第92話 「この笑顔のために」
一回表、有人からの攻撃は、ニャンキースのモチベーションの高さを象徴するかのようにスピーディーに得点した。
先頭の有人が綺麗なセンター返しのヒットで出塁すると、楠見の打席はゴロで進塁打に。
一死二塁から、風間は惜しい当たりのライトライナーに倒れ、二死二塁。
そこから樹がレフト線へ弾むツーベースで先制、さらに野々香がタイムリーで2点目。2-0。
いきなり試合を優勢に運ぶ展開に、満員となった球場はお祭り騒ぎとなる。
しかし、今日のニャンキースには一つだけ、悩み事があった。
先発がいない。今日は、短いイニングを投げる中継ぎ投手らで試合を繋いでいく、ブルペンデーと呼ばれる日なのだ。
長いペナントレースは、週一回ずつ6人がローテーションを組みながら投げていくのが理想であるが、そんな予定通りにはいかない。
終盤になれば、疲労や怪我、不調などでローテを守れなくなり、先発投手が6人も揃わないこともザラだ。まして、野々香が加入したとはいえ、元・最低勝率球団である。
ニャンキースは、少ない人員と野々香がきちんと週一の登板をこなすことで持たせていたが、ここに来て登板出来る先発がいなくなった。
一戦目は野々香、二戦目は堀。最も安定して登板していた二人を使い切り、三戦目は若い投手や中継ぎの回跨ぎで何とかする。
別に、ニャンキースの戦略ミスというわけではない。これは一軍のペナント終盤や、クライマックスシリーズ・日本シリーズなどでも普通にあり得る展開だ。
何より温存して先に負けたらもっと意味がない。二つを盤石に勝った時点でまずは成功なのだ。
残り一つはどんな形でも、勝てばいい。
……たとえ、投手陣がボロボロの乱打戦になったとしても。
3回までは抑えてきた投手陣が4回につかまる。
ケント、干良、シューゴーらに連打を浴び同点にされると、5回も2点ずつを取り合い、4-4。
試合展開が全く読めない荒れた展開に、観客の熱も上がっていく。
息詰まる投手戦も醍醐味ではあるが、基本的に球場の観戦客は点が入る方が盛り上がる。
最後の最後で多数詰めかけた客たちは、この方が楽しませられるかもしれない。
しかし、いつどこで同点逆転になるかわからない試合は、見ていて胃が痛くもある。
普段、高確率で3点以下に抑える野々香の登板試合は、チームを楽な気分で進行させているのだ。
「構わん、構わん。負けていなければ」
5回裏終了時点でのグラウンド整備の間に、小林監督が声を張った。
「いいよ、今日は総力戦だ。ここから1イニング1人ずつ繋いでいく」
「元より三戦目の投手が足りないのは予定通り。打線は気合入れて1点でも多く取るのですぞ」
「9回は三古、もしそれでも同点なら10回、タイブレークまで三古だ。気張れよ、おめぇら。姫宮におんぶにだっこでどうにかしてきたんだ、最後くれぇ、男どもの根性ってやつを見せてみろや」
監督、尾間、音堂がそれぞれに発破をかける。
いわゆる「総力戦」だ。
この試合にできる全てをつぎ込んで、後先考えずに勝ちに行く。
これはそういう試合なのだから。
相手は一軍のレギュラーメンバー。
本来の実力で言えば見劣りして当然の勝負だが、それでも今日だけは、マグレでも奇跡でも抑えろ、と。
6回表には鈴村のホームランが飛び出し5-4と勝ち越し、裏には再び回った上位打線に2点を奪われ逆転されるも、7回表には、助守が4号となる同点ホームランを左中間スタンドへぶち込んだ。
これまでの3本では慣れないためか慌てる姿の多い彼だったが、4本目を打った瞬間は静かに右腕を突き上げると、初めてゆっくりとダイヤモンドを一周。
噛みしめるようにホームベースをドン、と踏みつけると、仲間たちの手荒い祝福が待っていた。
6-6。
「助守くん、何か掴みましたな」
尾間コーチが嬉しそうに声をかけると、助守は野球少年そのものと言った純朴な笑みを浮かべて、言った。
「姫宮さんのおかげです。彼女が、僕にあと一度だけ挑戦する勇気をくれました」
その助守の打棒を見て影響されたか、有人も続く。
珍しく強く叩いた打球は、これまた三塁手ケントの処理が追いつかない速度で三塁線を鋭く破り、打球は低いバウンドでフェンスまで転がっていった。
さらに打球はファールグラウンド側、レフトが一番追いつきにくいところまで転がっていく。
有人は、快足を飛ばして二塁へと到達。
転がる打球を一瞬確認すると、迷わず二塁を蹴った。
さらに、フェンスに当たったボールが妙な跳ね方をし、追いついたレフトの足元をくぐって再びフェアゾーンへ。
有人は、三塁を……蹴った。
レフトから内野へボールは返って来たが、中継して送球しようとしたショートがホームを見て、悔しそうに肩を落とす。
有人は、わずかな隙に高速で塁上を駆け抜け、一気にホームまで到達してみせた。
日暮有人、ランニングホームラン。7-6。
「俺は、姉さんが見せてくれたあの怒りを忘れねェ。あれを見たら、二度と諦めましたなんて言えねェよ」
この大一番で珍しいランニングホームランを演出して見せた有人は、これまた客席へ高々と拳を突き上げ、呟きながらベンチへ戻った。
客席もこの展開には大きく湧いた。
いよいよ優勝への道筋が、実体を持って浮かび上がってくる。
その道筋も容易なものではなく、繋いで繋いでいく継投の中で、7回裏タッツはシューゴーのタイムリーで同点。7-7。
いくらニャンキースが意地を見せても、一軍の実力者たちはそれをきちんと打ち崩してくる。
8回には下位打線から始まる打順で助守がまたもヒットを打ったが、有人の打球を今度はケントがダイビングで好捕。脆い守備面でも、一軍選手の意地を見せた。
どちらに転んでもおかしくない最終決戦は、9回表ツーアウトまで進んでいく。
楠見、風間が凡退して、迎えるは4番・大諭樹。
「監督」
「……何が言いたいかは大体わかるけど、なんだね」
「狙っていいですか」
「当たり前だろう」
四番打者に求めるものは、打率か、ホームランか、それはチームごと様々な考えがあるだろう。
しかし、共通して最も必要とされるのは「ここぞの場面でこいつになら任せられる」と思えるかどうかだ。
それを思える打者に、樹は見事、成長した。
自信過剰なだけの道化だった数年前が嘘のようだ。
今は、驚くほど落ち着いている。そして、静かなのに、どこか自信に満ち溢れている。
過剰でない、積み重ねてきたことによる、確かな自信。
それがあれば。
狙いを定めていたのか?それすら、この打席の樹は覚えていなかった。
ただ、初球。
相手投手は、まるでそれすら演出されていたかのように、樹の少し長めの腕がばっちりと届く、低目の直球を投げてきた。
いち、にの、さん。
基本に立ち返ったタイミングで、それでもこれまでの経験を全て乗せ切ったような渾身のスイングは、ボールを真芯で、完璧に捉える。
助守、有人に続き、三人目。
もはや打球を目で追うこともなく、樹は右腕を天高く突き上げた。
グラウンドにいるほぼ全員が、もはや目で追うだけしかなくなる超弾道の打球は、レフトスタンドの客席すらもさらに飛び越え。
場外へと消えて行った。
大歓声があがる。
満足そうに樹はダイヤモンドを一周すると、ホームベースで出迎える笑顔の野々香とハイタッチをする。
「ナイスホームラン!!」
「おうよ!!」
樹は当然プロを目指しているし、その意識も高く、結果も出しているつもりだ。
だがしかし、今日、この瞬間だけ、樹はとても浮ついたことを思った。この瞬間くらい、まぁ許されるはずだ。そう、少しだけ自分を甘やかしながら。
……この笑顔のために、俺は野球をやっている。
大諭樹、二軍本塁打数新記録達成。
30号勝ち越しホームラン。8-7。
この日、姫宮野々香を支えてくれた三人の頼もしい仲間たちの本塁打によって、ニャンキースはついに優勝まであとスリーアウトを取るのみとなった。
……しかし。
野球の神というやつは、どれだけ勝ちの可能性を積み上げて行っても、最後のアウトを取らない限りは気まぐれだ。
盤石で送り出すのは、ニャンキース守護神・三古頼雄。
継投に継投を重ね、最後のアウトはこの男に託された。
球場のボルテージが上がる。
あと一回だぞ。優勝だ。この回きちんと守れよ。あとみっつ。抑えろよ。
ここまで来ると、球場はほぼ全てがニャンキースの味方だ。最低勝率のチームが起こす奇跡を目の当たりにすべく、口々に声援が送られた。
まるで、一軍プロの応援団を見ているかのような一体感。
その中で、タッツの先頭打者は、一番ケント・スレッド。
助守がサインを出し、三古が頷く。
第一球が投じられる。
ドンッ!
……野球の神というやつは、気まぐれだ。
一軍ですら高打率を誇る好打者、ケントが上手く捉えた綺麗なピッチャー返しの打球は。
何とか反射で捌こうとした三古のグラブを無情にもすり抜け。
彼の顔面、頬のあたりに直撃した。




