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第八十一話 決断の書状

時は遡り、関ヶ原の嵐が吹き荒れる前――


飫肥の城下には、夏の蝉の声が響いていた。


伊東祐兵(いとう すけたか)は、病身ながらも政の席に座し


各地の情勢を静かに聞いていた。


「家康公と三成殿、いよいよ決裂の兆しにございます」


稲津重政(いなづ しげまさ)が報告すると、祐兵(すけたか)は深くうなずいた。


秀吉の恩顧を受けた祐兵にとって、豊臣家は主君そのものであった。


「豊臣の御恩は忘れ難い。だが……世は移ろうものよ」


祐兵(すけたか)の声には、重い覚悟が滲んでいた。


徳川家康と石田三成――天下を二分する両雄。


祐兵の心は二つに裂かれながらも


すでに冷静に未来を見据えていた。


「飫肥を守るは、ただ情にあらず。子や民のため、正しき選択をせねばならぬ」




慶長四年、伏見にて。


療養の合間に祐兵は


黒田如水(くろだ じょすい)父子、加藤清正(かとう きよまさ)らと密かに会った。


黒田如水は、祐兵(すけたか)が日頃から助言を仰いでいる智将であり


互いに深い信を寄せていた。


「祐兵殿、三成は理ではなく感情で動く。戦においては危うい」


官兵衛の言葉に清正も続く。


「徳川殿は太閤殿下の遺志を継ぎ、天下を乱さぬつもり。われらも家康公に従う」


その夜、祐兵(すけたか)は静かに筆を取った。


「……黒田殿の言に理あり。豊臣の恩に背くは痛恨なれど、民のためには決断の時ぞ」


祐兵(すけたか)井伊直政(いい なおまさ)を通じ、密かに徳川方へ帰属の意を伝えた。


その筆跡には、迷いと決意がないまぜに刻まれていた。




七月二十日――


祐兵は、豊前の黒田如水に書状を送った。


「我、伊東祐兵。此度、徳川殿に味方仕り候。


豊臣家への恩を忘れぬものの、国を護り、民を生かすにはこの道ほかなし」


如水は書状を読み、深く息を吐いた。


「……祐兵(すけたか)殿、ついに決められたか」


そして返筆を送り出した。


「いま伊東家が大坂に留まれば、三成の猜疑を招くだけ。

ただちに日向へ帰り、西軍諸侯の城を攻められよ。

大戦に参加せずに勝つ道、それが国を保つ術にござる」


祐兵(すけたか)はその文を読み、長く天を仰いだ。


「如水殿……あなたの言葉、胸に刻もう」


もはや、豊臣の世は終わりを告げようとしていた。




祐兵は病状が悪化し、飫肥に戻ることは叶わなかった。


家老の稲津重政(いなづ しげまさ)


祐慶(すけのり)を飫肥に戻すよう、手配を整えていた。


阿虎(おとら)の方が薬湯を差し出し、祐慶(すけのり)が父の前で頭を下げた。


「父上、徳川にお味方するのですか」


「うむ。だが、決して恩を忘れるではない。豊臣の世を築いた功、その血脈は我らが守る」


祐兵(すけたか)は病の身を押しながらも


まなざしには確かな光を宿していた。


「これよりは、飫肥を守ることが戦ぞ。剣を取らずとも、命を賭す覚悟でな」


その言葉に、祐慶(すけのり)たちは胸を打たれた。


祐兵(すけたか)はすでに、自らの終焉を悟っていた。


しかしその心は、確かに次代――祐慶(すけのり)へと受け継がれようとしていた。


外では風が鳴き、遠くから秋の虫の声が聞こえる。


新たな戦乱の火蓋は、まもなく関ヶ原の地で切られようとしていた――

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