第91話 「このチームが好きです」
9月25日。
デーゲームでの早い開始時間に備えて、朝からチームは球場に集合した。
練習に向かう前、ロッカールームで全員が肩を並べる。
どこか緊張感の高まる空気は、自然と各々に伝播していた。
「今日、決めましょ」
小林監督の宣言。
言う必要もなく、全員がそれを決意していたことを、改めて共有する。
残りは4試合あるが、これを負ければ1ゲーム差でそれぞれ別の相手との3試合になる。
そうなると、油断は出来ない差だ。
何より……
「直接対決で決めた方がかっけェっすからね!」
リードオフマンの日暮有人が、拳を握りしめながら言った。
これも、言うまでもない。
ライバルチーム相手に勝って優勝。ペナントレースでも際立ってドラマチックに扱われる展開だ。
「それじゃあ、ここまで来た立役者に、ひとつ号令でもかけてもらおうかね。姫宮野々香くん」
「あ、あたし?」
「そりゃあそうだよ」
監督がそう言うと、選手たちが波を割るように避け、後方にいる野々香に注目が集まった。
試合前に、選手同士で高め合うために行う声出しの儀式。
事前に言われていたのだが、今日の声出しは野々香が担当だ。
ニャンキースがこれだけ強くなれたのは間違いなく野々香の影響。
選手個人としての能力だけでなく、誰より楽しく、真剣に取り組み、その姿勢は自然とチーム全体に浸透した。
気合が入るに決まっている。いいところを見せたいと思えるヒロインが肩を並べて一緒に戦っているのだから。
もし野々香がおらず、チームが鳴かず飛ばずであれば、来季の運営すら怪しくなるような状況だった。
だから、野々香がチームを変えたのだ。
そういう意図で、最後の声出しは野々香にやらせよう、と監督はずっと考えていた。
「えー……じゃあ月並みですけど、スポーツ漫画とかのセリフにあるやつで、あたしが好きな言葉を」
そう言って野々香は前置きすると、珍しく緊張した面持ちで言葉選びに苦心し、息を大きめに吸ってから、言った。
「野球に逆転ホームランはねぇ」
…………。
間。
「いや、あるだろ…………」
「あるね……何を言うつもりだったっけあたし……」
自覚できない程度には緊張があったのか、樹に冷静な指摘を受けて野々香は首を傾げる。
「えぇと、野球の名言……そうだ、憧れるのを……違う、えぇと、憧れより憧れ以上の夢を描いて……なんだっけ?」
「もういいそれっぽいこと言おうとすんな!お前そうなったら絶対出てこないから諦めろ!」
「なにおう?失礼な、諦めたらそこで終了なんだよ!?」
「今それっぽいこと出してくんじゃねえよ!」
しびれを切らして樹が制止をかけるが、野々香も反論した結果、ただわちゃわちゃとしただけになった。
「樹、姉さん、夫婦漫才はそこまでにしてもらえますかねェ」
「めっ、めおとじゃっ……!」
「そうだよ、あたしの女房は助守さんだぞ!」
「急に巻き込まないで姫宮さん!」
ここぞとばかりに茶化す有人に、顔を真っ赤にして反応する樹と、さらにズレて謎の三角関係を誕生させる野々香。
全くもって締まらない声出しとなって首脳陣は首をかしげていたが、選手たちは固さが取れて、笑顔になる者もいた。
弛緩するのとはまた違う、良い意味での緩さが場を温めていく。
そうして和やかになる空気の中、野々香は「うん」と頷くと、とびっきりの笑顔を見せて、言った。
「みんな……あたし、このチームが好きです」
気の利いたセリフは諦めろ、と樹に言われて肩の力が抜けた野々香は、シンプルな言葉で伝えることにした。
「もちろん目指すのは一軍、だけど。結果がどうなっても、あたしは一年ここで皆さんと野球をやれたことが、凄く嬉しい」
弱小球団に寄せ集めの選手、ぱっとしない戦力。
それでも、監督を中心に、野々香を旗印として、チームはしっかりと団結した。
「なので、あとちょっとだけ、みんなとの試合を楽しんで、噛みしめさせて下さいっ!」
そうして拳を上へ突き上げる。
「行くぞぉっ!」
『おうっ!!』
同時に全員の拳が上がると、それが合図となり、監督の歩みに従ってチームは歩き出した。
優勝への最後の道を、歩き出した。
野々香は今日は5番・ライトに入る。
1番有人、2番楠見、3番風間、4番樹、5番野々香の基本パターンだ。
6番以降は羽緒、来須、鈴村と続き、9番に助守。
ここぞという時に迷いなく出せるオーダーがあるというのは、強いチームの証拠とも言える。
昨年のニャンキースもスタメンはある程度固定されたが、人員不足感のあった消極的スタメンだ。
今年は、違う。一年戦い抜いて来た、自信のあるメンバーで、タッツの実質一軍と対戦する。
「あー、あたしの方が緊張してきた」
「ほんとねぇ、こんな気持ちは法奈のお遊戯会以来よねぇ、ほらあの五等分のこぶた」
「お姉ちゃんに続いてあたしまで掘り返すのやめて。あとなんか違う」
こちらは客席、家族陣営。
野々香に続き法奈の過去まで掘り返そうとする母に、緊張していた法奈の震えが止まった。
「そういえば、南くんは直に観戦するのは初めてでしたっけ」
「椎菜やみんなは来たことあるの?」
「はい。南くんが明華さんとこっちの学校で色々頑張ってた頃に時々……」
「あれっ!?椎菜、微妙にうちのこと刺してない!?」
「あはは、微妙に刺してますぅ」
「むぅ、あれはほんとに自覚なくって!皆に会えなかったのも練習したりで体ガタガタでぇ」
久々の観戦となった椎菜と南も、楽しそうに会話をしながら試合開始を待っている。
法奈は元々二人の存在するか不明な恋路に勝手にセメントを流し込んでいたので、気安い二人のやり取りには少し安心だ。
だが、しかし。
「椎菜ちゃんと南くん、結構お似合いじゃない?ラブソースウィートじゃない?」
「お母さん、茶化したらだめだからね?あたしも、そうして欲しいとは思ってるけど」
けど。
どこか、ほんの少しだけ、違和感。
そのわずかに感じたものを、言語化、整理するだけの自信は、法奈にはなかった。
試合前練習からメンバー発表にあたり、にわかに客席が賑わって行った。
いや、にわかどころではない。タッツ二軍の本拠地は収容人数5千人ほどであるが、これはほぼ埋まっている。満員だ。
それだけ、ニャンキースの快進撃と姫宮野々香の存在は、世間の興味を引き始めているのだ。
見れば、ちらほらと、野々香の写真付き応援グッズを片手に盛り上がっている者もいた。
販売されているものだけでなく、自作で応援ボードなどを作って掲げている者も。
「お姉ちゃん、本当に、人気なんだね」
「はい。野々香さんは凄いんですよ」
「ふふっ、何その彼女ヅラ」
何故か実の妹に対して誇らしげな椎菜に、法奈は思わず笑ってしまう。
そう言って周囲の空気に心地よさを感じていると、いよいよ主役がグラウンドに登場した。
「の・の・かぁーーッ!!」
『の・の・かぁーーッ!!』
グラウンドに出て軽く準備運動などしつつ、客席に手を振ったりお辞儀をしたりする野々香。
ドン!ドン!とリズミカルな太鼓の音とともに、客席が騒ぎ始める。
何故かまだ一軍にも上がっていない選手に、応援の形が半ば出来上がっていた。
っていうか、これ、父が前やってた。
「お父さんのやってたやつ浸透しちゃってんじゃん……」
父、昌勇が騒ぎに騒いだ初観戦の日を思い出す。
まさか、あの時のやつがそのまま応援パターンとして成立しているとは。
今日は観戦に来られなかった父だが、まるで周囲に父がいるかのようで心強い。
嘘だ、だいぶ恥ずかしい。
そんな盛り上がりに、野々香はひとまず応えてはいた。
だが、どことなく視線が落ち着かない。体を動かし、ストレッチなどをしつつも、客席をきょろきょろ見回している。
……あ、そうか。
これはきっと、自分たちを探しているんだ。
法奈は気付く。それが少し恥ずかしいけど、誇らしくて、嬉しくて。
「お姉ちゃーーん!!」
思わず叫ぶと、それを見た横の三人も反応する。
「野々香さーーん!」
「ののちゃーん!」
「野々香ー!」
野々香が、振り向いた。
少し気恥ずかしそうに、だけど、すぐにとても嬉しそうに微笑むと、客席に向かって大きく手を振った。
『がんばれーーっ!!』
きっちり揃った家族と仲間の声に、強く頷く。
ニャンキース対タッツ、最終カード、最終戦。
ニャンキースの優勝マジック、2。
勝てば優勝の大一番。
試合、開始!




