第96話 「わかっては、いた」
10月。
月初の数日は何の予定もない。この日を利用して、ニャンキースは祝勝会を開催した。
祝勝会といっても、一軍のようにメディアやマスコミを絡めてパーティー会場でビールかけをして、などということはない。
というか、本来ならそんなことが出来るとすら思っていなかった。
なので、低予算・急造のささやかな祝いの会だ。
小さなイベントスペースを借りて、関係者一同で乾杯をして、飲み食いして騒ぐ。
それと、二軍最多本塁打の樹や、言うまでもなくあらゆるものが女性史上初の記録である野々香は、簡易的な表彰式も行われた。
小さい規模ながらもマスコミがやって来て、そういう姿を撮影、記事にも上げるそうだ。
ニャンキースは選手の入れ替わりも激しい。
実質的な打ち上げ、お別れ会場ともなり得るこの場所では、喜びだけでなく別れの寂しさを告げるシーンも数多く見受けられた。
……そして。
「それで、話って?」
ある程度盛り上がるタイミングも終わり、徐々に人もいなくなり、静かになり出したころ。
マスコミにも見られていない、会場の人間も気付かない会場裏の控室にて。
樹は野々香を呼び出し、二人きりで向かい合っていた。
とはいえ野々香も樹もやはりマークは厳しい。
なので下世話な記者が入り込めない裏手側を用意し、邪魔が入らないようにお膳立てしたのは、ひとえに雀、有人、助守の根回しによるものだ。
三人には感謝してもしきれない。
多少からかわれようとも、終わったらちゃんと報告に行こう。
樹はそう、心の中で伝えて、息を整える。
「ひ」
……だめだ、心臓が高鳴る。
言葉を出そうにも息が詰まる。
「どしたの、言いにくいこと?いや、そりゃこんな状況だからそうなんだろうけどさ」
「あぁ……えーと、そういや、か、体は大丈夫なのか?」
「ん、最後の登板のこと?あれくらい全然平気だよ」
また一声分、先延ばしにしてしまった。
樹が緊張に緊張を重ねて息をするのにも苦労しているところに、野々香はあくまで自然体だ。
いや、言いにくいことを言われる理解はあっても、全然察せてはいない。
わかってはいる。そもそも察せるような相手ならここまで引きずっていないのだから。
だけど、もう一歩。それが踏み出せない。
そんな時に。
「あはは、もーしっかりしてよお。こっちも怖くなるじゃん。今更言いにくいことがあるような間柄じゃないって、あたしは思ってるからね」
察せていてもいなくても、踏み出す一歩を与えてくれるのが、この姫宮野々香だということも、樹は思い出した。
そんな間柄じゃないと、微笑んでくれたその一言が、嬉しかった。
だから。
心臓の高鳴りは止まらないが、声は堰を切ったように、滑り出していく。
「姫宮野々香。俺は、お前のことが好きだ」
樹自身でも驚くほど、急に声が出た。
「今まで、俺自身もプロとしてやってくため、お前にも迷惑かけないためにって、言えずにいた。けど、その覚悟もようやく実を結んだ。優勝だ。俺たちは、優勝した」
一息ですら詰まっていた喉が、勝手に言葉を紡ぎ出す。
「俺がここまでやれたのは、お前のためで、お前のおかげだ。最初に目を覚まさせてくれたことも、チームで一緒にやってくれたことも、俺が勝手にお前を守ろうとしてたって、気付いてくれたことも、全部、すげぇ嬉しかった。毎日、充実してた」
野々香のほうを向いてはいる樹だが、身長差がある。頭ひとつ低く、少しうつむき気味の野々香の表情が、まくし立てる樹には実は良く見えない。
今、どんな顔をしているのだろう。
「やることは全部やった。そんで、これからうまくいって、一軍に上がれば。俺たちはきっと別のチームだ。いや、お前が指名されないなんて有り得ねぇ。これできっと、お別れだ。だからっ」
いや、どんな顔でも、それはもうどうでもいい。冷たくあしらわれても、丁重にお断りされても、これは必要な儀式なのだから。
前に進むための決別なのだから。
「最後に伝えたかった。えっと、良い返事が貰えねぇことは、わかってる。けど、これは必要なけじめなんだ。だから、すまねぇ。返事だけ聞かせてくれ」
そうして、一気にまくし立てると、樹はもう一度、大きく息を吸い込んだ。
「俺は、お前のことが好きだ!」
そこで、息切れ。
いや、よくやった。よく言った。
気持ちだけに任せて長々と言い切ったが、変なことは言ってなかったと樹も思う。
言ってくれたではないか。今更そんな間柄ではない、と。
少しくらいおかしなことを言っていても、樹が不器用で、これが精いっぱいだということは理解してくれていたはずだ。
そう、だから、きっと姫宮野々香は。
いつも通りあっけらかんとした表情と態度で、笑ってごめんなさいを……
「……姫宮?」
返事がない。
意外なことに、野々香は何も言ってこない。
……しっかりしてくれよ、こっちも怖くなるじゃねえか。
まさしく先ほど野々香に言われたことを、樹はそのまま思った。
まさか、予想以上に不快感や不気味さを感じさせてしまった、などとは……
「ええええええええええっ!?」
突如。
高鳴る樹の心臓をさらに膨らませてブチ破ろうかというほどの音量で、姫宮野々香は大きな叫び声をあげた。
不安のあまり姿勢が低くなった樹と、大声を上げて顔が上がった野々香の視線が不意に合わさる。
野々香は、口を大きく開け、真っ赤な顔をして硬直していた。
なんだこれは。なんだこの表情は。
怒り、怒りか。さすがに怒られる間柄ではないと、そう、今、話していたはずだ。
あるいは、驚きか。いや、驚きはそりゃあするだろう。
だがしかし、それにしてもこれは驚きすぎだ。一体何があったというのか。
「ひ、姫宮……あの、なんかすまん。何がどうしたってんだ」
片方が熱くなると片方は冷静になるの法則にのっとり、樹は不思議と落ち着いてきた。
しかしながら、何か話して欲しい。一刻も早く声をあげた理由を聞かないと樹の方も破裂しそうだ。
そう、思いながら待つ樹の方も、口を思いきり開いたままのおかしな顔で固まっている。
「や、あの」
お互いおかしな顔のまま、やっと野々香の方が言葉を発した。
「あまりにですね、あの、びっくりしまして。その、猛烈に照れております……はい……」
「はぁぁ?」
その言葉は、左手で顔を覆いながら、右手を樹の方にふらふらと差し出しながら、やっと放たれた。
「なんで!?」
「なんでって、なんだよ!照れたらいかんのか!?」
「いかんでしょ!?」
お互いに一声叫んで、肩で息をする。
すっかりおかしな空間が出来あがっていた。
まるで魔王幹部たちとの戦いのような疲労感だ。
「だってよ、お前元から彼氏いるって話だろ!」
「誰から聞いたの!?まさか大諭軍の間者が天井裏に、も、銛を持てい」
「何回か観戦来てたじゃねえか、大体初めて球場来た時点で察したわ、あいつ家族といやがったし」
「銛とさすまたどっちがいい?」
「武器の話はもういいんだよ!」
「最後には武器の強度がものを言うって四天王のドバーシーさんが」
「誰だよ!」
だんだん脱線する野々香。
こうなっている時はテンパっている時だ。さすがに樹もそれが理解できる程度には付き合いがある。
つまり、ちゃんとした相手がいて、もう将来も決まっているような状況だというのに、本当に告白に照れているのだ。この女は。
「いや、俺だってよ。こりゃ、わかっててケジメで言いたかっただけで。困らせる気もねぇし、さっとフラれて元気にプロで会おうぜ、で終わるつもりだったんだよ。一応、理由聞いていいか……?」
「えぇと……うん。シンプルに全くそんなことを言われると思っていなかったので、照れております、はい」
「……それくらい、眼中になかったか」
「違うよ!」
今の樹の言葉は失言だ。樹も、言って、即座に野々香に否定されてから気付いた。
眼中にもないような相手からの告白で、照れるはずがないのに。
「けど、ごめん。眼中にないなんて失礼なことは、絶対に言わないけど……」
そうして目を伏せる野々香は未だに顔が赤い。
照れに加えて切なさとか、申し訳なさとかが入り交じった、そんな表情。
いや、わかっていた。答えを聞く前に、ほんの少しのサプライズがあっただけだ。
わかっては、いた。
「あたしには、大泉学駆という大切な人がいるので、樹くんの気持ちには応えられません。ごめんなさい」
そう、何度も自分に言い聞かせながら。
樹は、頭を下げる野々香の言葉を、受け止めた。




