第16話 「バックホーム」
監督判断によるライト野々香の交代は、見送られた。つまり、まだチャンスを貰えたのだ。
気持ちを切り替えた野々香は、まずはライトの守備をこなすことに集中した。マウンドへ簡単に戻れるわけはない。それでも、今チームが勝つために出来ることをする。
3回裏、9番助守、1番有人の連打で無死1・2塁のチャンスを作ると、送りバントで2・3塁。
再び4番、大諭樹に回ると、ここは紅チームバッテリーの判断で歩かされた。
「大諭くんのおかげで、目が覚めたよ」
「姉さんすんません、俺、何でもかんでも姉さんに押し付けて、きっと負担をかけちまった」
助守と有人は打席の前にそう言うと、震えや空回りはピタリと止み、しっかり仕事をしてくれた。
仲良し三馬鹿を全員塁上に置いた5番野々香は、全ての塁を見回し、心強いな、と改めて感じながら。
堀投手の146kmストレートを、無駄な力の抜けた綺麗なスイングでセンター前へ。二者が生還し4-4の同点となった。
先輩たち、紅軍も黙ってはいない。4回、5回に1点ずつ取って6-4と突き放すと、6回裏から継投へ。
試合は7回裏にさらに動く。助守の四球から今度は日暮有人のタイムリー二塁打で1点を返す。
助守は捕手にしては小柄だが、珍しく小技の効く左打者で足もかなり速い。クッションがもたついたわけでもないフェンス直撃で、快速を飛ばしてホームへ帰って来た。
そして大諭樹が同点タイムリー二塁打で6-6の同点とすると、迎えた野々香の4打席目。
中継ぎの長身投手、三古頼雄の投じた角度ある直球を引っ張り込むと、凄まじく速い打球がレフト線を鋭く破り、一気にフェンスへ。
ついに新人、白組が7-6と逆転に成功した。
「これで4点!取り返したよ!」
いつもの調子を取り戻して誇らしげにVサインして見せる野々香。
本日の成績は、1回4失点、4打数3安打1本塁打4打点だ。
えっ、この子もしかして打って4点取り返す気だったの……?と、周りは若干引いてるくらいだったが、チーム自体はノリノリ状態だ。
しかし迎えた9回。
先輩の意地を見せる紅組は、1番、遊撃手の来須塁守のタイムリーツーベースであっと言う間に7-7の同点に追いつくと、送りバントで1死3塁。逆に、1打勝越しの場面を作られてしまう。
チーム全体の勝ちたいと言う意思は、くじけてはいない。
しかし、弱小チームとされてもプロとの対戦経験を積んだ先輩たちはやはり手強く、最後の山場が訪れた。表の攻撃で同点、1死3塁。3塁走者を絶対に返したくないが、満塁策などを取るのも面白くない状況だ。
3番セカンドの羽緒烈功がバッターボックスに入る。昨年ホームランも打っているパワーのある打者で、外野まで飛ばすだけなら充分に危険な相手と言える。
「何とかここを抑えて、裏でサヨナラに繋げよう!」
気持ちはすっかり立て直した助守が、いったんマウンドに集まったナインに声をかける。
「なぁ、俺は今日、何としても勝ちてェよ」
ふいに、サードの日暮有人が呟いた。普段荒っぽいところのあるこの男だが、表情はいつになく真剣だ。
「姉さんが、大変な思いして、それでも勝つんっだっつってここまで持ち込んだ試合だ。これで結局負けましたなんて、俺たち誰も納得しねェだろ?それに姉さんに、姫宮野々香のプロの一歩に傷を付けちまう気がするんだ。だからよ」
そこで一息つくと、有人はさらに語気を強くして言った。
「9回裏、俺からの攻撃は俺がぜってぇ何とかする!意地でも3塁ランナー返さないようにしようぜ!」
『おう!!』
全員の意思が決まると、マウンドに出来た輪はまるで円陣のようになり、自然と全員が叫んだ。
そして運命の一打は……
カンッ!
タイミングを外しやや軽い音を立てた打球はライト、野々香のもとへ。
決して良い当たりではないファールゾーンへのボールは、それでも風のいたずらかフラフラとやや深い位置まで伸びてしまった。
ライト野々香は一瞬、迷う。この当たりは、捕れる。捕れるが、予想より深い。
非常にレアなケースだが、最終回で、勝ち越し犠牲フライが確実になる状況であればボールは捕球せず落とす方がいいかもしれない。取ればアウトの代わりにほぼ確実に1点を取られるが、落としてファールになれば、アウトが取れずともひとまず失点はしない。
だがこれも経験の少ない野々香には瞬時の判断が難しい。
むやみに滞空時間の長いイージーなファールフライが、余計に野々香を悩ませる。ボールが落ちてくるまでの間がとてつもなく長く感じる。
どうする、捕るか。捕って勝越し点を奪われたら。見逃すか。捕るか。どうする……
「かまわねぇ!捕れッ!!そんで、投げろ!!」
不意に、聞こえたのは近くまで走り寄って来ていたファースト、樹の声だった。
「姉さんなら刺せるッ!」
サードから、有人の目いっぱいの大声も聴こえる。
心強い味方たちは、野々香の迷いを瞬時に見抜いたのだろう。どちらが正解かは、わからない。それでも、敢えて叫んだ。つまり、迷うなと言うことだ。
迷いが消えた。自然と体が動いた。
体勢を整えながら、捕球する。
「あたし達は……勝ぁぁぁぁぁぁぁつっ!!!」
瞬時にホームベース上の助守に照準を合わせ、野々香は今日一番の全力でボールを投じた。
タッチアップした三塁走者もいいスタートで、ホームベースに迫る。
「絶対にっ……止める!!」
あれだけ無様な投球を晒した野々香の、マウンドより遥か遠くから投じたボールは、レーザービームと言うべき美しい軌道を描き、真っすぐ助守のミット目がけて飛び込んだ。
タッチをかいくぐろうとする走者の左手に、助守のミットが素早く回り込む。
「アウトー!!」
審判のコールとともに、白組メンバーの雄叫びと、大歓声が巻き起こる。
プロを経験してきた先輩たちの紅組に対し、新人たちの白組が大健闘。
これで、裏の攻撃を残し、白組の負けはなくなった。
するとその裏、1番・日暮有人からの攻撃。有言実行と言わんばかりにポテンヒットを気迫の走塁で二塁打にし、さらに三盗。ゴロ間に本塁突入と無謀とも思える勢いで快足を飛ばしホームイン。
「姉さぁぁぁぁぁん!!おめェらぁぁぁぁぁ!!やったぞぉぉぉぉぉ!!」
サヨナラのホームイン直後に大声で勝ちどきをあげる有人を、ナインは乱暴に出迎え、まるでシーズンの実戦であるかのようにサヨナラ劇のパフォーマンスがなされたのだった。
「まぁ、あのね。細かいこと言うと結構ダメですけどね?」
サヨナラ劇のあと、試合総括一言目に監督はそんな発言をして新人チームに渋い顔をさせた。
「今回は何も言わなかったけどもチーム方針を決めるのは監督で、あの1死三塁でのファールフライは見逃せって指示を出す事もあると思うし。かまわねぇ、捕れとか選手側で指示出したり。一軍でやったら怒られるどころじゃすまないからね。それに、日暮有人くんの最後のサヨナラ、あれもほとんど暴走だったよね。結果オーライだけど、サヨナラのチャンスに暴走してアウトとかなったらこれも目も当てられないからね。今後、指示に従うことと状況の確認は徹底するように」
サヨナラの勢いとテンションもどこへやら、一気に反省会ムードになってしまい白組メンバーは引きつった笑みを浮かべるしかない。
そしてセオリー無視、指示無視の可能性など示唆されては反論の余地もない。
楽しかったけど、お説教かぁ。そんな雰囲気に野々香も覚悟を決めたところだったが。
「……けど。皆さんの勝ちたいって気持ち。それは言って出来る事ではないし、いざという時に勝敗を決める要素になるのは間違いないです。それを感じられて、結果を出したことには僕は満足しています。白組新人チーム、勝利おめでとう」
そうして笑顔を浮かべる小林図監督に、新人たちは再び歓喜の表情を交わし合った。




