第87話 「なりたいって気持ち」
初戦は両者パーフェクトゲームの緊張感から一転、球場はケント選手へのツッコミで妙な盛り上がりを始めてしまう。
「なにやってんだー!」「二軍に来てもやらかすのか……(困惑)」「パーフェクト壊れるwww」等々、現地でネットでお祭り騒ぎの様相だ。
それはそうだ、ニャンキースにとっては真剣な最終決戦でも、プロの世界では二軍の端っこで一軍選手がやらかした面白事件でしかない。
一軍の大事な場面であればもう少し周囲もピリッとしただろうが、逆にこのプレーで空気は弛緩してしまっていた。
「けどよォ、切り開いたぜ。形はなんでもな」
有人は、それでもどこか満足げだった。
「俺は1番のリードオフマン、今はそれでいい。後は任せたぜ」
有人は、2番・楠見に視線を送る。そして、次にベンチへ。
ささやかなグッドサインを送り、彼は微笑んだ。
一方2番・楠見は、実は有人よりはホームランが多い。
有人が6本なのに対し、楠見は現在9本。一軍アピールなら、10本に乗せておきたいところだ。
しかし。
コンッ。
『あーっ!』
またも悲鳴が響いた。同時に観客からは半分の怒号と、半分の笑い声が聞こえて来る。ここまで来れば、もはや笑える。そう言った空気になり始めた。
楠見はそ知らぬ顔で初球を三塁線へバント。妙な空気がかえってサードのケント選手の緊張感を煽ったか。彼は続けざまにボールをこぼした。
思わぬエラーの天丼に、球場はお祭り騒ぎだ。
いや、思わぬということもないかもしれない。大体周りはこうなるとちょっと期待していた。
あるといいな、がある。なったら面白いな、がなる。最近のタッツはそういったチームだった。
「やー、使えるものは使っておかないとねぇ。見るからにエラーしそうだったし、ケントさん」
軽い表情でベンチに手を振る楠見は、一塁上でしてやったりだ。
「楠見さんは、もっとばしばし振って飛ばそうとかは思わないんですか?」
少し前、ふと野々香に聞かれた事があった。
最初に壁として立ちはだかる先輩を演じてみたものの、蓋を開ければ野々香の成長曲線は順調そのものだ。
「いやぁ、やっぱり君は逸材だったね。今となっちゃ自分の成長の遅さが際立って恥ずかしいくらいだよ」
「あはは、そうですかね?まだちゃんと覚えられてない事はいっぱいですけど」
「世の中、粗があろうと飛び抜けた才能を持つ者が、まずは注目されるもんさ。そりゃ欠点はあるけど、姫宮さんにはもう教えられる事は何もないくらいだ」
「おぬしに教えることはもう何もない。って奴、いにしえの賢者様にも言われました!」
「いにしえの賢者誰」
そんな会話の中で、野々香が切り出して来たのがその質問だ。
野々香はばしばし振って飛ばしているし、結果打率ももはや楠見より高い。
ただ、数字だけならその通りだが、楠見の陰での貢献度は段違いだ。
投手を良く見て、仲間にもその投球を見せる時間を作り、投手を疲れさせて、場面場面に合わせた丁寧な打撃で局面を打開する。
学駆と友人関係にあるだけのことはある。楠見玲児はこれまた陰で活躍するタイプの選手だった。
ただそれは、見方によればプロにおいて致命的だ。自身も言う通り、粗がなくとも飛び抜けたものがはっきり見えないようでは、注目されない。
例えば二死無走者の場面や、勝敗が決する程の大差が付いている場面でうまいこと本塁打数を稼いでいる。
それで9本打てていれば充分に良い打者と呼べると思うが、それもインパクトに乏しい。それならば常に樹や野々香のように立ち回れば、15~20本くらい打てるのではないだろうか。
だがしかし、楠見の中でこの一年、樹や野々香を見ながら野球をしていて、ある程度心が決まった事がある。
「それでもさ、チームを陰で支える存在って言うのは必要なもので、俺はそれになりたいって気持ちは変わらなかったんだよ。いや、より強くなったかな。君たちみたいな才能の塊に出会えてさ」
不思議なもんだね、と楠見は笑ってみせたが、野々香にとってはそれはさほど不思議でもなく、妙に腑に落ちた。
何せ、学駆がまさにそれだ。
彼が面倒くさいことを何から何までやって、野々香が好き勝手振舞う事を支えてくれる。
それで、野々香も椎菜もこの1年、やって来た。
諦めてそうなるのであれば喜ばしいことではないが、進んでそうなりたいと思うのであれば、それは尊重すべき生き様だ。
「だからまぁ、俺はこうして陰から支えるくらいが」
「いんじゃない?」
「いんじゃない……?」
「あんじゃない?」
「姫宮さんどうしたの急に」
「あ、すいません何でもないです。ちょっと世界に一つだけのメメントがモリモリして愛し合って喧嘩しただけです」
「…………姫宮さん?」
途中、野々香の発言がみるみる脱線して行った辺りは楠見も良く分かっていないが、その決意を言葉にしたことで、楠見のプレーは別の方向にさらに質を上げていった。
「チームの勝利のためなら、ばしばし嫌がらせしてやるさ」
クレバーな1・2番。有人楠見コンビの、嫌らしい守備の綻びへの局所連撃で、一三塁。
風間は植引のフォークに相性悪く三振となってしまったが、1アウトで大諭樹。ニャンキースは絶好のチャンスを迎えた。
「胸を借りている場合じゃない、今ここで超える……か」
先程尾間コーチに叱られたことを、樹はぼそっと呟いて、心に刻み込む。
現在樹の本塁打は28本。実は、二軍の本塁打数最多記録は29である。
これは、決して誇れる記録ではない。何故なら、そんなに打てるなら一軍に行けよと言う話であり、それだけ打っても一軍ではさっぱりで、二軍暮らしをするだけの欠点があったと考えられるからだ。
だが、二軍球団に所属する樹にとってはこれは、他でもない最大のアピールポイントになる。
もし29本目を打てれば、間違いなく一軍球団からも注目をされるだろう。
このあと1本は、それだけ大きな1本となるのだ。
「メジャー帰りの現役一軍選手から最多記録となるホームラン、箔がつくな」
樹はふっと笑った。
監督とコーチのおかげで、頭が冷えた。良い状態だ。
個人的な感情で植引に謎の敵対心を抱いて勝手に空回り、こんな大事な場面でなんと無様を晒したことか。
その敵対心を、力に変えてしまえば良いだけなのに。
当たり前に相手バッテリーはまず外のスライダーから来た。
悠然と見逃す樹。これを振ったから、だめなのだ。相手の術中だ。
見逃されたとはいえ、ではストライクを取ろう、というわけにも行かない。もう1球外へ、スライダーが外れてボール。
2ボールとなって、今度は植引の方がプレッシャーに晒される。
そもそも味方のエラー連発によって出来たランナーだと言う精神状態、そして、二軍専のチーム相手なら圧倒しなければなるまいと言う、一軍・元メジャーの使命感。
植引は、それらが合わさり、思わず投げてしまった。
樹の得意とする、インハイの直球を。
カァァ…ン!
そういえば、この高揚感は、どこか覚えがあった。
あれはおそらく、ニャンキース入団テストの時だ。
姫宮野々香と言うとてつもない投手の直球を目にして、度肝を抜かれた直後に似ている。
あの時は、高揚しているのに、状況を見通せるだけの冷静さがあった。それが、樹の合格の決め手だ。
「あいつの球に比べたら、止まって見えますよ。植引さん」
ドンッ!
まさに突き刺さると言う表現が相応しい大きな大きな一撃は、レフトスタンドに飛び込んでいた。
大諭樹の、右手が上がる。
「うおおおおおおおっ!」
思わず声が出た大きな一撃は、先制のスリーランホームラン。
プロ野球二軍の本塁打、史上最多タイ記録の29号となった。
グラウンドを一周すると、待ち受けている。樹にとっての、勝利の女神が。
次の打者である5番・野々香が、最高の笑顔でホームベース近くで待っていた。
「勝つぞ!」
「おうっ!」
大事な試合でよくしていたこの掛け声とともに、いつもより強めのハイタッチをかわす。ベンチに戻る前にランナーであった有人、楠見の姿もあった。
「吹っ切れやがったな」とやけに嬉しそうな有人。
「樹よォ、こうなりゃよ、ちゃんと決めゼリフは考えとくんだぜ?」
「何となくわかるけど、何の話だい?」
「聞いてくださいよ、楠見さん。こいつ優勝したらよォ……」
「おいやめろ!かっこ悪くなるだけなんだから、広めるな!」
「ははっ、大体知ってるから安心しなよ。諸事情で大諭君を応援は出来ないけどさ、竜巻に飲まれちまうらしいから」
もぎ取った3点は、ニャンキース勝利への大きな一手となりそうだ。
「あとは、あたしが抑えるだけだね」
4回表、3-0。
野々香の最後の登板に、頼れる4番から大きな援護が入った。




