第93話 「あたしにしか出来ないこと」
一番ケントの打球は無情にも、抑え投手三古の顔面を直撃。
有人がこぼれたボールのカバーに入るも送球する余裕はなく、結果は内野安打となった。
監督がベンチを飛び出すと、同時に後方から担架が運ばれてきた。
三古は一応意識はあるようだったが、頬は真っ赤に腫れあがり、わずかにうめき声をあげるだけ。
「これは、すぐ病院だ」
意識はあっても、顔面にボールが直撃して無事なはずがない。
いや、たとえ無事だとしても、大きく脳が揺らされる。すぐに検査をしないと、どこにどんな影響があるか全くわからないのだ。
三古は迷わず担架に乗せられ、そのまま心配そうなトレーナー、音堂コーチと共にグラウンドを去って行った。
一時の盛り上がりはどこへやら、しーんと静まり返った球場。
それもそのはず、ニャンキースはこの最終戦、後先を考えない継投でここまで繋いできた。
その最後の投手が、1アウトも取れずに負傷退場してしまったのだ。
つまり、ベンチに残りの投手は……いない。
静まり返った後で、周囲が今度は少しずつざわつき始める。
三古は心配ながらも結果待ちとして、試合はどうなる。せっかくここまで来たのに……というような会話が、あちこちで起こっていた。
そう、交代できる投手が、ベンチにはいない。
ベンチには。
「投げます」
さも当然、という表情で立候補したのは、言うまでもない。
姫宮野々香だ。
一昨日先発で9回完投をしたばかり、もうニャンキースでマウンドに立つことはないだろうと思われていた、野々香が手をあげた。
現在ライトのポジションにいる野々香は、ルール上投手としてマウンドに上がれる。
代わりに誰かにライトを任せればいいだけだ。
現状、投手ができるのが野々香しかいない以上、選択肢はこれしかない。
あるいは、投手をやったこともない選手を登板させ、実質棄権試合のような形で、サヨナラ負けを喫するか、だ。
「し、しかし、そんな無茶はさせられんよ」
マウンド付近に野々香がやって来るのを合図にナインが集まってくる。
とっさに首を振るのは小林監督だ。
それも仕方がない、ここまできちんとスケジュールを守って疲労や調整に気を配って来たのに、最後の最後に、中1日での登板をさせるなど。
唯一にして大切な女性選手を抱える監督としては、素直にうなずくわけにもいかない。
「ハッキリ言う。今となっては君のドラフト指名はほぼ確実だ。これまでの成績で、声は絶対にかかると思う。だから、今優先させるべきは、ここで無理をして優勝を目指すより、無事にシーズンを終えることだ」
監督の言い分は間違いなく正論だ。
それに、試合はあと3試合ある。今この試合を敗北しても、即座に優勝を逃すわけではない。
今日負けてなお優勝の確率は高いのだ。最悪、最終戦であれば野々香が中4日の猶予を持って投げることもできる。
「だから、無理をせずに、この試合は負け覚悟で他の者を投げさせても……」
「無理なんかじゃないです、やりたいんです」
「だがね、これ以上君の負担を……」
「"負担"じゃないですよ、監督。これは、"居場所"だよ」
しかし、監督の言葉を、野々香は遮った。
「あたし達はプロで、野球をしていて、勝たなきゃいけなくて。そんで、あたしが投げるしかない。他の誰でもない、あたしにしか出来ないことがある。それって、すごく、幸せなことだと思うんだ。あたしに、居場所があるってことなんだ」
よく言えば、時代はどんどん優しくなっている。
人ひとりに無理を強いて、潰してしまわないよう。負担を分け合って、なるべく怪我をせぬよう、体を壊さぬよう。それは野球界でも、どこでもそうだ。
しかし、それは逆に言えば、代わりがいるということだ。「誰かにしか出来ないこと」がなくなり、皆で負担も、結果も分かち合う。
「勇者」がいなくなるということだ。
そうなりつつある世界で。今、野々香にしか出来ないことがある。
だから、異世界から帰った今も、姫宮野々香はなれるのだ。
「勇者」に、なれるのだ。
「ニャンキースのみんなにも、とてもお世話になりました。だから、あたしの指名が確実になってるならなおさら」
それを、勇者・姫宮野々香は、負担だなどとは思わない。
「それはきっとニャンキースみんなのおかげで、あたしがあるってことだから」
それは、何よりも嬉しいことなのだ。今、自分にしか感じられない幸福なのだ。
「だから、あたしはその幸せを感じるために、みんなに伝えるために、投げたい」
まっすぐな目で堂々と言ったその決意は、誰よりも強固で、迷いのないもので。
……器が、違うな。
小林監督は、ここに来て改めて、そう思った。
「やらせてやってくださいよ、監督。こいつはこうなったら止まんないっすから」
「まだ姫宮さんの球を受けられるなら、僕も受けたいです」
「それによぉ、逆にここで抑えりゃ姉さん、胴上げ投手だろ?そっちのが熱ィんじゃねえか?」
樹、助守、有人の三人も、まっすぐに背中を押す。
いつの間にか、音堂投手コーチも、マウンドにやって来ていた。
「がはは!ここに来て、随分とワシ好みの答えを出すじゃねぇか、姫宮」
背後から荒っぽい声とともに、手をパチパチと鳴らして野々香を称える。
最初は女だからというだけで、あれだけ拒絶反応を示した音堂コーチが。
「そうだそうだ、こうなりゃお前しかいねぇ。やってきな。何かありゃ、責任はワシも取ったるからよ」
あのひねくれ者のコーチが、心からの笑顔で、野々香を認めたのだ。
「そりゃな、ワシらみてぇな昭和ジジイの考えは、若い奴にゃキツいと感じる時もあるんだろうよ。今はヘタなこと言やぁ老害呼ばわり。古い根性論を押し付けるな、そんなんばっかりよ。まぁそれも正しいとは思っとる。けどな」
そこで音堂は、厳しい時代に現役を生き抜いた者からの、最大最後のアドバイスを送る。
「根性論が古いっつっても、根性なしにゃ野球はやれねぇのよ」
そう言って、野々香の肩に手を置くと、音堂は頷いた。
「今、その根性をワシも認めた。お前さんは、まさしくプロ野球選手だ」
「ツンデレおじいちゃん……」
「誰がツンデレじゃい」
「いまめっちゃデレたじゃん」
「かっ、勘違いするんじゃないわい」
「ほらぁ」
思わず、笑みがこぼれる。
野々香も、当初は音堂とこんな気安い関係になるとは思わなかった。
それも、野々香自身が歩んだ、確かな結果だ。ちょっとした頑固爺さんの心変わりだけど、それが何だかとても心地よい。
「三古先輩、あと、引き受けますね」
少し心配な三古にも礼を尽くすべく、丁寧にマウンドへ上がる。
マウンドを踏みならしながらふと横目に見ると、陽代、法奈、椎菜、南の姿もあった。
4人とも総立ちで、いけ、がんばれ、といった言葉を投げかけてくれている。
良く見ると、法奈は手にスマホを構えてこっちに向けていた。
野々香は元々の視力に加えて異世界仕込みで目がいいので、遠目に何となくわかる。
学駆だ。どうやら授業の合間を縫って、学校からエールを送ってくれているらしい。
これで、異世界の仲間と、現代の仲間の全員が、揃った。
「やばいなぁ、これちょっと、あたし今日無敵ですよ。みんないるもん。鉄の野々香で無敵野々香ですよ」
いつも通り自己流の茶化しかたをしながら、過去一番、力の入った表情でうなずく。
監督も、もう何も言わない。
諦めたわけではない、いつの間にか、彼もすっきりした表情に変わっていた。
ベンチでは、チームメイトや、尾間コーチも立ち上がり声を上げている。
そうして、代わりに外野手のフックが走ってきて、ナインはそれぞれ守備につく。
監督が審判の元へ。ニャンキースのリーグ戦最後の、正真正銘最後のコールが響く。
「投手交代。ピッチャー、姫宮野々香!」
「はい、元気です!」




