第15話 「そんなもん後にしろ」
キャンプ開始時の雰囲気はどこへやら、ベンチは重い空気が漂っている。
元より野々香を中心に回り始めた新人チームは、その中心の失敗により見事に瓦解した。盛り上がるつもりでやって来た観客も戸惑いを隠せず、球場全体が異様なムードになっている。
「姉さんがへっこんだままじゃいけねェ、俺が打って何とかしねぇと」
1回裏。そうして意気込む1番、日暮有人は見事に気持ちを空回りさせ三球三振した。
助守は未だに下を向いてごめん……僕が……と野々香に何かを呟いているが、おそらく野々香にはそれも聞こえていない。
やってしまったか。小林監督、尾間コーチらも複雑な胸中でベンチを見守っている。
これほどショックを受けるとは思っていなかった。プロでは稀にある事だが、心根は間違いなく優しい子だ。人に怪我をさせるような経験はおそらくなかったのだろうし、とてもじゃないが普通ではいられない。
……交代かな。新人チームには投手候補はまだたくさんいる。
酷なようだが、試合にならないようならひとまず今日は下げて、メンタルケアに努めよう。
そう思い監督は新人側ベンチに向かう。
どんっ!
それを遮るかのように、大きな音を立て大げさに野々香の横に座り込んだのは、大諭樹だった。
樹は監督の方へ少し待って欲しいとばかりに目を向けると。
「なぁ、初めてか。こういうのは」
急な問いに、野々香は黙ってうなずく。
「だろうな」、と樹は納得した顔でそれだけ言うと、少し息を吐いた。
異世界に行って色々な事はあった。命すら危うい場面で傷つけ合ったり、自分や仲間の死がちらつくような場面も、常人では経験し得ない苦しい経験もした。
しかし、自身の手で味方を傷つけるようなことは初めてだ。
まして恩人とも呼べる人に、単なる自身の実力不足でケガを負わせた。
それが重く、重くのしかかる。
「で、どうするつもりだよ」
どうするつもりと言っても、楠見はもう退いた。姿が見えないところを見ると、既に病院にでも行っている所だろう。
「どうするって言っても、謝りに行って、それで……」
「は?違ぇよ」
呟くように声を出す野々香に、しかし樹は厳しい口調だ。
「姫宮、一応確認するぞ。お姫様扱いは嫌だって、言ってたよな?女だからなんて関係ねぇ、結果で上がって行くって」
先ほどのような明るさはなく、静かにうなずくだけの野々香だが、その肯定を確認すると樹はさらに顔を近づけた。
「で、どうするつもりだよ?」
同じ質問だ。質問の意味がわからない。
望んだ答えを返せていないということか。少し抗議めいた視線を横目に向けると、そこで1回裏の攻撃が終わった。
「話の途中すまんが、攻守交代の時間だ」
何やら話している状況を察して待ってくれていた監督だが、イニングが終われば気を遣ってもいられない。
「君たちも守備について……あと、姫宮くん」
そして、彼は野々香をベンチに下げるために来たのだ。
「監督。交代なら、あと少しだけ待ってもらえませんか?」
交代させられるのを察してか、樹が監督の言葉に割って入る。樹は、野々香にもう1度チャンスを与えたいらしい。
「だが、マウンドにはこれ以上立たせられんよ。試合状況的にも、彼女のためにもだ」
「それならこいつをライトに置いてくれませんか。マウンドにはもう上げなくていいし、次の回でも腑抜けているようなら、下げてもらってもいい」
気持ちを立て直す事が急務だと感じている監督としては悩ましい所だ。これ以上今やらせてトラウマにでもなったら困るし、と言ってそのまま試合から取り除いて立て直せるとも限らない。
ならばわずかなりとも一緒にやって来た者だからこそ感じたこともあるのだろう。こういう時、同年代の励ましの方が効果的だったりするかもしれない。
「うーん、どうしてもと言うなら、任せるけど……大諭君はどうするつもりなんだい?」
先ほど続けた質問と同じ内容を、今度は監督が樹に向けて言う。
「どうしたらいいか、俺が教えます」
樹はそうきっぱりと言い放った。
2回表、マウンドを譲りライトのポジションについた野々香に、外野席から色々な声がかかった。
気にするな、切り替えていけ、次は抑えられる、等々の励ましの声だが、しかし野々香は曖昧な笑みで手を振るだけだ。
起きた事実と先ほどの樹の態度に色々な自問自答を繰り返し、プレーに集中出来てもいない。
幸い、この回はライトにボールが飛ぶことはなく終了した。
集中力を欠いたまま、野々香はベンチに戻る。
そして2回裏、先頭は4番の大諭樹だ。野々香は5番。ネクストで準備をすることになる。
ベンチでバットとヘルメットの準備を終えると、打席に向かう前、野々香にそっと呟いた。
「この試合、勝つぞ」
それだけ言うと、鬼気迫ると言った表情で樹は打席に向かった。ここまで険しい顔をした彼を見た事はあっただろうか。
そうして樹の表情を見守る野々香の目の前で、堀投手の初球が放たれると。
カン!!
見たことがないほど美しい、と感じてしまう弾道を残し、打球はセンター遥か後方へ。
さらに打球は伸びて、伸びて、バックスクリーンに直撃した。
「っしゃああああああ!!!」
険しい表情は喜びに変わる、ことはなく険しいままだったが、これもまた聞いたこともないほどの雄叫びを上げると、速足でダイヤモンドを周りホームイン。
これで4ー1となった。
すっかり意気消沈と言ったベンチも、これには元気を取り戻し、立ち上がり樹を出迎えようとする。
その手前、ネクストで最初にハイタッチを交わそうとした野々香の前で、樹は立ち止まった。
そしてハイタッチと言うよりは乱暴に手をはたくと、叫んだ。
「姫宮野々香!」
目の前にいる野々香だけでなく、ベンチや観客も注目してしまうほど声を張り上げ、樹は野々香の名前を呼んだ。
「何をへこんでやがる。練習だからか?チームメイトだからか?反省してんのか?ダメだな、そんなもん後にしろ。どうしたらいいか、教えてやる」
そこで一息つくと、樹は野々香ごしにベンチ側にも目を向けた。
「俺たちは、野球やってんだ。野球のプロだ。今は試合をしてんだ。どうしたらいいかなんて、答えは一つだろう」
さらにもう一息、大きく吸って、さらに強く、声を張り上げる。
「……勝つぞ!」
きっぱり言ってのけると、樹は野々香の返事を聞かずにそのままベンチへ去った。
ベンチにいるメンバーたちともハイタッチを交わしつつ、何事もなかったようにそのままベンチに座る。
野々香は、その一言で、胸のつかえが綺麗に取れて行く。
なんと言う男だ。
先に言えばいいだけなのに、言葉でも伝わるようなことなのに、敢えて結果を残してから言った。そしてそれを言うために、最大限の結果を出して見せた。
これがプロの器と言うものか。命のやり取りのない平和な世界で、それでも戦う男の覚悟か。
異世界で苦境を乗り越え、現代社会では出来ないような経験をして、一般人には持ち得ない肉体と精神を手に入れたつもりでいた。
それでもまだまだ、甘い。自分だってまだまだ未熟なのだ。
ひとつのつまずきに後悔など、している場合じゃない。
勝つ。
それならば、野々香のやるべきことはとても簡単であった。
カァン!
かわいた音とともに、打球は樹と同じく美しい弾道を描き、バックスクリーンへ。
二者連続で叩きこまれたバックスクリーン弾によって、野々香も同じく大物の片鱗を見せつけた。
「っしゃああああああ!!!」
こちらもまた初めてと言えるほどの感情を爆発させると、腕を天に突き上げながらのホームイン。ベンチメンバーの元へ向かうと、そこにはすっかり気迫と笑顔を取り戻したメンバーが待っていた。
テンションのまま少し乱暴なハイタッチを済ませると、最後に樹の元へ。
「それでいい」
「まだだよ、あと2点、あるからね」
すれ違いざま、右手と右手で交わしたタッチは、復活の合図とばかりに大きな音を立てた。
小林監督は思う。やはり、今年の新人は元気だ。この2人は特にいい。
姫宮野々香は言うまでもないが、大諭樹もだ。欲しい時にホームランが打てる選手、この時代、一軍の野球だって早々お目にかかれるものではない。間違いなく稀有な才能だ。
この男もどうして、ドラフトにもかからず新参チームに来る事になったのやら。
「嬉しい誤算かな」「それが、2人もおりますな」と小林監督と尾間コーチは呟いた。
そして、ある程度の方針も固まった。
姫宮野々香、この子には1年で「野球」を覚えさせよう。男子であれば本来勝手に身についているはずのことを、まだ知らないような子なのだ。
能力と技術の底上げなぞ、必要な事を教えたら後は勝手に習得して行くことだろう。




