第七十七話 飫肥再建の礎
慶長三年
慶長の役の終焉とともに、伊東祐兵は日向の飫肥に帰還した。
長き戦役で疲弊した領国の姿は、彼の目に深く刻まれる。
荒れ果てた町並み、古ぼけた屋敷
そして城跡には草木が生い茂り、往時の面影を留めてはいなかった。
「ここより我らの道が始まる」
祐兵の静かな声に、家臣たちは深く頭を垂れる。
若き稲津重政は
この年、清武城主として新たに任じられ
さらに家老職をも兼ねることとなった。
祐兵の信任厚きこと、誰もが知るところである。
一方、山田宗昌には同じく家老職が打診されたが
彼は固辞し、酒谷城主に封ぜられ三百石を与えられた。
飫肥の再建は、ただ城郭の修復に留まるものではなかった。
祐兵は子・熊太郎を伴い
後世に誇れる『伊東の証』を築かんと心に誓う。
「熊太郎、これが父祖の城ぞ。いつの日かお前がこの地を治めるのだ」
幼き子は瞳を輝かせ、廃墟の中に夢を見た。
報恩寺の建立が決まったのも、この折であった。
祐兵は「我ら伊東家の菩提を継ぐ寺を」と願い
臨済宗の僧を招いて工を進める。
河崎祐長、重政、宗昌らは力を合わせ
材木を運び、石を削り、民の労力を惜しまず再建にあたった。
飫肥の地には、特異な溶結凝灰岩——
人々が「飫肥石」と呼ぶ岩盤が横たわっていた。
その高さは十五メートルにも及び、荒々しくも威容を放つ。
祐兵はそこに庭園を築くことを決めた。
「岩を活かせば、この地そのものが永き祈りの形となろう」
立石を据え、三連の石橋を渡し、裾に細長き池を広げる。
人と自然とが調和したその景観は
ただの装飾ではなく、飫肥再興の象徴であった。
やがて庭園の姿が現れると、民は口々に「これぞ祐兵公の御心」と称えた。
幼き熊太郎も父の傍らで声をあげた。
「父上、岩に架かる橋は天へと続いているようです!」
祐兵は微笑み、子の肩に手を置いた。
報恩寺の落慶の日、鐘が鳴り響き、祐兵は静かに手を合わせた。
「ここに伊東家の再興を刻み、永代の祈りを託す」
稲津重政は傍らで誇らしげに胸を張り
宗昌は「城も町も必ずや甦りましょう」と力強く応じた。
祐長も深く頷き、三人の忠臣は主君の志を支える覚悟を新たにした。
飫肥の街には再び人の笑顔が戻り
岩盤に架けられた石橋は、未来への懸け橋として光を放った。
そして祐兵は心中に誓う。
「この地を熊太郎に継がせ、伊東の名を後の世に伝えん」
大河の流れは、日向の小さき城下にも確かに息づいていた。




