第97話 「歩き出した」
祝勝会は、さすがの優勝のテンションか、急場とは思えない盛り上がりで幕を閉じた。
そんな幕の裏側で起きていた野々香と樹の大騒ぎは、そのまま帰路についても引き続き行われる。
自販機で買ったお茶を片手に、のんびり帰る夜の道。
送ってやれ、という口実で二人きりにする仲間たちのやり方はベタベタだったが、そんな中、有人だけが何かを察したように樹の背中をトン、と叩いたのが印象的だった。
この休みの間に、有人や助守とも話して、感謝を告げよう。樹はそう思いながら、野々香と共に帰り道を歩く。
「あたしは元からヤンチャで、中学までは女の子と遊ぶより、男子に混じって野球やってるようなタイプでさ。恋愛より遊び!体を動かすの楽しい!って感じで」
まぁ、そりゃあそうだろうな。と樹は思った。
いくらなんでも、あれだけの実力の下地がいきなり生えてくるはずがない。
……おそらく、恋愛に疎い下地も。
「けど、高校に入って、女子は甲子園に出られないっていう、キツい事実を知って。女子は……ソフトボール部があるにはあったけどね。あたしは観るのもやるのも、男子の野球で育ってしまったから」
そんな時に、ふとしたはずみで出会ったのが、野球部の大泉学駆だった。
「もう、最初っから大喧嘩でして。あたしは混ざりてぇの一点張りで、あいつは無理だ帰れの一点張り」
野々香が大好きな野球に対して、引導を渡されたのは、他でもない学駆だった。
諦めない野々香を、当時野球部の有望株でアイドル的な存在の学駆が、完膚なきまでに叩きのめしたのだ。
「けど、だからこそ、学駆とは最初からずっと、本音で話せる関係でさ」
そこからは、割とありふれたラブコメ展開だと野々香は思う。
ことあるごとに喧嘩しているうちに、悩みを分かち合い、本音をぶつけ合い、いつの間にか大切な存在になっていた。
そんな、ありがちなストーリー。
「それで結局、横にいるのが当たり前の、景色みたいな存在になっちゃったわけですよ」
野々香は自身の見た目が良いという自覚はないが、頑張ったという自信はある。
野球部で注目を浴びる学駆に並び立つ女子として、恥ずかしくないようにと。
たとえ学駆はそんなことを気にせずに並び立ってくれるのがわかっていても、そうしたくなるものなのだ。
「だから、あたしの恋愛感情みたいなのはね、そこでストップしちゃったのかも」
野々香の恋愛観は、もうその時点で学駆が相手であることが前提になってしまった。
自身を磨いた全ての努力は、学駆のためにしたことで、他の男から魅力的に映るものだという自覚、映りたいという意識がなかったのだ。
「単に恋愛って面なら、樹くんはすごく魅力的な人だと思うけど。あたし、こんな性格だから、樹くんみたいに目標のある人は、長く付き合えばジャマにもなると思うし……」
学駆の方はといえば、高校の時点では「こんなおもしれー女好きになるのは俺だけだっつーの!」の精神にかまけていた自分を反省し、次第に綺麗になる野々香に対して恥じぬ努力をしていたものだが、それは実は間違っていなかった。
「学駆は、そんなあたしの居場所でいてくれる。やりたいようにやれって、自分の全部をかけて支えてくれた。それが自分のやりたいことだって言ってくれたんだ。だから、野球を始めても、あたしの帰る場所は決まってたの」
野々香自身が、自分を好きになるのは学駆くらいだと、ずっと思い込んでいた……、いや、信じていたのだ。
そしてそれこそが、樹の気持ちに対しての鈍感さを加速させていた。
「……ただ、どっかの誰かさんはね。好きとか何とか、そういう気持ちや行動を見せてくれることが本当に少ないもので。いやもう、本当に、ほんとうに、ほんっとうに」
べこべこぼこぼこ。
しゅぽーん。
若干恨みが募って、野々香の手に力がこもる。飲み終えたお茶のペットボトルが無惨に小さくなり、耐えられなくなったキャップが吹き飛んだ。
「そんなわけで樹くんみたいな立派な男性から、直にこう……告白されるみたいな経験がなくてですね。ここはプロの世界だし、樹くんもみんなも平等にプロとしてやれるように配慮してくれてるんだと思ってたので。予想外の言葉に、さっきはめっちゃフリーズしちゃいました、ごめん。あー恥ずかし」
……少しの、沈黙。
その間で、今になって照れた自分自身が恥ずかしくなり、野々香はまた顔を赤らめている。
「卑怯だろ、それはよ……」
「ごめん。そうだよね」
「ああ、いや、悪い。そうじゃない」
断られたのに、否定されたのに。
樹の心には、不思議と幸福感がもたらされていた。
野々香の照れた顔を見て。
「だってあたし、それだとめっちゃ悪女ムーブしてたじゃん?」
「それはそうだぞ」
「うわっ!ハッキリ言われると申し訳ない!」
「別にそれを卑怯って言ったわけじゃねえよ。……まぁ正直、お前じゃなければ俺の気持ちくらい気付いてたぞ、とは言いたいが」
あと一歩踏み込めばさすがに気付くだろう、と言う場面でことごとく気を遣った、悪く言えば日和見をしたのは樹の方だ。
だから、そこに今更どうこう言うつもりは、樹にはない。
……それに、野々香の言う、夢を見ている者同士では支えにも限界が来る、というのは。
他でもない樹自身が、この一年、そして今、実感してしまったことだから。
「単に、断った理由を話す顔がやたら可愛いもんで、ずりぃな、ってよ」
「うわっ!うーわ!何それ何それ、やめてくださいよ今になってさらっと殺し文句吐くの。昔のあたしなら五人くらい落ちてるよ。ハーレム主人公かよ。五等分して平行世界線で縁結びしてきなよ」
「怖すぎるだろその展開」
「ほらよく主人公も恋人候補も良い子ばっかだと、読者が主人公分裂しろ!って言うじゃん」
「じゃあ俺はお前に分裂してもらわないといけないんだが」
「あたしはほら、ひとりの力を二人に分けたら攻撃も守りもスピードも全部二分の一になっちゃうから」
「それでちょうどいいくらいだろ」
「反論しづらい!」
やんわり行っても全く気付かないくせに、直接攻撃には弱い野々香。誰かさんがほぼ直接攻撃をしないせい、ということらしい。
新鮮な反応を見て、樹は若干楽しくなり始めている。
断られた途端、急に今まで言えなかったような歯の浮く言葉がどんどん出てくるのも不思議なもんだな。と、照れる野々香を少しばかりいじめながら、樹は思った。
それはきっと、どうしようもないくらい割り切れてしまったから。
姫宮野々香を理解した上で、樹にとって納得のいく理由を聞けてしまったからだ。
……いま、俺たちは、野球やってて。野球のプロだからな。
それに、気まずい沈黙が流れないのも、救われている。
樹自身も、不思議と自然体でいられることに驚いてはいるが、何より野々香が態度を変えず、軽口を言い合えていること。
そこに、樹は満足感を得ていた。
やりきったな、と。
……もうすぐ、野々香のマンションに辿り着く。
そうすれば、これで、終わりだ。
樹のひとつの恋の終わり。
「……それじゃ、これでお別れ、だ」
一息つくと、不意にそんな言葉が出てきた。
けじめはつけた。
野球も、恋愛も、樹はどちらもやり切ったのだ。後悔はない。
「……いや、あと一ヶ月くらい日本選手権とかフェニックスリーグとか出ると思うし」
「そういう話じゃなくてだな」
「あと、あたしオフのトレーニングとか全然知らないんで、自主トレとかも出来ればみんなに一緒にやってもらえたら、とか。学駆は忙しいだろうし他にツテもないし」
「今それ言うか!?いいけどよ!」
出来ることの枠が一般よりは広いくせに、知らないこと出来ないことは平気で人の力を頼る。
それが、野々香の勇者としての強さでもある。
空気が読めていないことがあるのは、困りものだが。
「言いたいことは言った。決着もついた。来年は、ライバルとして、か。まぁ、同じ野球仲間だ。同じチームになる可能性は低いと思うが、よろしくな」
マンションの入り口まで着いた。
これで、勝手に遂行していたナイトの役目も、ほぼ終わりだ。
樹は最後は軽い挨拶で済ませると、振り返り、寮へ帰ろうと歩き出す。
「樹くん」
野々香は、入口手前まで歩みを進め、くるっと振り返る。
樹も、足を止めて振り返った。もう一度だけ、野々香が樹の方へ向かう。
何を言っても、救いにも言い訳にもならないとは、思った。
しかし、それでも野々香は、言わずにいられなかった。
「野球の世界で、あたしを一番支えてくれたのは、樹くんだよ」
右手を振り上げる。
「……ずっと守ってくれて、ありがとう」
その表情は。
……きっと学駆とかいう奴でも、見たことのない顔だ。
どうだ、まいったか。
樹はそんなことを勝手に思いながら。
「その言葉で十分だよ。ありがとう……またな」
樹も再び野々香の元へ戻ると、右手を上げた。
パン!
と気持ちの良い音のするハイタッチを交わすと、二人は笑い合う。
大諭樹は向き直り、今度こそ、歩き出した。
姫宮野々香も、歩き出した。




