第88話 「あてにされてる?」
4回裏。野々香は、先頭の左打者、ケントに安打を許す。
先の連続エラーの件もあり気合が入っていた……のもあるが、助守はここで「敢えて打たせよう」と言う奇妙な提案をした。
2番・恵比寿にも右打者として上手い流し打ちでヒットを打たれ、無死一二塁。一見ピンチの様ではあるが。
「低めに……カットボール!」
カットボールなどと言っても、野々香のそれはゆうに150kmほどは出る。一見すれば速球のような勢いのものだ。
「敢えて」投じたその球は、音堂の教えもあり、安定して低めに決めることが出来るようになってきた。
3番・干良は、左打者。速球を捉えるため早いタイミングでバットを出してきたが、見事に術中。
わずかにカクン、と曲がり落ちる球を完全に引っかけた。
ショートの来須が警戒に捌くと、素早くセカンドへ送球、羽緒から樹に渡り、6-4-3。
狙って併殺を取る。リスキーで高度な戦術だが、野々香と助守のバッテリーは見事にこれを成功させた。
二死三塁として、4番の右の大砲シューゴーも、丁寧にカットとスライダーで、ボール球も織り交ぜながら翻弄していく。
器用なタイプでないホームランバッターなら、奇しくも1打席目に樹がやってしまった事と同じだ。
2ストライクと追い込み、最後は外へ逃げて行くスライダーを投じると、見事に追いかけて空振りをしてくれた。
背負うものが大きいほど、力が出る。球威も制球力も上がる。
そういった気質を、野々香は今日も見事に体現して見せている。
試合はそのままニャンキースペースで進行した。
植引も決して譲ってはいない。気迫の投球を続け、7回で降板するまで被安打はたったの1。樹のホームランによる1本のみだった。
しかし、それでも、そのたった1本。それを打った樹だけが、植引を気迫で上回ったのだ。
わずかな綻び、一球のミスに泣いた植引は、緊迫した投手戦を演出するも、援護なく降板。
野々香は、それでも経験の差かしぶとく食らいつくケント、シューゴーらに後半、計5安打を浴びる。
しかし、それら全て得点には結び付けず、要所を締める投球で抑え込んだ。
そして、3-0で迎えた9回裏。
「いよいよ、最後の投球……かぁ」
マウンドに上がった野々香に、助守が早速声をかけにくる。
「スケさん、浸りすぎですよぉー。あと5試合もあるんだから」
「それもそうか。でも、姫宮さんの球を受けるのは、きっと最後だ」
「最終戦とかまでもつれたら、あたし投げるよ?」
「そんな日が来られても、困っちゃうけどね」
「とにかく、あたしもちょっとは思ったけど、最後最後って言うの、今はナシにしよ!来年も受けてもらう可能性が、ないわけじゃないんだからね」
「……一軍で?」
「そう、一軍で!」
少し前の助守なら、ここで「ニャンキースで……?」などと呟いてしまったかもしれない。
しかし、感傷に浸っていても、ポジティブな気持ちは失われていないようだった。
助守は決して話し上手だったり、人を鼓舞する能力があるタイプではない。しかし、逆にそれが出来る野々香だからこそ、助守との会話は心地よかった。
そして、だからこそ、ただ便利な壁役で終わらせたくはない。
そう思うと野々香は「よしっ」と、気合を入れ直す。
バッテリー二人で笑顔をかわすと、助守は満足そうに自らのポジションへと戻って行った。
そうして野々香・助守バッテリーは、今度はマウンドからのボールによる対話へと移行する。
……あと、三人。一軍選手が多数入ったこの試合でも、野々香は堂々たるピッチングを見せつけた。
どうせなら、完封締めで。
「ストラーイク!バッターアウト!」
カットボールが唸ると、恵比寿のバットはわずかにボールの上をかすったのみ。ファールチップとなり、助守のミットに飛び込んだ。
「バッターアウト!」
高目高目で速球をチラつかせ、ここぞで投げ込んだ落差と速度のあるスライダーが、干良のバットにかすらせもしない。
そして、ツーアウト。最後の打席に入るのはシューゴー・マック。
油断すれば一発のある外国人打者に、野々香は敢えて真っ向勝負を挑む。
低目の真っ直ぐ、見送り。
高目のボール球、見送り。
もう一度高目、ファール。
低目に直球、手が出なかったのかもしれないが、バットは出ずボール。
そして、5球目。
「イ・ウィステリア……」
この魔法も、魔法になぞらえたボールも、随分と使い込んできたもんだね。
などと、思いながら。
「フラアァァーーーッシュ!!」
スッ……
ドオォォーン……!
何故だろうか、野々香のラストイニングに盛り上がっていた客席も、この最後の瞬間だけ。
不思議と、静まり返っていた。
誰しもが息を飲んで見守る、そんな状況で。
最大限の集中力で投げ込まれた、この試合最後の球は。
166kmという、再び日本最高タイのスピードガン記録と共に、助守のミットにおさまっていた。
「ストラーイク!バッターアウト!」
助守が、野々香が、同時に歓喜のガッツポーズを見せる。
「ゲームセット!!」
この瞬間、優勝へと大きく前進する大事な大事な一勝を、一軍の主戦力相手の5安打完封勝利という快挙にて。
二軍最多勝、及び最優秀防御率もほぼ手中に収める最高の投球で、自身12勝目を成し遂げたのだった。
抜群の投球で初戦をものにしたチームは、さらに士気を鼓舞することに成功する。
それこそが野々香を最初に登板させた首脳陣の狙いであり、今のチームの躍進を支えた原動力だ。
元より、あとは昨季よりローテを守る堀信雅くらいしか安定した先発はいない。二戦目は堀、三戦目は残った投手を全部つぎ込み、短いイニングのリレーで凌ぐしかない。
その堀も、一軍の強力打者陣に苦戦、イニングごとに失点を重ねてしまう。
が、タッツの方も二戦目には植引ほど格のある先発ではない。
野々香も今回は休養日なしで5番ライトで出場。
その甲斐あって隙のないニャンキース打線がじわじわと相手を攻略していき、3-3で7回まで試合は進んだ。
しかし8回裏、二死二三塁から、際どいライトフライを懸命にチャレンジした野々香がダイビングキャッチを失敗。
球場は割と勝敗に関して他人事なので、このプレーに「良く外国人の外野手がやるやつ」だと笑いが起こったが、チームとしては痛すぎる2点が入り、3-5。
迎えた9回表、5番野々香からの下位打線。ホームランを打っても、1点ではどうしようもない。
「ちゃんと野球をする……今までの集大成を……今ここで、一軍を超える……!」
前日の快投で勢いを付けるも、自身のまずい守備で負け濃厚にしてしまった野々香。
惜しいプレーとも言えるが、はっきり言って野々香以外の俊敏な外野手なら取れた当たりだった。
……それでも、野々香の気持ちは冷静だ。
この試合に向けて「チームで」唱えて来た指針を、呟きながら打席に立つ。
「フォアボール!」
初球ストライクを敢えてハデに大振りしてみせると、相手が際どい球を投げて来た。
野々香はそれを利用し、冷静に球を見極め、四球を勝ち取った。
「よしっ」
自身が大きな活躍をしたわけではないのに、不思議とガッツポーズが出た。
ちゃんと、出来た。
満足そうに一塁を踏みしめると、代走が送られてベンチに下がる。
「ナイセン」
良く選んだ、の意味の激励を小林監督から受けると、にぃっと微笑んで、「あとよろしくです!」と元気良く後続に託す。
その後続にいる、野球少年顔の"女房役"の横に、何となく座った。
「……もしや、あてにされてる?」
「当たり前でしょ」
春堅から放ったホームランの後、チームの、野々香の助守を見る目は確かに変わった。
年間たった2本塁打だけの男だ。植引からの分も合わせて、まぐれと思うほうが自然である。
それでも、何かが変わったと、周りからは映ったようだ。
そして、助守の中でも。
二死一二塁となり、打席は9番、助守白世。
アウトになれば敗北となり、タッツとは再びゲーム差なしで並ぶことになる。
ここはわずかにでも率の高い代打を送るべき展開……のはずだった、が。
「行ってきな」
監督は、まさかの代打なしを選択。
「終盤戦になって、君は何かが変わった。それをね、何となく見せてくれる気がするんだよ」
以前、譲るばかりで覇気のなかった助守を、監督は少し残念そうに見ていた。その監督が今、太鼓判を押して助守を打席に送る。
それに、応えたいと。自分が何かをしたい、と。
助守も、今はそう考えていた。
……誰のおかげだろうね。
そうも、思いながら。
今回の場面は、相手からすればまずは安打や四球で繋がれるのが一番厄介な場面だ。
歩かせでもすれば出塁率トップの有人に回る。
よって、拾いにくい変化球、かつストライク中心の投球になる。
……だから、初球だ。
カァ……ン!
とかわいた音を立てて縦のスライダーを引っ張り込んだ打球。見事に、予想が的中した。
ごく自然な動きでジャストミートした当たりは、鋭くライト線へと上がり伸びる。
ガンッ、と硬質の音がして、それはスタンドへ飛び込んだ。
……音を立てたのは、ライトのフェンスに立つポール。
『うおおおおおおおおっ!!』
ベンチが、スタンドが、総立ちになる。
逆転となる3号スリーランを放った立役者、助守も遅れて叫び声をあげると、またも慣れない走りでせかせかとダイヤモンドを一周すると、ホームベースを踏んで腕を天に突き上げる。
起死回生の逆転劇。
6-5で勝利をあげたニャンキースは、いよいよ「明日勝てば優勝」と言う見出しと共に、ニュースや、一部の新聞でまで取り上げられることとなった。
姫宮野々香
投球成績 23登板 162回 36自責点 160奪三振 防御率2.00 12勝4敗
打撃成績 打率.301 26本塁打 90打点 出塁率.361 OPS.942
ニャンキース
67勝48敗8分 1位 2位とのゲーム差2.0 残り4試合
優勝マジック「2」




