら試合の中で吹っ切ったみたいだからね。たとえプロ入りのレールがほぼ敷かれている状態だからって……いや、だからこそ今やるべきことがたくさんある。それが伝わってくれたならいいんだ」
そう言って穏やかな笑みを浮かべると、楠見は右手を差し出した。
「これからよろしく。一緒にニャンキースを上位にして、ドラフトで一軍へ行こう」
「はい、よろしくお願いします!」
「……で、ぶつけたのか」
「ぶつけました」
「ん?お前今なんでもするって」
「何も言ってないんだけど!?」
学駆と野々香の定例報告会だが、当然話は死球の件に及ぶ。
友人の紹介でやって来たその彼女に怪我させられました、とは楠見もなかなかにハードラックとギリギリダンスる男だ。
「そういう事は当然ある。……ともっともらしいこと言いたい所だけど、大きな怪我がなくてほんと良かったわー。俺もお前も楠見もいたたまれなくなるところだ」
誰が悪いと言う事もないが、これで楠見のドラフト入りの夢が詰んだりしたら気まずい。追放ものよろしく勝手に気のいい親父と思い込んだ武器屋に嫌味を言われた時くらい気まずい。ノリで入った親しくない相手とのカラオケ1曲目の押し付け合いくらい気まずい。気まずくて沈黙のマミムメモだ。
楠見は走攻守揃ったいい選手であるが、外野手としては打力に乏しく、今季は最低でも2桁本塁打を目標にしている。
そのために、何よりも欠場は避けたいところだろう。
「……学駆、一つ答えにくいこと聞いてもいい?」
普段の通話とは違う空気を察して、学駆も少し姿勢を正す。野々香が前置きをして確認を取るとは珍しい。すぐに質問に入らないということは、何か大きめな悩みであるということだ。
「楠見さんの怪我、回復魔法で治したらダメかな」
野々香は異世界勇者としてあらゆる魔法を習得していて、それらは基本こちらの世界に来ていても使える。"祝福"効果が発動しないため、若干効果は落ちるかもしれないが、攻撃、回復魔法も使う事が可能だ。
RPGや転生モノに良く見る完全回復だの再生だのと言った効果はない。魔王討伐の旅においては回復力の物足りなさを嘆いた事もあったが、打撲や骨折くらいのものは治せるはずなのだ。
野球においては怪我からの復帰を大幅に早めるようなことは魔法で可能となる。
が、しかし。
「質問を返して悪いけど、お前自身がそれをいいと、思っているのか?」
「思ってない」
野々香は即座に断言した。
「じゃあ、それでいいだろう」
超常の力を手にした者が、現代社会で"普通に"生きて行くというのもこれまた難しいものだ。
困ったからとホイホイ魔法で解決などしていたら、いつか不自然さが出てくるだろう。
そう言った事の実感のなかった野々香たちは、帰還後それを考えぬまま異世界にこちらの物を運んで売り払ったり、それで得た金塊をこちらで売り払ったりしたのだが、いきなりやりすぎてしまい、得た金額を見てかえって血の気が引いた。
父の昌勇が「お、俺の生涯所得が……に、23の娘に抜かれ……」と言って真っ白に燃え尽きていたのが記憶に新しい。
この時、事情が伝わっている姫宮家、大泉家、それに仲間のシーナとアリサで話し合いを行い、「非常時以外の魔法不使用」を約束した。例えば住む所も行く所もなかったシーナは「非常時」と判断して新生活へ投資などはしたが、それ以外の余剰金は慎重に扱っている。
魔法で何でもかんでも自由に出来るとなれば憧れもしていたものだが、いざ現代社会にいて一般人として生活するとなるとやりにくいものだ。情報伝達においては魔法なんかを遥かに凌駕するこの世界では、特異な存在と認知されれば住みづらくなる。
よって、魔法を使えば即座に治る楠見の怪我も、治すことはこの二人の間での道義に反するのだ。
「まぁ、若干心が痛むのはわかるし、命に関わる事だったら考えちまうけどさ。そこは気にするなよ」
野々香は質問がしたかったと言うよりは確認がしたかったのだろう。
魔法の線引きに明確なルールがあるわけではなく、あくまで自分たちで決めている「縛り」なのだ。
ただし、その縛りは普通の人として生きて行く上で必要なことだと思っている。
「例えばこれから先自分が怪我した時にホイホイ治っても、おかしいだろ。お前だって、既に注目浴びまくってんだから」
「それは……そうだね」
「160キロ投げるわ怪我はしねぇわしたと思ったらすぐ治るわ、なんて完璧人間っぷりを見せたら鋼鉄の女とか不死鳥の女とかカレーライスの女とかの異名が付いちまう」
「……鋼鉄なれなくもないぞ。絶対二度とやんないけど」
鋼鉄化魔法と言うものが習得した中にあったのだが、使い道が思いつかないまま1度だけ勢いで使ったら身動きが取れなくなって巨大なカエルモンスターに時間めいっぱいペロペロされた。鋼鉄化が解ける寸前に学駆ら仲間の助けが入り、なめられた痕跡すらも鉄と一緒に消えて行ったので肉体はノーダメなのだが、女の子としての精神ダメージが65535くらいあったので二度と使っていない。
「あれは俺も見ていて新しい扉を開きそうになっ」
「なるんじゃない忘れろ。絶対忘れろ今から忘れろ記憶を鯨に食われろ忘却の空へたどり着け」
「消えぬ星に変わるまで覚えていようと思います」
「って言うか見てたんなら助けるタイミングあったよね?魔法解けるまでけっこー間があったけど?」
「あっ……」
「さてはずっと見てたな学駆さんよ?」
「いやそこはホラ、狙ってやったわけじゃなくて偶然のタイミングというかズレた間の悪さというか良き所でバラを投げて今だ!とか言う流れというか」
「狙って待ってる人のスタイルじゃねーか!!」
「……危険がないとわかったら……異世界でしか見られない奇跡だったんだ……スーパーウルトラハイパーミラクルだったんだ……」
どうするこれ。処す?処す?と野々香の脳内で会議が行われたが、実害がなかった過去の出来事に対して野々香は今実際に人を怪我させたので何も言いづらい。ギリギリ恨み帳に記録だけして地獄へ流すのだけは勘弁してやろう。
くそう、乙女の体もてあそびやがって。べこべこべこべこ。
せめてもの意思表示として、今飲んでた缶ジュース(スチール缶)を思い切り握り潰す様だけを画面に映るように見せてやった。
つよい(確信)




