第七十七話 伊集院忠棟の変
慶長四年三月九日
伏見の町に激震が走った。
島津家久の嫡子、島津忠恒が
重臣・伊集院忠棟を斬殺したという報が諸国に伝わったのである。
「忠恒殿が……家老を?」
伊東祐兵は耳を疑った。
かつて九州征伐の際に盟を結んだ島津氏。
その内紛は、日向の安寧に直ちに影を落とす。
やがて続報が届く。
忠棟の子・忠真が都之城に籠り挙兵したという。
「都城に火の手が上がれば、日向は再び乱れますぞ」
家老の河崎祐長は憂いを隠さず、祐兵の前に進み出た。
京では徳川家康が即座に調停役を立て
寺沢広高を九州へ派遣した。
だが、伊集院方の怒りは深く、島津本家の威光をもってしても容易に収まらぬ。
「殿、幕府より我らにも出陣の沙汰が下りました」
稲津重政が文を携え、緊張をにじませて告げる。
「伊集院を討てとの仰せか……」
祐兵は深く息を吐いた。
かつて死闘を繰り広げた島津との因縁を超え
和を結んだはずだった。
だがその島津が自ら裂ければ、日向全土が戦火に呑まれるのは必定。
熊太郎も父の険しい面持ちに気づき、声を落とした。
「父上……また戦が始まるのですか」
都城では、忠真が城門を固く閉ざし
降伏の気配は見せぬとの噂が流れる。
飫肥の城下もざわめいた。
「殿、いざとなれば我らも兵を挙げましょうぞ!」
飯田祐安が血気を吐く。
しかし祐兵は静かに首を振った。
「軽々に刃を振るうな。戦は民を苦しめるのみ。……ただ、義を守るための軍ならば出さねばならぬ」
その言葉に家臣らは沈黙した。
祐兵は若き日の敗北と流浪を胸に思い返し
己の歩むべき道を見据えていた。
やがて、家康からの続報が届く。
「忠真、ついに降伏」と。
都之城の兵は武具を捨て、忠真は命を繋いで城を明け渡した。
戦火は拡がらず、飫肥からの出陣も不要となった。
「殿のお心のままに、刃を抜くことなく済み申したな」
河崎祐長が深く安堵の息をついた。
祐兵は天を仰ぎ、静かに答える。
「我らはただ、日向に安寧を残すのみよ。島津も伊集院も、共にこの地に生きる者……いずれ血の因縁を越えねばならぬ」
その言葉に熊太郎は父を見上げ、決意を新たにした。
戦国の世にあってもなお
祐兵の願いは一つ――民を守り、日向に平穏を築くこと。
その志は、確かに子らの胸に受け継がれてゆくのであった。




