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第八十話 大津城の戦い

慶長五年九月


天下の行く末を決める関ヶ原の戦いが近づく中


近江大津城に異変が起こった。


籠城の主は京極高次(きょうごく たかつぐ)


もとは西軍の一員であったが、突如として東軍に寝返り


わずか三千の兵で大津城に立て籠もったのである。


これに激昂した西軍は毛利元康(すえつぐ もとやす)を総大将に


立花宗茂(たちばな むねしげ)小早川秀包(こばやかわ ひでかね)ら名だたる将を糾合して


一万五千をもって大津城を包囲した。


祐兵(すけたか)公は病床にあり」との報は既に大坂方の耳に届いていた。


「やはり伊東は関東方に心を寄せているのではないか」


――そんな嫌疑が消えぬ中、ついに命が下る。


伊東家も兵を出せ、と。


病床の祐兵(すけたか)は深い沈黙ののち、二人の若き臣下を呼んだ。


伊東与兵衛(いとう よへえ)、そして平賀喜左衛門(ひらが きざえもん)


「此度は……そなたらに任せる。伊東の名を、疑いを晴らすために示して参れ」




大津城を囲む西軍の陣に伊東勢三十名が合流したのは九月上旬のこと。


与兵衛は槍を取り、喜左衛門は弓を握る。


両名とも若く、血気盛んながら、主君の信を受けて戦場に立つ覚悟を決めていた。


「我らが討たれようとも、伊東の忠は疑うべからず――その(あかし)を立てるのみ」


与兵衛は喜左衛門に言い聞かせるように呟き、二人はうなずき合った。


城内からは矢が飛び、鉄砲が轟き、火煙があたりを覆った。


西軍は総攻撃を繰り返すが、高次の防備は堅く、容易には崩れない。


「押せ! 押し立てよ!」


立花宗茂が声を張り上げ、波のように攻め寄せる。


伊東の二人も先頭に立ち、槍を振るい、矢を放ち、奮戦を重ねた。




しかし戦の炎は無情であった。


与兵衛は敵兵を五人斬り伏せたのち、背より矢を受けた。


血にまみれながらも槍を放さず、最後の力で叫ぶ。


「伊東家に……疑いなし!」


そう言い残して倒れ伏した。


一方、喜左衛門は城門近くで奮戦したが


弓を射尽くしたのちに太刀を抜き、なおも敵陣に斬り込んだ。


「我が命と引き換えに、祐兵(すけたか)様の潔白を示す!」


壮烈な戦いぶりに味方も息を呑む。


だが数に圧され、ついに討たれた。


西軍の兵らはその奮死を見届け


「伊東の若武者、見事であった」と口々に称えたという。


二人の命は短くも、忠義の炎は確かに戦場を照らした。




九月十五日、ついに大津城は開城した。


西軍の大勝――しかしその日は


同じく美濃の地で関ヶ原の戦いが繰り広げられていた日でもあった。


一万五千の兵を大津に釘付けにしたまま


西軍本隊は東軍に挑むこととなったのである。


「勝ちを得ながら、すでに敗れたり……」


戦後、人々はそう語った。


伊東祐兵(いとう すけたか)の館にも訃報が届く。


与兵衛と喜左衛門、両名討死。


病床の祐兵(すけたか)は静かに目を閉じ、長く息を吐いた。


「よくぞ……伊東の名を守ってくれた」


阿虎(おとら)の方が涙に袖を濡らし、若き祐慶(すけのり)は唇を噛んだ。


彼らの犠牲は、伊東家が「裏切り者」と呼ばれぬための(あかし)となった。


そして歴史は皮肉にも、その血の証を「無意味」と呟く。


だが忠義に生き、忠義に散った二人の名は


飫肥に生きる人々の胸に深く刻まれ続けた。

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