第84話 「スパイスファミリー」
探偵風衣装に身を包んだ野々香を連れて、続いてはこれまた定番、映画鑑賞。
こっちは助守から感想を教えて欲しいと頼まれているので、という体になっている……が、仕事という多少は説得力のあった服選びに比べて、映画は理由付けに無理がある。
が、そこはもう来てしまったので、せっかくだから、そんな感じの勢いだ。
いくら何でも、時間があって誘っているのに、そんな必要なくねこれで解散な!とか言われるほど冷えた関係ではない、と樹は信じた。
「映画かぁ、一年間野球ばっかだし、その前の一年はそれどころじゃなかったし。うん、久々にいいかもね」
それはちゃんと成功した。
「ふふふ、ヘタなフィクションよりフィクションみたいな人生を送ってきたあたしを、果たして唸らせることが出来るかな?」
「いちいちハードル上げないでくれや……」
単に自然体で発言しているだけの野々香だが、樹はいちいちダメージが大きい。
今回「頼まれた体」で選んだのは、「スパイスファミリー」と言う、野球要素もあるサスペンス映画だ。
ある日他人の心を読む超能力に目覚めてしまった娘が、野球場で売り子の最中に監督である父の心を読んでしまい、父が不倫していることに気付く。
その秘密をめぐる事件と娘の葛藤を描く、と言うストーリーだった。
作品そのものも笑いあり涙あり、二転三転する展開も好評だが、何より父が不倫相手に送ったメールがキモすぎると言う事で妙な話題性を作ってしまい、メールが読み上げられるシーンだけは静かな映画館が爆笑に包まれた。
このシーンが無駄に好評を博し、公開2ヶ月を過ぎた今も長く上映されている。
「やー、めちゃくちゃ面白かった!メールが!」
「お前ああいうの好きそうだもんな。笑ったけどよ」
映画は充分に野々香を楽しませることが出来たらしい。
見終わった後、感想を頼んだ助守自身が何食わぬ顔でエンドロール中に席を立ち、野々香に見つかりかけるというハプニングがあったが、有人が助守の顔を席にうずめて「オイオイ帰るなよチュッ!この後まだサマーパーティーがあるんだぜェ!チュッ」とエンドロール後のネタバレ風味の叫びを上げて誤魔化した。誤魔化せてたのかはわからない。キャラチェンも無理があるし。
結果的にひんしゅくを買って他客の目線を引いたことと、事情を知る故に何が起きたか気付いた樹が必死に野々香の注意を引いてどうにかなったらしい。
あと、そんな映像はなかった。エンドロール後の映像では、反省した夫が何故か光の中から現れて仲直りして終わった。
おデートで映画を観るメリットは、そのまま感想を話す流れで食事に連れて行ける点にある(須手場雀・談)
樹と野々香はそのまま館内のレストランで食事をしながら、映画の事で談笑していた。
あまり気取った場所ではない、居心地重視で、ごく普通の洋食レストランのステーキセットだ。
「でも、楽しかったよ。不参加の二人も今度連れてってあげたいね」
「お、おう。不参加の二人もな……ははは……」
野々香は尾行そのものにさほど興味を示さなかったため、最後までそれがその二人+雀であることに気付いていなかった。
騒ぎのせいで気付いた樹はおかげで冷や汗ばかりかいている。
プルルルルル。
そして、さらに樹に冷や汗をかかせる展開が訪れる。
「あ、ごめん通話だ。ちょっと出るね」
呼び出しは、そう。学駆だ。
試合がないのは知っているので、少し早めの定時連絡だ。
「あー、学駆」
学駆、の名前を聞いて樹は冷や汗を通り越してどばっと汗が吹き出す。
ちらほら聞こえている、知っている名だ。
要するに、今目の前に自分がいることが知られたら大変なことになり得る名だ。
いやいや、だがさすがに何も考えていない野々香でも、ここで敢えて男とおりますよなどとは……
「今、樹くんとご飯食べてるとこなんだよーごめんねー」
言うんかい!!
とことんまで建前を知らない女だ。
普通別の男といる所で彼氏の電話に出て、そいつの存在をほのめかすなど、躊躇う所だろうに。
「へ?夕飯までに帰れ?だから今食べてんだって。おみやげ?届く頃には霜降り肉がミートグッバイして腐った肉になりますけども」
そして、学駆という男の方も、会話を聞く限り普通だ。
ここまで自然体でいられると、樹は自分の異物感にいたたまれない。
そんな樹に、ぽこん、とポケットから通知音が鳴る。SNSのメッセージ通知だ。
居心地が悪い中、相手が通話中なので自然と自分も確認に行ける。これは助かる。どうしようもない樹に天使が降りてきた。
「彼氏と電話なんか許してたら後がないぞ。はよ告れ」
天使じゃなくて鬼だった。雀と言う名の鬼だ。雀鬼だ。
短期決戦の鬼はあまりに当たって砕けろの精神が過ぎている。
今ぶっこむのなんかどう考えても自殺行為だ。3ボールなのに打ちに行ってラインの内側を走って守備妨害で併殺を食らうようなもんだ。
って言うかどこから見てるんだ、いやもう見てないのか、まぁどっちでもいいやもう。
一瞬、間が持ったことにだけ感謝しつつ、樹はスマホをしまった。
「ほーい、じゃあとでねー」
野々香が通話を終えてごめんね、と一声。
いや、と気にしない素振りを返すが、そこから話がしづらい。
「か、彼氏かなんかか」
故に樹は慌てるあまり、振らなければいい話を思わず振ってしまった。
これを聞いたらもういたたまれなくとも、後には退けない。
「俺といる事なんか喋っちまって大丈夫なのか?」
聞いてしまう。答えなど聞くまでもないことなのに。聞いてしまった。
「平気平気、チームメイトと出かけてるくらいで文句言う人じゃないから」
ほらぁ。
この返事が来るのも、返事が来てダメージを食らうのもわかりきっていたのに。
そもそも、先の会話の内容から導き出される考察なんぞ一つなのだ。学駆も野々香もおデートなどとは認識していない、仕事仲間とちょっと同行しただけのつもりなのだ。
いっそ怒ったり慌てたりしてくれた方がまだ可能性があった。
何でもない態度が逆に樹のハートを真っ二つにする。
それでも、ここまでは来たのだ。後に引けば自分の性格上二度とチャンスは来ない。
言うだけだ。言って、後腐れなく終わりにしよう。
それが、背中を押してくれた3人のストーカー(失礼)のためにも……
「それに、チームにいる間は、樹くんや皆があたしの事守ってくれてるからね。そんな人を、たとえ学駆にだって疑わせないよ」
……違う。
根本的な間違いに、勢いにつられて犯しかけている間違いに気付いた。
この一言で、樹は全てが救われ、また全てがひっくり返った気分だ。
野々香はわかってくれていたのだ。
少なくとも、行動には気付いてくれていた。その行動の原動力になる気持ちは知らなくても、それでも、彼がいるからあなたは眼中にない端役です、というわけではないと、野々香自身が教えてくれた。
「……ほ、本当に、お前は……くそっ」
危うく涙が出そうになる所を、樹はこらえた。
とんでもない高嶺の花子だ、この女は。惚れたのは間違いではなかった。これは、絶対に。
そして、もう一つ樹は気付く。
ここでもし余計な事を言えば。
……俺自身が、こいつの邪魔しちまうじゃねえか……!
気付いてしまえばシンプルな話だ。
相手を尊重せずに女性と言うだけで興味本位に近づいて来る輩から守り、試合に集中させてやりたい。一軍に行くなら、一緒にだ。
そのためだけに樹はここまで気持ちを抑え込んで来た。
抑え込んで来たから、彼女はそこに気付いていないに違いない。ただただ自身の空回り。
そう、思い込んでいた。
決してそんなことはなかったのだ。
それならば、ようやく見えて来ている目標を目の前にして。
この直前で、自分を甘やかしてどうする。
今ここでこの喜びと感動を涙にでもしてしまったら、後戻りは出来ない。
そしてそれは、大事な最後の9試合を戦う上で、確実に余計な感情だ。
……悪い、有人、スケさん。あと一応雀さん。
みんなの気持ちも無下にはしねぇけど、あと少し待ってくれ。
最後にはケリを付けるから。
樹は少し目を閉じると、心の中でそう呟く。
そしてすぐ、目を開くと、前を向いた。
「姫宮」
「はいはい」
「ありがとよ」
「え、今あたしお礼されるようなこと言った!?えっと、わかんないけどウインナー食べる!?」
「優勝したら、話がある。聞いてくれるか」
「ん?……うん」
照れ隠しに茶化してしまう野々香だが、樹の表情が真剣だったので、わからないままに頷いた。
今はこれでいい。この方がいい。
これで、樹にとってさらに優勝が大事な要件になった。
最後の9試合……絶対に、勝つ。
優勝したら、最後にこの気持ちをぶつけて、砕ける。
そう、砕けるのだ。
砕け散って、新しい人生へ進むのだ。
「言えよォーーーーー!!!」
「す、雀さん落ち着いて!なんか、樹くんも決心したみたいだし!」
「うっさい!今ヘタレてたらどうせ次も決心なんか揺らぐだけよ!ええい、じれったい、日暮くんちょっといやらしい雰囲気にしてきなさい!」
「俺ェ!?ムチャ言うなよ!」
「ムチャもヤムチャもゴンチャもあるかぁ!」
そして、遠く離れた席では。
危うく騒ぎを起こしそうになるTシャツと破けたジーンズの女が、グラサンスーツの男二人にそっと連れられて退場して行った。




