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第八十六話(最終話) 伊東祐兵 最期の刻

慶長五年十月――大坂。


秋の風は冷たく、病床の伊東祐兵いとう すけたかの頬を撫でた。


すでに戦は終わり、関ヶ原は東軍の勝利に帰した。


しかし、祐兵の身体は風毒の病に蝕まれ


日ごとにその命の灯が細くなっていた。


枕元には、息子の祐慶すけのり阿虎おとらの方


そして家老・稲津重政いなつ しげまさ


家臣の河崎祐長(かわさき すけなが)山田宗昌(やまだ むねまさ)らが控えていた。


「父上、もう少しで飫肥へ戻れます。

どうか、お力を……」


祐慶(すけのり)が涙をこらえて言うと、祐兵(すけたか)はかすかに笑った。


「いや……我はもう、この世での役目を終えた。

あとはお前が……伊東を導くのだ」


その声は風のように静かで、しかし確かな意志が宿っていた。




その折、島津より早馬が駆け込んだ。


島津豊久(しまづ とよひさ)様、関ヶ原にて討死――」


その報せに、皆は凍りついた。


祐兵(すけたか)はゆっくりと瞼を閉じ、やがて小さく頷いた。


「……やはり、そうなったか」


阿虎(おとら)の方が嗚咽を洩らし、祐慶(すけのり)は拳を握りしめた。


「父上……豊久様とは兄弟の契りを交わされたと……」


祐兵(すけたか)は目を細め、微かに微笑んだ。


豊久(とよひさ)……あの男は、まこと義の人だった。

我がために泣き、我がために怒った。

あやつの義に恥じぬよう、伊東の名を絶やしてはならぬ」


祐慶(すけのり)は涙をこぼしながら、父の手を強く握った。


その手はすでに、驚くほど冷たかった。




夜が更け、遠くで梵鐘が鳴った。


祐兵(すけたか)は天井を見つめ、ゆっくりと息を吐いた。


「……稲津、飫肥は、どうしておる」


「はっ、皆、殿の帰りを待ちわびております。

報恩寺の再建も進み、飫肥は平穏にございます」


祐兵(すけたか)はうっすらと笑い呟いた。


「そうか……良き国となったな……」


やがて彼の視線は、傍らの祐慶に向けられた。


「祐慶……お前は、伊東の光だ。

義を忘れるな、恩を捨てるな。

父の名に代えても、人の道を貫け」


「……はい、父上」


その声に祐兵(すけたか)は静かに頷き、


豊久(とよひさ)殿……そちらに行くぞ……」


と、どこか懐かしげに微笑んだ。


その瞬間、ろうそくの炎が一筋揺れ、静かに消えた。




慶長五年十月十一日――伊東祐兵(いとう すけたか)、逝去。


享年四十二。


その知らせは飫肥の城下に響き渡り


町の者たちは一斉に頭を垂れた。


報恩寺の鐘が鳴り響く。


「殿は……殿は、ようやく安らがれたのだな」


河崎祐長は涙をこらえ、空を見上げた。


稲津重政や山田宗昌は静かに嗚咽していた。


祐慶(すけのり)は父の遺骸の前に膝をつき、深く誓った。


「父上の志、必ずやこの飫肥で果たします」


その傍らで阿虎の方が静かに涙をぬぐい


遠く、西の空を見つめた。


――その先に、祐兵(すけたか)豊久(とよひさ)の魂が寄り添うように


戦なき世を見つめている気がした。


やがて朝日が昇り


伊東家の新たな時代が始まる。


祐慶(すけのり)は立ち上がり


父が守り抜いた飫肥の空へと、静かに一礼した。


――伊東祐兵(いとう すけたか)、ここに眠る。


その名、飫肥とともに永遠なり。


風よ、飫肥に平穏を。


ー完ー

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