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第九話 京女と父の狂熱

元亀二年(1571年)初春──。


飫肥(おび)城の奥御殿に、静かな緊張が漂っていた。


伊東祐兵(いとう すけたか)は、父・伊東義祐(いとう よしすけ)の急進的な政策が日々加速していることに、かすかな違和感を覚えていた。


「京を真似た町並み、絢爛なる能楽……まるで夢を見ているようです」


そう呟いたのは、側近の伊東祐安(いとう すけやす)だった。


「夢というより、幻に近いな」

伊東祐信(いとう すけのぶ)が苦笑混じりに応じる。


祐兵すけたかは黙って頷いた。




春のある日、義祐よしすけは城の中庭にて、とある女を伴っていた。


「これなるは、ナミ。近衛家ゆかりの女であり、我が見識を深める手助けとなる人物じゃ」


その女は、白磁のような肌に深紅の小袖をまとい、透き通るような声で挨拶をした。


「お初にお目にかかります、祐兵すけたか様」


祐兵すけたかは一礼を返すも、その目の奥に微かな不信を灯していた。


「父上があれほどまでに心酔されるとは……」


ナミはまるで、義祐よしすけの野望に油を注ぐ風のようであった。



数日後、阿虎(おとら)伊東祐兵(いとう すけたか)の元を訪れた。眉間に皺を寄せ、切迫した面持ちだった。


祐兵すけたか様……あのナミという方、何かが変です。義祐よしすけ様が急にあれほどの野望を語り始めたのも、彼女が現れてから……」


阿虎(おとら)、お前もそう感じていたか」


祐兵の眼差しが鋭くなる。


「幼い頃、父上のそばにはああした人物はいなかった。……昔の父上とは、まるで違う」


阿虎(おとら)は頷き、小声で(ささ)いた。


「侍女の一人が、ナミ様が夜な夜な密書を記しているのを見たと申しました。手紙の封には──島津家の文があったと」


その言葉に、祐兵の背筋がぞくりとした。


「間者……か。島津がここまで手を伸ばしていたとは」



祐兵すけたかはすぐに祐安すけやす祐信すけのぶに事を告げ、内密に動き始めた。


「この女、尋常ではない。動きが洗練されすぎておる」


「調べさせよう。かの島津に繋がる間者である証拠を」


やがて、内通の証が浮かび上がった。


ナミはやはり、島津義久(しまづ よしひさ)に仕える密偵であったのだ。


義祐よしすけのそばに仕え、国政の混乱を誘い、内部から伊東家を揺さぶる。


祐兵すけたかは激しい動悸を抑えながら、父に真実を告げに向かった。




「父上、あの女は……島津の間者でございます」


義祐よしすけの目が冷たく光った。


「何を申す。あれは我が信頼する者じゃ」


「証もあります。言葉を尽くす前に、まず事実をご覧いただきたく」


しかし、義祐よしすけは頑として聞き入れなかった。


「それが真実であろうと、わしは彼女の言葉で目が覚めたのだ。この日向に、かつての京の栄華を再び築けると」


「……ならば、このまま、日向を炎に焼かせますか」


祐兵すけたかの言葉に、義祐よしすけは眉をひそめた。


「そなたは、わしに(そむ)くのか」


「いえ、守りたいのです。父上を、伊東家を、そしてこの国を」


静かな沈黙が流れた。




ナミはその晩、城を離れた。


誰の目にも、不自然な退去だった。


しかし、それが意味するのは──


すでに島津(しまづ)の次なる一手が打たれているということであった。




元亀二年夏。


義祐よしすけはついに木崎原きざきばるへ兵を進めた。


真幸院まさきいんの地を制し、日向の中枢とする」


祐兵すけたかは沈んだ目で戦装束に身を包む。


「勝つには勝つ。ただし、失うものは大きいでしょう」


落合兼置(おちあい かねおき)が小さく呻くように言った。


「民も、兵も、限界じゃ。いま戦を仕掛ければ、守りは脆くなりまする」


それでも、義祐よしすけは進んだ。


「行け。我らが理想の都へ」




木崎原の野に、風が吹く。


田に実る稲穂がなびき、しかしその上を、黒々とした軍勢の影が(おお)った。


その中央に、伊東祐兵(いとう すけたか)の姿があった。


目を閉じ、心中でつぶやく。


──兄上。阿虎おとら。父上。


──わたしは、道を選ぶ。


その先が、どれほどの血を呼ぼうとも。

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