第14話 「簡単にのし上がれると思って貰っては困る」
「楠見さん!」
ウォームアップをしつつ、レギュラーメンバーの中で野々香が最初に声をかけたのが楠見玲児だった。
「お久しぶりです、あたしを推薦してくれてありがとうございます!」
ストレッチの姿勢は崩さないまま、緩やかな笑顔で「いやいや」と応じる楠見は少し垂れ気味な目と朗らかな笑みを崩さない、優しい印象のある男だ。
「むしろほっといたら埋もれた才能を発掘したんだ。姫宮さんが騒がれるたびに鼻が高いよ」
学駆の高校時代のチームメイトで、野々香のプロへの第一歩、プレーの判定と入団テストへの斡旋をして、尾間コーチを呼び出してくれたのが彼なのだが、その際に会って以降顔を合わせずじまいだった。
野々香がまずレギュラー陣と会って最初にしたかったのが、この男への挨拶と礼だ。
楠見玲児。外野手、右投右打。昨季成績は主にレフトのレギュラーとして出場し、打率.251、本塁打6本、打点49。
足も速く守備も安定していて、頭も良い。あらゆるプレーを器用にこなす優等生タイプだ。
しかし、2軍で器用さを示してもそれは器用貧乏のように映ってしまう。どの部門でも大きなインパクトを残せなかったため1軍球団からの声はかからなかった。
「見えてる?このギャラリーの数。2千人はいるだろう?去年なんか、本番の試合で最高そんなもんだったんだぜ」
楠見は周囲を見回し苦笑しながら言う。
「ほぼほぼ君1人の話題性だよ。まぁそりゃ、見てみたくもなるよね、女の子がプロ野球に混じってるなんて」
野々香も楠見にならってストレッチ運動をしながら、周囲を見渡す。にゃんキースタジアムの観客席は、大観衆とまでは言わないものの、ただのキャンプの見学とは思えない数の人でにぎわっていた。
「よほどの問題がない限り、君はおそらく今年のドラフトにかかるだろう。一応僕は先輩だけれども、その時、追い抜かれないように頑張るよ」
総合能力であれば、断然楠見の方が上だろう。しかし野々香にはあらゆる面でのスター性がある。
男に混じって普通に出来る女子、というレベルの判定が下されれば、少なくとも人気低迷の球団から声はかかると楠見は見ていた。
「ありがたいですけど、そういう女子の割には~みたいな形でのプロ入りはしたくないので。ほら、かっこ悪いじゃないですかなんか"やきゅサーの姫"みたいで」
「やきゅサーの姫語呂悪いな。けど、言わんとするところはわかる」
もっとも、お姫様扱いは既に避けられない状態ではある。
楠見も既に二人きりで会話をしているだけでも周囲から視線が刺さっている気がして少し居心地が悪い。客席の強火そうなファンや、これまで一緒にいた新人組や、大諭樹がなんか隙あらばこっちを見ている気がする。
「どうせなら女子じゃなくても声かかっただろ、ってくらいの優秀な選手になれるように頑張りますので、色々教えて下さい!」
「あぁ、よろしくね。もちろんライバルにもなり得るから、手は抜かないぞ!」
握手を交わすと、野々香は新人組の方へ戻って行った。
「おい姫宮」
「なんだい樹くん」
「色々教えてって何をだ」
「?? 野球をでしょ……?」
何故か戻った野々香はじっと見ていた樹に変な絡み方をされた。
なに会話聞いとんねん。
野々香は思った。
キャンプで行われるのは地味な練習の連続だ。
ランニングやキャッチボール、打撃練習やノック、投内連係などなど。数日は基礎的な訓練に費やした。
基礎練習はまず3日間行われたが、野々香は投手でも打撃でも守備でも参加して行くため、ものすごく忙しい。しかし野々香はそれらを平然とこなしている。
どこにそんな体力が?と周囲は不思議そうな顔をしているが、これも祝福の効果と異世界生活の賜物だ。
祝福は基礎能力の向上のほかに、疲労軽減効果ももたらしてくれる。何よりずっと魔物のいる山で野営したり、そのまま何日も戦ったり、向こうの生活はヘタなスポーツ選手よりタフな生活だった。
しんどくないのか聞かれて「夕方には終わって温かいご飯食べられるだけありがたいじゃないですか?」と返事したら、その年でブラック企業にでもいたの?とますます怪訝な顔をされた。
そして休みを挟み翌日、今度は実戦形式の練習が組み込まれていた。
再び行われる紅白戦は、パッとしないチームで稀にやる新人対レギュラーの下剋上戦だ。
「新人チーム対既存レギュラーチームで実戦をして、色々見て行こうと思います。優秀と認められればどんどん入れ替えを検討していきますからね。知っての通り、うちはまだ弱小。胸を借りるだの貸すだのなんて気持ちではなく、新人はポジションぶんどるつもりで、レギュラーの皆さんは譲らないつもりでね」
新人チームは先発、5番ピッチャー姫宮野々香。4番ファースト大諭樹に続き、打者としても大事なクリーンアップを任される。
レギュラーチーム先発は昨年チーム最多勝、防御率3.06の堀信雅が選ばれた。
もっとも、最多勝と言っても5勝5敗なのだが。チームが25勝しかしてないのだからどうしようもない。
新人、白組は有利な後攻となり、今回も野々香がいきなりマウンドに上がることになった。
「助守さん、大丈夫ですか?」
「い、いやぁさすがにいきなりレギュラーメンバーと試合はき、緊張る」
マウンドでまずは軽く方針の話し合いだが、スタメン捕手の助守はまだ緊張がほぐれない様子だ。いつも通りプレーすると言うのも難しいだろうが、微妙に震えてるのは止めないとまずい。
月並みだがまずは1つアウトを取って、気持ちを落ち着けたいところだ。
野々香はまだストレート以外にはスライダーとカットボールくらいしか投げられていない。それもまだ音堂からは握りが甘い、フォームが崩れるなどと色々言われている。
音堂仕事してたんだ。と周りは若干思っていたが、していた。
さほど投球の幅が広くない野々香は、まだ力押し中心になるだろう。
「リード通り投げますよ。打たせて取っていきましょ。助守さんのリードの良さは保証しますから」
なるべくポジティブな気持ちで、と笑顔の野々香に、助守も深呼吸すると、少しだけ落ち着いた様子だった。
1番、セカンドの左打者、羽緒烈功に対してストレート中心で攻めると、3球目を打ち損じてくれてサードゴロとなった。
サードの有人が落ち着いて捌くと、ファースト樹に送球して1アウト。
「ワンナウトー!次も打たせていきまーす!」
お決まりのように振り返り腕を上げて叫ぶ野々香に、再び球場から大きな歓声が上がる。
そして2番はレフト、楠見玲児だ。右打席に立つと、助守にも聞こえる声で呟いた。
「姫宮さん、彼女は天才だ。間違いなく一軍で活躍することだろうね。ただ」
足もあり状況に適応出来る楠見。頭も良い。そして頭の良い彼は、
「だからこそ、簡単にのし上がれると思って貰っては困る」
既に充分に野々香との対戦を想定して試合に臨んでいた。
高目は見送り。外の球はカット。変化球はこれも見送り。
楠見は野々香がまだインコースを投げ切れるほどコントロールに自信がないことに気付いていた。
嫌らしくわかったように踏み込んで当てる、見送る、当てる。
粘りに粘ってこの打席の投球数は10球に達してしまう。1アウトを取って落ち着くはずが、早くも誤算だ。
こうなると投げる球がない。まっすぐで押し切れるだけ押し切るか、それとも四球を覚悟で変化球やインコースを投げるか。
いや、こちらは挑戦者だ。試せるものは試して行こう。
そう、判断してインコースに構える助守だが、これが誤算だった。
「あっ!」
思わず野々香は投げた直後に叫んだ。
完全にすっぽ抜けとなったボールは、それでも高い威力をもって楠見の顔面付近へ迫っていく。
ゴッ!
かろうじて顔面への直撃を防いだ楠見だが、その左腕に野々香の放ったボールが直撃した。
「デッドボール!」
コールと同時にトレーナーが駆けつける。いきなりの大事故だ、周囲は騒然とし、逆に助守と野々香は呆然と立ち尽くす。
……やってしまった。欲が出た。助守の震えは止まるどころか強くなっていく。
ベンチから数人が出て来て状況の確認をすると、楠見はベンチに下がって行く。ほどなくして、楠見への代走が告げられた。
野々香は初顔合わせにして、世話になった大切な先輩を負傷退場させてしまった。
そして、こうなるとインコースを突くだけの勇気がバッテリーにはない。
ほとんど外寄りの真っすぐを投げざるを得なくなった野々香は、不運な当たりも絡み6連続出塁、5連続安打を許してしまう。
気持ちの問題かキレを失った速球は面白いように前に飛ばされた。
リードに任せようにも、助守ももはやまともな思考が出来ない。
何をしているのかもわからないまま初回、打者一巡。
姫宮野々香、4失点。
1回表終了、紅4-0白。
早くもスコアボードには、無惨な数字が刻まれていた。




